パシセラ氏よ、原理は西洋思想だけではない!! | peaceのブログ

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「天の父母様聖会」とは、政治、宗教、経済、学術、メディアなどのの壁を超えたコミュニティーです。
人類の父母である神様の元に人類が一つの家族となり、平和世界の建設という理念を掲げているのが、「天の父母様聖会」です。


 

私がこれまでも「パシセラ氏、「独生女理論」があれば「独生子理論」もあって然るべきだが?!」と書いてきたが、パシセラ氏からは一向に「独生子理論」「独生子論」というものが出てこない。

世界のクリスチャンたちはイエス様を「神の独り子(独生子)」と呼んでいるが、その根拠はどこにあるか? だ。

その根拠も語らずにお母様の「独生女」批判キャンペーン、だけでなくお父様が語られた「独生女」のみ言も隠されて(否定されて)いる。

独生子に対しての独生女であって、その独生子が何たるかも理解できていない中での独生女批判は片手落ちというものである。

 

さて、今回のお母様のみ言(以下引用)を挙げての批判だが、

(したがって、人々を無知から目覚めさせてください。あなたはそれを教えなければなりません。真の家庭メンバーに関して、いくつかの問題がありました。彼らは天の摂理を理解していません。)

「彼らは天の摂理について理解しています。(註:英文では "They do not understand Heaven's providence."です。つまりは、【理解していません】です。)一人は長子であると主張しています。西洋においては、長子の概念が強いかどうかわかりませんが、東洋においては、特に儒教においては、長子の概念が強いです。長子が家を引き継ぎます。長子が他界すれば、次男や三男が長男になるのではありません。系統は、長男の息子に引き継がれるのです。息子の責任です。どんなに叔父が年が上でも、長男の息子を中心として、長男に侍って、先祖に侍るのです。これが東洋の、儒教の文化です。

 

しかし、天の摂理においては、真の父母が天と地と人類の真の父母であるということです。その前にも後にも天と地と人類の真の父母はいません。それは、相続者とか後継者という概念が無いということです。わかりますか?

 

天と地と人類の真の父母の伝統を引き継ぐことにおいて、長子はその伝統を引き継ぐ中心人物となることができます。簡単に言えば、長子は大祭司に似た位置です。それぞれの国に大祭司はいます。それぞれの国に責任を持った人が、その国の大祭司です。しかし、真の父母の伝統を立てるという、摂理全体に関して言えば、世代を引き継いで長男が使命を引き継ぐのです。わかりますか?」

このみ言こそが、三男派にとっては致命的なダメージとなったことは言うまでもない。

三男さんが長子だ! 後継者だ!」と騒いで今日まできたその意味が全て覆される結果となるからだ。

 

以下はパシセラ氏からの引用:

上記の内容については、たくさんのことを書くことができるのですが、なるべく絞って、書くことにして、今日は、“長子の概念は東洋的、儒教的なものである”という内容について書きます。

 

まず長子というのは、神様の創造の原理の中にあるものです。東洋の思想、儒教の中で大切にされているから、大切だ、というのではありません。原理講論に書かれている長子権復帰は、聖書の歴史をもとに書かれたものだったでしょうか、東洋の儒教の歴史について書かれたものだったでしょうか?聖書です。儒教ではありません。

 

また原理講論に、サタンに奪われた長子権をアベル・カインの摂理を通して復帰するという内容が繰り返して出てきますが、もともと長子権というものが神様の創造の原理に無ければ、奪うことができるでしょうか?そして、奪われたとしても、長子権が大切なものでなければ、どうして神様は、長い年月をかけて、長子権復帰をされようとしたのでしょうか?長子というのは、神様の創造の原理の中で中心的な意味を持っているものだから、長子権をめぐった争いがなされたのです。儒教で長子が大切だと言っているから、長子権をめぐった争いがなされたのではありません。

このパシセラ氏の意見から、東洋思想を否定してあくまで西洋思想だけを押し通そうとしている点が全体的に見られる。それによってお母様のみ言が間違っている、とでも言いたいようだ。

ところが、統一原理そのものは西洋だけのものでもなく東洋思想も和合してなされている点がこれまでのキリスト教と異なる点であった。それによって、これまで「統一教会は異端だ」といわれてきた所以の一つはここにもあった。

パシセラ氏は創造原理のみを強調するが、その創造原理の「二性性相」について書かれた部分に易学の話がでてくるのをみても、パシセラ氏の主張が妥当でないことを物語っている。もちろん、原理講論が聖書だけの内容で書かれたなどとはお父様も語られていなかった。

明らかなパシセラ氏の三男さんをどうにか、といった妄想からのものであり東洋思想--儒教文化を否定することなど出来ない。

さらには、「儒教で長子が大切だと言っているから、長子権をめぐった争いがなされたのではありません。」の一文そのものにも大きな誤魔化しが内在されていた。儒教で長子を大切にすることでその長子権争いがない。ところが、その伝統を踏みにじることで争いが生じてきたのであった。原理講論に書かれたアベル・カインのそれもまた、長子権復帰を巡ってアベル・カインが殺し合えと教えていたはパシセラ氏の主張であるようだ。

三男さんもまた同じように教えていたのか? 「伝統を破れば混乱が生じる」は三男さんが語っていたものだ。

https://ameblo.jp/peace-tomy4509/entry-12325674937.html

 

   

 

そもそもの話だ。「原理講論に書かれている長子権復帰は、聖書の歴史をもとに書かれたものだったでしょうか、東洋の儒教の歴史について書かれたものだったでしょうか?聖書です。儒教ではありません。」は、パシセラ氏は聖書すら読まれたことがないようだ。

お父様のみ言にも出てくる「タマル」という聖書の女性をご存知ないのか?

彼女はユダの三人の息子と結婚をする。後継ぎがなく長男が死に、その長男の跡継ぎのために次男と結婚、ところが、その次男も亡くなる。ユダは三人目の息子まで失うのではないかと思ってタマルに三男を差し出すことを躊躇した。そこでタマルは遊女に成り済ましてユダと関係を持った、というのが聖書の話だ。長子を大切にする伝統は聖書の中にもある。

ほかにも旧約聖書の「ルツ記」もまた、長子の話であった。異邦人の妻・ルツは、その夫がいなくなってもしゅうとめの元を離れようとはしなかった。故郷に帰るしゅうとめと行動をともにし、しゅうとめの夫エリメレクの一族のひとりボアズと結婚をすることとなる。ルツ記は4章くらいの短いものなので詳細はそちらで確認されてみては。その中の一節の引用は以下。

そこでボアズは言った、「あなたがナオミの手からその地所を買う時には、死んだ者の妻であったモアブの女ルツをも買って、死んだ者の名を起してその嗣業を伝えなければなりません」。

                          (ルツ記第4章5節)

そして、これがマタイ伝第1章にも書かれているイエス様の系図であった。ルツによるボアズの血統からダビデ、ソロモンが生まれることともなった。このように聖書にもまた儒教のような長子の伝統が書き記されている。原理講論が聖書の歴史を元に書かれていたとしても、儒教文化を否定したものでもなかった。

パシセラ氏よ、

よってお母様が儒教の話で「長子」のことを語られたとしても何らの問題はないということだ。

 

ここでもまた、リブログ:お父様のみ言「独生女」とパシセラ氏の「独生女批判」、どちらが?」と、間違った考えから三男さんを持ち上げようとするパシセラ氏のそれを信じることが出来ようか!! 

 

パシセラ氏は「三大王権」のことも書いていたが(以下に引用)、

以下は、文先生の家庭の誓いの説明のお話からです。日本語では「三代」とありますが、引用している部分は、三大王権に関する説明からです。

 

「アダム、エバは何をすべきかというと、神様の形状を完成させなければならないのです。神様の形状は、人類の父母であると同時に万国の王です。アダムとエバが堕落して三代権限を失ったのです。人間のうちアダムは第一子、長男です。長子権を持っているのです。アダムは神様の長男です。長子権を持ったのです。その長子が何かというと、父になるのです。長子権、父母権. . .。父母となって何をしますか?後には王となるのです。三代権限とは何ですか?一つは長子権、その次には父母権、その次には王権です。三代権限を賦与されるために、私たち人間は生まれました。」

ここでもまた、皆さんは文章の誤魔化しに気づかれただろうか?

このみ言では「アダムとエバ(アダム家庭)が堕落して三代権限を失った」となっており、長子権を巡っての「三代圏」とはなっていなかった。

アダム家庭が失った「権限」とは、創造理想を完成しての「長子権(長女権)」であり、神様から祝福を受けては「父母権」、そして、その家庭を拡大した中での「王権」の三代権限、言葉を変えるとすれば「三大祝福」を失ったということです。

アダムとエバが堕落したことでその息子であるアベル・カインの長子(権)を巡る争いが始まったわけではなかった。

 

 

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