「はこね子どもまつり」に向けて、
本日、市民の森にて鯉のぼりの掲揚を行いま
(写真は昨年撮影)
お祭りは、5月5日(日)10時から。
ピースプロジェクトでは、
スーパーボールすくいやビンゴゲーム、巨大エアー遊具、
キックボクシング体験などをご用意しております
多くの方々のご参加をお待ちしております!
非売品のため、1冊につき1000円以上のご寄付をいた
ご寄付は全額、印刷代、送料、および東日本大震災の復興
内容>津波が迫る中、沖へと舟を出す漁師としての生き様
3月9日に福島県新地町にある新地小学校でプラネタリウム上映会に参加しました。
これまでもボランティアとしていろいろなところを訪れましたが、新地町は初めてでした。
常磐線の新地駅は、そこが駅だと言われるまで気づかないほど荒れ果てていました。
駅舎はもちろん線路もなく、プラットホームはめくれて土がむき出しになり、枯れ草がしげっている。
震災前は、自分が住む東京の上野駅や日暮里駅から繋がっていたかと思うと不思議な感覚でした。
そこから数キロ北上したところに小学校がありました。
建物は残っているものの窓ガラスはすべてなくなり、校舎のなかはめちゃくちゃ。
廊下の先には海がすぐ近くに見え、少し怖くなりました。
この小学校は津波を受け流すよう海に向かって縦長に校舎が建てられていて、
窓ガラスが多かったので波の直撃を受ける壁面が少なく、
校舎内に流入した濁流が外に流れ出やすいように廊下が設計されていたおかげで、
周囲には建物一つ残っていない状況でも校舎だけは生き残ったそうです。
津波は校舎の2階に達しましたが、屋上へと避難して児童約90名はみんな無事だったそうです。
内陸へと逃げていたら結果は違っていたかもしれません。
本当に紙一重だったのだとあらためて感じました。
震災から2年が経ち、被災地から離れて暮らしていると復興は進んでいるような錯覚になります。
でも、朽ち果てた建物を目の前にすると現地を訪れなければわからなことはたくさんあるのだと実感しました。
食事のために入ったお店の女店主さんが、
「この店もカウンターまで津波が来たの。もうお店は無理かなと思ったんだけど、
いろんな人が手伝ってくれてなんとか4月末に再開できたのよね」
と明るくおっしゃっていたのがとても印象的でした。
そのお店の数十メートル先からはもう何もありませんでした。
子どもたちは元気でした。
新地小学校の体育館で設置したドーム型のプラネタリウムからは大きな歓声が沸き上りました。
ビンゴゲームや輪投げ、スーパーボールすくいにはしゃぎ、竹とんぼを飛ばしては体育館中を駆け回っていました。
子どもの元気な姿に、やっぱり私たちも元気になります。
何をもって復興というかは難しいですが、これからも子どもたちが元気いっぱい遊び回れるようなお手伝いをしていきたいと思いました。
ピースプロジェクト/ボランティアスタッフ・小林通孝
2月23、24日と初めてピースプロジェクトのスタッフとして福島県飯舘村の子供達との交流ボランティアに参加しました。
わたしは2011年の3月11日以降、石巻、女川、釜石を別の団体や個人的にボランティアとして訪れていましたが、原発の被害を受けている福島をまだ自分の目で見ていなかったのでとても興味がありました。
私たちが訪れた飯舘村は、放射線濃度が非常に高く、村は村民が避難していたため、もぬけの殻でした。
中学校も飲食店も、人が誰もいません。メディアからの情報で、原発の被害を受けた村や町で人が誰も歩いていないという映像や記事を見たことはあったものの、それが目の前に本当にあったこと。不思議な光景でした。
また、誰もいない中学校にあった放射線濃度を図る機械を見て、何も言えなくなりました。
今までわたしが訪れていた土地は、全ての町が津波の被害を受けていて、建物の倒壊や壊滅的な土地を見て、被害の状況を目の当たりにしてきましたが、この村はいたって普通です。
倒壊した家なんかひとつもないし、道路だって陥没もしてないし、車も走ってる。
見えない敵にやられているだけで、みんな避難をする。悔しい思いばかりしてきたんだろうなと感じました。
偶然知り合った農家のおじさんが、娘を避難させて自分は村に残った話や、家畜の馬の話をしてくれました。
雪の中動かないでじっとしているこの馬の下には、栄養失調で死んだ馬たちが埋まっているそうです。
この馬のこの寂しそうな眼が忘れられないです。
その農家のおじさんが、去年、公開された園子温監督の映画「希望の国」で主役を演じた夏八木勲そのものでした。
自分は村に残るけど、娘息子を避難させた話、道を挟んだ家の犬の面倒を見ていること。
本当にそのような人たちがいるのは、頭ではわかっていましたが、実際目の当たりにすると言葉が出ませんでした。
翌日の飯舘村の集会では、たくさんの方が足を運んでくれました。福島のこどもたちは、想像をはるかにこえる元気な姿でみんな笑って、ビンゴやスーパーボールすくいなど楽しんでくれていました。
わたしは今回がピースプロジェクト初参加でしたが、元気な福島のこどもたちにまた会いに行きたいと思いました。
原発事故以降、様々な情報があり、福島や東北の方達に対する様々な意見がありますが、
一概にどれが正しいというわけでもなく、どれが間違っているということもないのではないかと思います。
実際、今回のボランティアに参加するにあたり友達や家族からは放射能が高いのに大丈夫なのか。と心配されたりしましたが、
一部ではありますが福島の様子を自分の目で見て、匂いを嗅げたことはわたしにとって、とても意味のあることでした。
これからも東日本大震災の被災地に足を運ぶつもりです。
ピースプロジェクト/ボランティアスタッフ・稲葉里美
(会場:パルセいいさか)に参加します。
飯舘村は放射能の影響から全村避難を余儀なくされています。
とくに借上げ住宅は福島県内に点在しております。
子どもたちは1時間以上かけて通っています。
役場としても、ふれあいがなくなってしまうことを重く捉えています。
「ふれあい集会」です。昨年も2月上旬に開催しました。
今年は子どもたちにも、もっと楽しんでもらいたいということで、
ピースプロジェクトにお声がけいただき参加することになりました。
震災から1年ほどは、
美しい自然の残る飯舘村が放射能の影響で住めなくなったと
マスコミからも注目され支援の手も多く入っていましたが、
2年が経とうとする今、その手は少しずつ減っているそうです。
また、この度、放射能の影響で避難区域として、
さまざまな制限のある地域での活動に備えて、
一目でNPO団体とわかるよう常時IDカードを示せる
ネックストラップをつくりました。
これからは、常時携帯して活動していきます。
飯舘
そのため、仮
6
震災前は1700世帯だっ
村ではできるだ
2月下旬にふれあ
私たちは、そのお手伝いをする予定です。
[畑は荒れ、民家に人の気配はありません。収穫されずに残ったのか、
枯れた小さなナスがいくつも垂
3つの小学校の合同仮設校舎には220名の生徒が
歩いて通っているのはわずか4名。
1時間から
バスが遅れること
その穴埋
そんな状況が1年以上も続
村での暮らしを忘れてしまわないか先生
[飯舘中学校に設置されている線量計。
この辺りは総じて、
馬が6頭、身を寄
定期的に餌はもらっているよ
ただ、私たち
こちらにむかって
馬のことはよくわかりませ
そんな悲しい叫び声
私たちが立ち去ろうとすると呼び止める
何度も何度も「匕、匕~ン」と鳴いていました。
期間中、たくさんの方に足を運んでいただきまして、
本当にありがとうござ
また、作品をご提供いただいたアーティストの皆様、
運営を手伝っ
この場を借りて厚く御礼申し上げます。
『ピースプロジェクト』の活動はまだまだ継続していきます。
これからも温かいご支援よろしくお願いします。