Baqzan CREW / まかせる
Baqzan CREW / まかせる
2.26といえば ぼくたち日本人にとって
Nujabesとともに 忘れてはもったいない人物がいる
作家 田中小実昌さん 通称コミさんだ
ぼくなりの言葉で言うと 路上に根ざした
一流の “ストリート文学” ってトコだろうか?
東京大学文学部哲学科中退。軽演劇、バーテンダー、将校クラブの雑役、
香具師などの職を転々とした後、翻訳、文筆業へすすんだ
との経歴からでも クロスオーバーなストリートワイズの芳香が匂ってきそうだ

いわゆるあまたの創作小説とは一線を画す
物語性を廃した 内省的だが 決して窓を閉じていない
風通しの良い作風が クセになる味わいだ
香具師の口上 ラッパーでいうとフロウと
翻訳で研いた 活きのいいリリック
その自由なコトバ自体 音楽として“粋”に響いてくるんだ
L.A.に急接近している S.L.A.C.K.の
飄々とレイドバックしたラップに近い感覚
Nujabesが 耳を経由した 心象風景を表現するアートだとすると
コミさんは 眼を経由した それだとおもう
両方 パレットの水彩絵の具を 白いキャンバス上に
慎重かつ大胆に点々と置いていき
全体像を浮かび上がらせていく描画法が 淡くも印象深い
コミさんの義兄にあたる画家 野見山暁治さんや 大竹伸朗さんの
ザラついたアブストラクトな絵を鑑賞したような気持ちになる
眼に焼きついた心象風景を ハードボイルドに
時系列さえ無視して カットアップで次々につないでいく手腕は
ヒップホップ・アーティストのそれだ
そのザラつき感は ジェイ・ディーが創造する音に 限りなくシンクロする
オリジナルな 五感で感じる文体=細部に神が宿るアートなんやろね
それゆえ 作品がいつまでも古くならない 要するに “モダン” なんだ
良きアメリカのミッドセンチュリーを支えた家具メーカー
ハーマン・ミラーのデザイナーだった
ジョージ・ネルソンによる モダンの定義が 笑ける位そのまま当てはまる
存在価値があるということがモダンなのです。
なぜならそれはほかの何ものでもないし、それ故に何の説明もいらないし、
自己主張の旗をふることも必要ないのです。
<現在>の可能性を駆使して、一つの形にまとめたということになります。
過去は、その過去の時点での<現在>なのです。
どこにも属さず 本質的に自由で
松尾芭蕉のような 漂泊の詩人だったコミさん
晩年は 夏と冬に 長期にわたり 海外に滞在していた
デトロイトからロスに移住し 若くして病に倒れた 音楽家 ジェイ・ディー
偶然にも コミさんも 最期は2000年2月26日に 肺炎のためロスで客死している
旅人を引きつけてやまない自由な街 西海岸L.A.
ぼくらには 気付き 学ぶべき宿題がたっぷり残されている
が 大丈夫 バスの窓は開け放たれているハズだ
(↓ニットキャップをかぶった マッドリブに見えてくる…!?)

そうだ 音楽家・Nujabesが亡くなって 今日で丸2年経つのか
水紋が心に拡がっていくような 力を秘めた澄んだ音と
同じ歳のホトケ顔に共感を覚えていただけに
突然の訃報に脳天を殴られたような衝撃を受け 涙が止まらなかったのを覚えている
先日「三鷹のハービーマン」って記事で
Nujabesと村上春樹さんの共通性についてお話したが
その後 たまたま見つけた 知らない方のブログに
Nujabesに会った時の興奮と喜びをともなう 驚くべき証言が残されていた
「ちなみにセバさんに村上春樹さんの本を熱心にオススメされたので、
機会があれば読んでみたい。」
内容があまりに興味深かったので 他の記事も読みすすめると
何と! アタマのPV製作者による記事であるという事実にブチあたった
何でも 好きで作ったPVを気に入ったNujabesから 会おうという連絡が入ったようだ
話題も 「もし東京に大地震が来たらどうしようとか」 あまりに示唆に富む内容で
磨き抜かれた感性は 未来さえもキャッチしてしまうのかと 霊感さえ感じてしまう
まるで 軽妙なミステリ小説を読んでいるかのようだ
Nujabes生前の2007年末に出た エッセンシャル・メロウ・ビーツという本の
音楽文筆家 吉本宏さんの記事にこうある
とある渋谷のバーのカウンターで、Nujabesに
「トラックメイカー界の松尾芭蕉になって欲しい」と伝えた。
抽象的だが、自分好みのトラックからは、芭蕉の句のように、
夕暮れの風景や雨上がりの匂い、
満点の星空や煌く水辺などの情景が浮かぶものが多い。
それを受けて 初対面の二人と同席したという橋本徹さんは
2年前の追悼文に当時の印象を記している
彼は照れながらもとても嬉しそうに見えた。
また ドナルド・キーン氏は 翁の句について 次のように語っている
(帰化予定名:鬼 怒鳴門ってめっちゃイカす!)
「古池や蛙飛び込む水の音」
ここでは「古池」が永遠に流れる時を意味し、「蛙飛び込む」が瞬間を意味します。
つまり「永遠」と「瞬間」という両極端の世界が、対峙した刹那が表現されているのです。
幾何学的に見て「古池」が横、「蛙」が縦、その瞬間に生ずる水の音…。
素晴らしい。あの俳句は、見事なものです。
Nujabesや 横井軍平さん 坂本九さん 向田邦子さん たちの非業の死は
一見平和ボケし ガラパゴス化していくぼくたちに
みえないものに目を向けるきっかけ
文字どおり命がけのメッセージを発してくれている気がしてならない
心の眼を開き 日常に潜む“美”に気付くこと
そんな自分なりのNotesを積み重ねていきたいと強くおもう
瀬葉淳さん 力をくれて本当にありがとう
心よりご冥福をお祈りします