郭錠煥教--「子女様方の垣根」となって真の父母様への天道をも塞ぐ?! | peaceのブログ

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「天の父母様聖会」とは、政治、宗教、経済、学術、メディアなどのの壁を超えたコミュニティーです。
人類の父母である神様の元に人類が一つの家族となり、平和世界の建設という理念を掲げているのが、「天の父母様聖会」です。

『祝福家庭』19号(2000年 冬号)で、いわゆる「郭錠煥教」の骨子を郭錠煥氏が語っていました。

 

いわゆる「郭錠煥教」要約:

真の父母様から祝福を受けた祝福家庭は養子・養女、真のご父母様という木にぶら下がっている実に譬えられる。今回の「入籍祝福式」(2000年9月)は祝福を受けた私たちが完成した種となり、地に落ち、春には芽を出し、独立した木となっていく。そして、真のご父母様の周辺の垣根にならなければならない。そのような時を迎えた。

また、同時にこれからは第四次アダム圏時代、第二次四十年路程、二世時代が始まる。「成約時代は侍義の時代である」といわれているが、養子・養女である私たち祝福家庭は、いくらお父様の近くへ行きたくても、究極的な天道として、直接、真のお父様のもとに行くことはできない。私たちはまず、真のご子女様のもとへ行き、その後、真のお母様を通過し初めて、真のお父様の前に行くことができる。そのために、私たち祝福家庭は子女様に受け入れてもらえるように言葉なく、忍耐して子女様方侍っていかなければならない。

 

さて、祝福家庭は養子・養女というのが郭錠煥教の主張であって、その養子・養女が父母様の元へ行くには子女様を介さなければならない、2000年以降は「二世時代」を迎えてはそれが顕著となるゆえに、顕進氏(亨進氏)に侍らなければならない、というのがその結論ということでしょうか。

お父様のみ言からは「キリスト教は養子圏」というのはありますが、再臨主・メシヤは2000年前と同じことを繰り返すために来られたと考えることは出来ません。

真の父母様は、私たち祝福家庭をクリスチャン以上の位置に引き上げようとしてしては「氏族メシヤ」の使命を与えられたではありませんか。
 

また郭氏は、一旦は「祝福家庭は真の父母様の垣根にならなければならない」と語りながらも、侍るべき主体を取り違えては、『ご父母様から愛された私たち全員が、お姉様とお兄様、お一人お一人に対して、精誠を尽くし、垣根、防波堤になるよう努力しなければならなかったのです。』と、真の父母様から子女様に侍るようにとすり替えていました。

 

分派の皆様方(UCI、サンクチュアリともに)が

郭錠煥氏が2000年9月に語った如くに、

真の父母様の垣根ではなく

「子女様の垣根、防波堤」となって、

(子女様の)父母様への天道を塞いでいることに

気付かれては、

早く、自らも天道に従って生きられるべきです!!

 

 

以下に『祝福家庭』19号(2000年 冬号)で掲載された郭錠煥氏の講話全文です。

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父母の心情で入籍を準備してこられた真の御父母様

第一次「三時代大転換四位基台入籍祝福式」の2日目、9月25日夜、郭錠煥先生が講話をされました。講話のタイトルは編集部でつけました。

郭錠煥(36双)

 

   真のご父母様のみ言を中心として整理する

 

 私たちは今、歴史的な恩賜を享受しています。これは非常に恵まれた立場です。このような恩賜の場は歴史に例がありません。私たちの家庭はこのような恩賜を、単純に感謝だけして受けることができるでしょうか? 多くの悔い改めをしなければならない私たちの姿です。

 

 私たちはいったいいかなる者であり、私たちの家庭がどのような位置にあるのかを、この恩賜の期間、真のご父母様の御言を中心として点検し、整理をしなければならないと思います。
 

 祝福の真の意味は、サタン主管下にあった私たちが、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を転換し、神様と真のご父母様を中心とした真の愛、真の生命、真の血統と新しく因縁を結んだということです。私たちはそのことを骨身にしみて感じ、感謝しなければなりません。
 

 真の生命という概念が、祝福の中心要因の一つなのです。私たちは祝福によって、新しく生まれたのです。ですから、この祝福がもっている意味の中には、入籍という概念が内包されているのです。
 

 人が生まれれば戸籍に載せます。新しく誕生した生命は登録しなければならないのです。それがまさに入籍です。このように入籍と祝福は関連しており、離すことはできないのです。
 

 入籍とは戸籍に登載することですが、それは戸籍制度がある場合であり、少なくとも国家主管下でのことです。赤ん坊が生まれたからといって、家の中で入籍の手続きをしても法的意味はありません。入籍とは、少なくとも国家的な次元でなされるものなのです。

 それゆえ、天を中心とした国家基準をもつようになる時、初めて、この入籍ということが本格的に議論されるのです。この入籍は、国家と関連している問題なのです。
 

 昔、祝福のまえにお父様は、「祝福は一度ではいけない。今回あなたたちが受ける祝福は、国家が歓迎し、世界が
歓迎する位置で受けるのではない。これは理想的なものではない」と語られました。
 

 本来、神様の理想の中で、アダム・エバが祝福を受ける位置というのは、すべての国、森羅万象、全天宙が拍手をし、祝賀し、賛美する中でなされるものです。
 

 ところが、私たちが受けた祝福は、すべての国、全天宙が歓迎する中で行われたのではなく、統一教会の中だけで認められる、教会次元の祝福でした。それゆえ、天も真のご父母様も、国が公認する立場で再び祝福をしてあげたい、入籍をさせてあげたい、という本然の心情を抱いてこられたのです。

   黙々と、入籍を準備してこられたご父母様

 一九六〇年に三十六家庭を祝福してくださる時、将来、国家基準で受ける入籍について語られました。その前年、五九年にも、今から四十一年前ですが、入籍について言及されました。「将来、祝福家庭は入籍を受ける日が来る」と。
 

 しかし、私たちはそのようなみ言を全く忘れて過ごし、一人として真のご父母様が願われる通りに生きることが
できませんでした。
 

 それでも、お父様はそんな私たちをそのままにほってはおかれず、私たち祝福家庭を天国の戸籍に登録して、天国に名前を記録してあげようと、長い間、粘り強く努力してこられたのです。
 

 もし、キリスト教が、国の主権者が責任を果たし、真のご父母様に待って国家基盤が造成されれば、それで神の国が復帰されたでしょう。その基台のうえで入籍の役事があれば、どれほどいいでしょうか。本来、国家が復帰されてこそ、原理的に完全な入籍がなされるのです。
 

 お父様は国家を復帰するために精誠を尽くされながら、それがなされなかった場合の対策として、一段階高めて、国家を越えた立場、超宗教・超国家fな立場から摂理を進めてこられたのです。それが国連の摂理です。国連は、国を越えているのです。
 

 国が成立するためには、主権と民と国土が必要です。主権は、サタンが降参したので、すでに天の主権があります。民は、地上、天上に祝福を受けた家庭がいます。問題は国土なのです。
 

 国土の問題に対して、お父様はすでに一九九八年六月十三日、アメリカのニューヨークのマジソンスクエアガーデンでの祝福行事を出発点として、他の次元の準備をされました。
 

 その時、聖人と共に地獄にいる殺人魔・悪霊までも祝福され、それ以後、霊界における祝福行事が急速に進展しました。
 

 殺人魔、悪霊がいる所とは、地獄であり、サタンの本拠地です。その悪霊が祝福を受けたということは、天の主権を代表した真のご父母様の権能が、サタンの本拠地まで及んだということです。
 

 それは、神様の主管圏が、天上世界のサタンの根本的な本拠地までも占領したということです。このように霊界ではすでに真のご父母様は、十分な領土をもっておられるのです。
 

 さらに、お父様は先回の国連での大会で、百二十万ヘクタールの土地を国連の領土として使用することを世界と国連の指導者の前に、公式的に発表されました。国家次元を越えた、世界全体を管轄する立場である国連において、領土の条件を立てられたのです。
 

 そのことによって、主権、民、領土をもった立場に立ち、本格的に入籍行事を行えるようになったのです。
 

 しかし、なぜご父母様はこのような入籍行事を、実体的に領土を取り戻した後にされないのでしょうか?
 

 神様の摂理には、必ず「時」という問題があるのです。西暦二〇〇〇年というこの年は、普通の年ではありません。来年、新千年期が始まるのです。「千年」という歴史の単位は、摂理の計算法として非常に重要なのです。
 

 それゆえ、今年がどれほど重要な年かということが分かります。具体的に真のご父母様の摂理と関連して見てみましょう。
 

 今年お父様は、第二次四十年路程の出発を宣言されました。一九六〇年、聖婚式によって真のご父母様がこの地に定着され、それから四十年が経過しました。第一次四十年路程が過ぎ、今年、第二次四十年路程が出発しました。これは、一世中心の摂理から二世中心の摂理に新しく出発するという意味です。また、お父様は「今年から第四次アダム圏時代が始まる」と言われました。
 

 このような全体的な摂理の進行から、二〇〇〇年の今年はとても重要な年なのです。真のご子女様を中心とした二世の時代に転換するこの時に、お父様はご自身の責任によって養子・養女とした祝福家庭を入籍させ、次の二世の時代を、違う次元で出発できるようにしておられるのです。
 

 お父様は私たちの知らないところで、だれにも相談せず、だれの協助を受けることもなく、入籍の準備をしてこられました。
 

 お父様は「ジヤルジンに行って四十日修練を受けなさい」「総生畜献納祭をしなさい」と、さまざまなことを私たちに願われました。私たちが一つでも実を結ぶことができるように、一つの条件でも立てることができるように、配慮してくだったのです。私たちを入籍させるために準偏し、教育をしてこられたのです。
 

 そして、「これからは直接主管することができなくなる。私が直接主管しなくても、私が語った御言を訓読しながら、自らを教育し、自らを叱責しなさい」と、訓読会の伝統を、私たちに強調してこられたお父様なのです。
 

 このような内容はすべて、私たちを入籍させ、私たちを永遠に生かしてくださるための準備です。お父様はそれを、お一人でしてこられたのです。それは純然たる父母の心情です。
 

 子女達が御旨を悟ることができず、時を悟ることができず、重ねて強調してもそれを悟ることができず…、それでもお父様は、黙々と、このような準備をしてこられました。
 

 このようなご父母様のIt に私たちは、申し訳ないという心情をもたなければいけないと思います。
 

 きょうこの時点において、祝福家庭の状態は、真のご父母様が見つめられる時、どのような姿でしょうか? それを再確認しなければなりません。
 

 私たちは長成期完成級で祝福を受けました。それゆえ、残りの一段階、つまり完成段階は本来、私たちの責任で上がっていかなければならないのです。
  その完成段階は、私たちが至誠を尽くして責任を全うし、御言に一〇〇パーセント従順に原理f的な生活をすれば、祝福後七年目に越えることができるのですが、ここに集まった私たちは七年どころか、多くの年月が過ぎても、完成基準に立ち得ていないのです。
 

 自分自身に「あなたは原理を中心として完成したか?」と問えば、だれも自信をもって「そうだ」と答えることはできません。それが、今日の私たちの姿です。
 

 未完成というだけなら、まだいいのです。満たして完成すればいいのですから。ところが、さらに私たちには、堕落性、習慣性 が染みついているのです。御言どおりに生きることができず、世の中のよこしまな流行や基準に合わせ生きてきたので、サタンが讒訴する内容が私たち
に残っているのです。
 

 このように私たちは、不足な面と同時に、罪の一面、つまりサタンが「私のものだ」と讒訴する条件があるのです。その二つの面をもっているのが、私たちの今の姿なのです。
 

 ここにおられる方の中で、「私はそうではない」という方は真に幸福な方ですが、大部分は同意されるのでは
いかと思います。同意されますか? (「はい!」)。
 
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   お父様ご自身がサタンー側に条件を提示

 しかし、これ以上遅らせることはできないのです。天運が訪れ、真のご父母様の時代が始まるのです。重い荷物、清算されなければならない頭の痛い内容までも、真のご子女様に相続させることはできないのです。ご父母様に重荷を背負わせたいと思いますか?  そうは思わないでしょう。
 

 生涯、孤独な道を歩まれ、だれの助けも求めずに、御旨に全責任をもってこられたお父様が、残された重荷を風呂敷に包み、ご子女様に「二世時代が来たので、私はもうできない。これもあなたが一緒に預かりなさい」とは言われないのです。それゆえ、お父様はさらにお忙し
いのです。
 

 私たちは内容も知らずに、ここに集まってきましたが、お父様はそのようなお立場です。
 

 「入籍のための二十一日修練会がある」と、突然聞いたので、皆さんは準備するのも難しいくらいだったでし
ょう。

 お父様は、祝福家庭に対して大きな期待をしておられましたが、祝福家庭は責任を果たすことができませんでした。お父様は真のご子女様を犠牲にして、祝福家庭に投人してこられたのです。その祝福家庭が責任を果たさないのですから、お父様はとても切ない心情を抱いてお
られました。

 時々、食卓や私的な席で、お父様がそのご心情を吐露される時、私はとても心苦しく、真に申し訳ない悪いになりました。
 

 そのようなお父様のご心情を知っていた私は、「この二十一日修練会が始まれば、私たちはしかられるだろう。思う存分打たれて、赦しを受けよう」という思いで、第一次の二十一日修練会を迎えました。
 

 ところが、一次から三次までの修練会でお父様は、三回もおしかりになりませんでした。それどころか、草創期を回想して笑われ、歌を歌わせ、踊らせ、御言を語られました。「なぜだろう…」と、私は驚きました。
 

 そのことに対して、私なりに結論を出しました。
 

 お父様が「私がすべての重荷を担い、私の責任のもとですべてを赦し、解決してあザなければならない」と決

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意されたように思うのです。
 

 しかし、個人、家庭の背後では、神様とサタン側の熾烈な闘いがあるのです。先ほどもお話ししたように、私たち祝福家庭は未完成なだけでなく、サタシ側から讒訴を受けざるを得ないさまざまな罪があるのです。
 

 そのような罪のある祝福家庭を、お父様が入籍させようとするわけですから、お父様ご自身が、サタン側に何か条件を提示されたはずです。ご父母様はそのことについては語られませんが…。
 

 このような点から、今までもご父母様の前にあまりにも多くの負債があった私たちですが、今回の入籍の恩賜を受け、さらに大きな、量り知ることのできない負債を負うことになるのです。そのような事実を悟らなければなりません。
 

 これを木に例えてみましょう。
 

 私たちは養子・養女という立場で、真のご父母様という木にぶら下がっている実です。実は、秋までに結実しなければなりません。実らなければ、途中で落ちてしまい、その実は種の役目を果たすことができません。実る前に落ちた実は、越冬することができず、腐ってしまい
                                                                                     
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ます。 


 では、このたびの入籍修練会、入籍の祝福式とは何でしょうか?  真のご父母様という木から独立する時を迎えたということです。私はそのように解釈しています。
 

 今やこれ以上、真のご父母様にくっついていることはできないのです。なぜなら、二世時代が始まるからです。私たちは一世の祝福家庭として、独立した種とならなければならないのです。
 

 祝福を受けた私たちが完成した種となり、地に落ち、春には芽を出し、独立した木となっていくのです。そして、真のご父母様の周辺の垣根にならなければならないのです。そのような時を迎えたということです。
 

 私はふと、カンガルーを思い出し、お父様のご苦労が偲ばれました。
 

 カンガルーは、子供を産むと前のポケットに入れて、子供が自分の足で歩き独立して暮らせるようになるま
で、その中で育てながら歩き回るのです。
 

 私たちはカンガルーの子供のように真のご父母様のポケットの中で成長し、七年が過ぎれば独立していかなければならないのです。ところが、七年たっても出て行こうとせず、十年、二十年たっても出て行こうとしません。
 

 それも一名や二名ではなく、数万、数百万名がすべてその中に入っているのですから、真のご父母様はどれほど重く、どれほど大変でしょうか。
 

 それでもお父様は、時がそうでない限り、おそらくずっとそれを抱いて走り回られることでしょう。しかし、第四次アダム圏時代、第二次四十年路程、二世時代が始まるので、そうすることができないのです。

   真のご子女様は私たちの命の綱

 私たちは、世の中や他宗教の人々の前に、「私たちは侍る信仰をもっている。成約時代は侍義の時代である」と誇ります。私たちはおぼろげながらも「侍らなければならない」ということは知っています。

 そして、侍義の生活として、各家庭では、真のご父母様のお食事を供え、真のご父母様の座布団を準偏し、真のご父母様のお写真を置き祈祷する場所があるでしょう。しかし、侍義というのは、それで終わるのではありません。
                                                                                    
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 侍義とは、まさに愛を中心とした秩序のことです。それがいわゆる、カイン・アベルの原則です。
 

 そのカイン・アベルの原則を知らない人はいないでしょう。しかし、それを具体的に生活の中で実践することが、どれほど難しいでしょうか? 
それが難しくならざるを得ないのは、サタンのゆえです。サタンが最も嫌うことは、統一であり、和合であり、サタンが最も喜ぶことは、分裂です。愚かな私たちは、サタンの戦略に翻弄されているのです。

 

 カイン・アベルの原則は、原理試験のためでも、牧師との関係をうまく保つためのものでもありません。その最も根本的な目的は、カイン・アベルの道理を学んで、侍義の生活を完成することです。
 

 先ほども、侍義の生活とは秩序であると言いましたが、その秋序とはいつたい何でしょうか?
 

 私たち祝福家庭は、いくらお父様の近くへ行きたくても、究極的な天道として、直接、真のお父様のもとに行くことはできません。私たちはまず、真のご子女様のもとへ行き、その後、真のお母様を通過し初めて、真のお父様の前に行くことができるのです。それ以外には道がありません。
 

 それゆえ、私たちは真のご子女様な「お兄様」「お姉様」と呼ぶのです。年齢は関係ありません。真のご子女様はお一人の例外もなく、私たちの永遠のお姉様であり、永遠のお兄様です。

 愛する祝福家庭の皆さん、この鉄則を肝に銘じてください。
 

 特に、今までは練習期間、訓練期間でしたが、今年から始まる二世時代は、実体的に成し遂げなければならな
い時代です。
 

 では、真のご子女様は、私たちをどのように見ていらっしやるでしょうか?  今まで私たちは、真のご子女様に対して、道理を果たしてきたでしょうか?  私たちは今まで、真のご子女様に対して、どのように振る舞ってきたでしょうか?

 私たちは真のご子女様に対して、是非を問う資格は全くありません。私たちは養子・養女に過ぎないのです。
 

 かりに、直系の子女のいない家の養子・養女になれば、養父母に侍ることが不慣れで足りなくても、養父母のものを相航することができますが、直系の子女がいる家に


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養子・養女として入っていった場合は、立場が違います。養子・養女の家の直系の子女の公認を受けることができなければ、追い出されるしかないのです。

 

 それでも父母が生きていれば、垣根になってくれるかもしれませんが、世代わり、子女の時代が来れば追い出されるのです。

 このようなことを考えると、私たち養子・養女である祝福家庭は、直系の真のご子女様から認められなければ生きる道がないのです。

 

 ところが、公認を受けるには、あまりにも速いところにいるのが、私たちの現在の姿です。
 

 では、真のご子女様のお姿について考えてみましょう。
 

 真のご子女様はどなたも、心に深い傷としこりをもっておられます。愛の傷、愛の減少感を抱え、愚かな私たちに貴い真のご父母様の愛を奪われたと思っておられます。事実、そうです。

 

 真のご父母様から「真のご子女様のだれゆえに、公的日程を変える。集会を中止にする」という話を聞いたことがありますか?

 

 真のご父母様が、私たちに対する精誠と関心の十分の一だけでも真のご子女様に注いでおられたならば、そのようなことがたくさんあったでしょう。ところが、統一教会の歴史には、そのような例が一つもないのです。

 一九八三年十二月、興進様が交通事故に遣われた時も、お父様はその悲報を聞かれても、直ちにアメリカに向かわれませんでした。韓国での公式行事を終えた後、興進様のもとに向かわれたのです。

 

 真のご子女様にとっては、そのようなことは理解し難いことでした。「どうして、ご父母様は自分たちをこのように度外視されるのか…」。

 

 ご父母様が、ご子女様の学校に一度でも行ってみられたことがありますか?  担任の先生と、一度でもお会いになったことがありますか?   か月、あるいは一週間でも、真のご子女様の相談を受け、話を聞いてあげたことがあったでしょうか?
 

 「真のご子女様が幼いからそうなのであって・成長されて、真のご父母様が神様の御旨のためになさっていることを知れば、すべて理解されるのではないか」。このような考えは夢にももたないでください!

 

 真のご子女様よりも、百倍、千倍、万倍もの御言

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を受けた私たちであったとしても、自分が少しでも疎外されたと思えば、真のご父母様を恨み、御旨を恨んで休みたいと思う性質があるではないですか?

 

 そんな私たちが、真のご子女様にそのようなことを要求するのですか?  私たちは、たかだか養子・養女に過ぎません。

 

 真のご子女様は、幹部たちが「真のご父母様を愛します。真のご父母様のために忠誠を尽くします」と言うのを聞くのが、とてもお嫌いだそうです。
 

 「あなたたちがそのようにすることが、真のご父母様を愛することですか?  それが忠誠ですか? 真のご父母様を愛するというなら、私があなたたちよりもっと愛するでしょう。あなたたちがなぜ、私の前で真のご父母様を愛すると言えるのですか?」。こう思われるというのです。
 

 では、真のご父母様の時間、愛、精誠、そのすべてを横取りした私たちが、本然の心で愛の減少感をもっておられる真のご子女様に、どのようにすれば認めていただけるのでしょうか?
 

 私たちの能力によってでしょうか?  私たちの技術によってでしょうか? 到底望むべくもありません。
 

 真のご子女様お一人お一人が、どれほど英敏で、知恵深く、どれほどの能力をもっていらっしやるでしょうか。その方々が、私たちの能力、企画力、組織力、実績などのようなものに、高得点を下さるでしょうか? そのような考えは、初めからしないほうがいいです。
 

 では、何によって認めていただけるのでしょうか?それはただ一つです。
 

 真のご子女様方の前に、言葉なく、犠牲の道を粘り強く、粘り強く、粘り強く行くことです。そのような私たちの姿を見ていただければ、いつか理解していただける日が来るのではないかと思います。
 

 私たちは自分の分限もわきまえず、真のご子女様のことについて何か言ったことはなかったでしょうか?
 

 愛する祝福家庭の皆さん、どうか肝に銘じてください。真のご子女様に対して、ああだこうだと言ってはいけません。
 

 真のご子女様は、私たちの命の綱です。そのお兄様とお姉様を通じてのみ、私たちの生命の花を咲かせることができ、私たちの繁栄と希望が成就されるのです。

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 たとえ、真のご子女様に関する心配な話を聞いたとしても、それをそばの人と話すのですか?  集まって、ひそひそ話をするのですか?
 

 真のご子女様は真のご家庭の一員であられ、真のご家庭の主人は真のご父母様です。
 

 かりに、真のご子女様にある小さな失陥があるとしましょう。真のご父母様は、何の関係もない私たちを呼んでこのような大きな福を下さり、万民を祝福され、さらに、地獄の底にいる殺人魔までも祝補してくださるお方です。そのような真のご父母様が、貴い真のご子女様に対して、何もしてあげられないと思いますか?
 

 真のご父母様は、終始一貫、いくら愚かなカインだとしても、「カインを先に十分愛した後に、アベルを愛さなければならない」という原理原則を貫いてこられたのです。


 ご父母様から愛された私たち全員が、お姉様とお兄様、お一人お一人に対して、精誠を尽くし、垣根、防波堤になるよう努力しなければならなかったのです。
 

 これが基本です。他の角度で是非を問うてはいけないのです。約束しますか? (「はい!」)。

   祖国光復に向け総力を傾ける

 二日前、お父様は「教授アカデミーの会員になって霊界に行った人々を祝福してあげなさい」と言われました。私はそれを聞いて、胸がジーンとしました。「私と因縁を結んだ人々は、私が最後まで責任を負い、私が与えることのできる恩恵はすべて与えよう」。これがお父様の
ご心情なのです。
 

 そのような人は、調査をしてみると百人を越えました。世界平和教授アカデミーは一九七三年に結成され、会員たちが真のご父母様を支持すると発表すると、学校から追い出されたりしました。お父様が孤独であられる時に、それでも教授たちが垣根になりました。
 

 しかし、教授たちが道理を尽くしたのではありません。教授たちは、お父様の期待には達し得ないことが多かったのです。それでもお父様は、祝福を与えようとされるのです。


 私たちは入籍の恩恵に対して感謝しなければなりません。「三時代転換一体圏祝福式」を通して興進様を祝福

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され、そのうえで、ご父母様と興進様が責任をもたれて、私たちの家庭を入籍させてくださるのです。

 

 私たちが完全に条件を備え完成して、入籍できたとするならば、興進様にまで責任を負わせたくないお父様で
す。
 

 しかし、二世の時代が始まります。お父様がすべての基礎的な条件を立てて私たちを入籍させてくださるのですが、入籍した後、私たちのなすべき道理がまだあるので、それに対してはお父様は興進様にお願いするしかない立場なのです。
 

 結論として、私たちには感謝しかありません。今まで受けた恩恵をも受け止めることができませんでしたが、このたび受ける恩恵も推し量ることができません。
 

 では、私たちは今から、どのようにしなければならないでしょうか?
 

 お父様は、私たちのこれからの生活において、いくつか要請をされました。総生畜献納祭です。「生きた祭物を捧げなさい。各自、自分自身から献祭を捧げなさい」ということです。入籍祝福式の後は、「自分のない生活」をなしていくために、血のにじむ努力をしなければなりません。
 

 本当に難しいことは、この体、自分の家族、自分の家庭を、いかに生きた祭物として、自分をなくし、捧げるかということです。
 

 自分自身、配偶者、子女、すべては自分のものではなく、神様のものであり、真のご父母様のものなのです。私たちはこの観念を、どのように克服していくのですか?

 ご父母様は、「祖国光復のために総力を傾けなさい」と強調され、伝道の任地を分配されました。
 

 入籍の手続きを踏むためには、神の国の領土がなければなりません。私たちは、霊界の領土に力を借り、お父様が国連を通して領土の条件を立てられたのであって、実体的な領土はまだありません。
 

 ですから、国家単位の神の領土を確立するために四年間、自分をなくして至誠を尽くさなければならないのです。また、その任地は、私たちの入籍と関連しています。
 

 私たちが責任を全うすることによって、神様と真のご父母様の、神主管の領土がなかったという恨を解いてさしあげましょう。

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   聖酒式以後、絶対に脱線してはいけない

 この入籍の手続が終われば、これからは私たち自身が各々、最高責任者となります。それは、自分のため、自分の家庭のために、直接、責任を負う最高責任者は、自分たち以外にはいなくなるということです。
 

 私たちは真のご父母様という木を離れた種として、芽を出し、独立した木になる時を迎えたのです。
 

 今まではいくら私たちが不足であっても、真のご父母様はいつも「私が祝福してあげたので、私が責任を負わなければならない。それでも、生かしてあげなければならない」という思いで、私たちに対してきてくださったのです。
 

 この入籍の聖酒式には、もう真のご父母様は出ておいでになりません。「興進様に任せた」と言われました。
 

 これはどういうことでしょうか? ある意味で私たちは今、真に深刻な位置にいるのです。自分、自分の家庭に全体的な責任を負うのは、各自であって、他のだれでもないのです。

 今後は、私たち自らが責任者です。自分自身に対する責任だけでなく、自分の息子・娘に対する責任、自分の孫・孫娘に対する責任、すべての子孫と家門に対する責任、そのすべての責任を、祝福を受けた一世が背負うのです。深刻です。
 

 父母時代から、二世時代になりました。父母は養子・養女だとしても、また、その養子・養女が責任を果たせなかったとしても、父母の心情で赦してくださいました。

 今、二世時代になり、天上に興進様、地上には顕進様を立てられました。真のご子女様が私たちをご覧になるその心は、父母の心ではなく、兄弟の心です。兄弟の心と父母の心がどれほど違いがあるか、私たちは経験しています。
 

 私たちは今後、自分で責任を負わなければならないのです。聖酒を飲んだその瞬間から、真のご父母様は私たちに救援のみ手を差し伸べることができないのです。私たちが責任を負うのです。
 

 お父様は時々「今から、法によって統治する時が来る」と語られます。法というのは、兄弟関係です。父母と子女の関係は、法を超越します。兄弟関係では、法で正す

 

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ようになるのです。

 

 それで、お父様はこう言われました。

 

 「あなたたちを独立した種として認めてあげたにもかかわらず、誤れば、腐る実となって、一族が滅びるしかない。そうなれば、家庭的な地獄が生まれるしかない」

 

 だれも例fなく、各自が、深刻に責任をもたなければならないのです。
 

明日、聖酒式を行います。


 聖酒式に関してお父様は、「この聖酒式以後、絶対に脱線してはならない。サタンの究極的な罠に引っかかってはならない。この点を徹底して、聖酒を飲むようにしなさい」と言われました。
 

 天地父母様がこれ以上、救援のみ手を伸ばすことができないので、そのように切々と願われるのです。
 

 私の説明で、どの程度理解されたか分かりません。私がお父様の御言を完全に消化するには限界がありますが、自ら感じて消化したままを申し上げました。
 

 これを参考にして、ぜひ感謝の心をもち、真のご子女様と正しい関係を確立してください。
 

 皆さん、サタンの決定的な讒訴を受ける脱線行為が、二度とないようにしてください。これを肝に銘じてください。
 

 家庭を大切に育てていくようにお願いします。 <終>