被災地復興支援、ボランティア活動のNPO法人ピースプロジェクト -2ページ目

被災地復興支援、ボランティア活動のNPO法人ピースプロジェクト

東日本大震災で被災した岩手県、宮城県、福島県で物資支援、炊き出し、復興イベントなど復興支援活動を行っています。私たちの活動は皆さまからの寄付、募金に支えられています。これからもあたたかいご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。


「はこね子どもまつり」に向けて、
本日、市民の森にて鯉のぼりの掲揚を行いま
した!
(写真は昨年撮影)

お祭りは、5月5日(日)10時から。
ピースプロジェクトでは、
スーパーボールすくいやビンゴゲーム、
巨大エアー遊具、
キックボクシング体験などをご用意しております


多くの方々のご参加をお待ちしております!


鯉のぼり

ポスター

昨年に引き続き、今年も5月5日(日)のこどもの日に陸前高田箱根伝承館で開催される「はこね子どもまつり」に参加します。

企画運営は今年から地元の方々へバトンタッチし、出展者としての参加です。

スーパーボールすくいや巨大エアー遊具などを行います。

たくさんの方のご来場をお待ちしております!


ポスター


震災発生から約2年間。これまでピースプロジェクトの活動を
支えてくれていた『ウニモグ』が、本日をもって貸与終了となります。

元々日本では走れない基準の車でした。
震災の復興支援にダイムラーから贈られたこの車を
日本財団様が国交省と交渉して2年間の特例措置として許可を得て、
ピースプロジェクトの活動車輛として無償貸与いただいていました。

本日、これから仙台の三菱ふそう事務所に納車します。
その後は解体されることになっています。

長きにわたり貸与いただきありがとうございました。


ウニモグ


東日本大震災で被災した石巻市牡鹿半島の元東浜地区災害対策本部長・豊島富美志さんの被災1日目から359日間を綴った回顧録(A5サイズ、180P)を作成いたしました。

非売品のため、1冊につき1000円以上のご寄付をいただけましたらお送り致します。
ご寄付は全額、印刷代、送料、および東日本大震災の復興支援活動にあてられます。

内容>津波が迫る中、沖へと舟を出す漁師としての生き様。約400名の避難者たちの命をあずかる本部長としての想い。自衛隊撤退後、自治体からの物資が届かず何度となく孤立。避難所では何が起きていたのか。極限の日々が克明に記されています。
お申し込みはこちら

豊島さん

プロフィル冒頭



3月9日に福島県新地町にある新地小学校でプラネタリウム上映会に参加しました。
これまでもボランティアとしていろいろなところを訪れましたが、新地町は初めてでした。




常磐線の新地駅は、そこが駅だと言われるまで気づかないほど荒れ果てていました。


駅舎はもちろん線路もなく、プラットホームはめくれて土がむき出しになり、枯れ草がしげっている。


震災前は、自分が住む東京の上野駅や日暮里駅から繋がっていたかと思うと不思議な感覚でした。



新地駅



そこから数キロ北上したところに小学校がありました。


建物は残っているものの窓ガラスはすべてなくなり、校舎のなかはめちゃくちゃ。


廊下の先には海がすぐ近くに見え、少し怖くなりました。

この小学校は津波を受け流すよう海に向かって縦長に校舎が建てられていて、

窓ガラスが多かったので波の直撃を受ける壁面が少なく、

校舎内に流入した濁流が外に流れ出やすいように廊下が設計されていたおかげで、
周囲には建物一つ残っていない状況でも校舎だけは生き残ったそうです。




津波は校舎の2階に達しましたが、屋上へと避難して児童約90名はみんな無事だったそうです。
内陸へと逃げていたら結果は違っていたかもしれません。
本当に紙一重だったのだとあらためて感じました。



中浜小学校



震災から2年が経ち、被災地から離れて暮らしていると復興は進んでいるような錯覚になります。
でも、朽ち果てた建物を目の前にすると現地を訪れなければわからなことはたくさんあるのだと実感しました。


食事のために入ったお店の女店主さんが、
「この店もカウンターまで津波が来たの。もうお店は無理かなと思ったんだけど、
いろんな人が手伝ってくれてなんとか4月末に再開できたのよね」
と明るくおっしゃっていたのがとても印象的でした。

そのお店の数十メートル先からはもう何もありませんでした。



子どもたちは元気でした。
新地小学校の体育館で設置したドーム型のプラネタリウムからは大きな歓声が沸き上りました。


ビンゴゲームや輪投げ、スーパーボールすくいにはしゃぎ、竹とんぼを飛ばしては体育館中を駆け回っていました。


子どもの元気な姿に、やっぱり私たちも元気になります。



子ども



何をもって復興というかは難しいですが、これからも子どもたちが元気いっぱい遊び回れるようなお手伝いをしていきたいと思いました。





ピースプロジェクト/ボランティアスタッフ・小林通孝




2月23、24日と初めてピースプロジェクトのスタッフとして福島県飯舘村の子供達との交流ボランティアに参加しました。




わたしは2011年の311日以降、石巻、女川、釜石を別の団体や個人的にボランティアとして訪れていましたが、原発の被害を受けている福島をまだ自分の目で見ていなかったのでとても興味がありました。




私たちが訪れた飯舘村は、放射線濃度が非常に高く、村は村民が避難していたため、もぬけの殻でした。


中学校も飲食店も、人が誰もいません。メディアからの情報で、原発の被害を受けた村や町で人が誰も歩いていないという映像や記事を見たことはあったものの、それが目の前に本当にあったこと。不思議な光景でした。




また、誰もいない中学校にあった放射線濃度を図る機械を見て、何も言えなくなりました。


今までわたしが訪れていた土地は、全ての町が津波の被害を受けていて、建物の倒壊や壊滅的な土地を見て、被害の状況を目の当たりにしてきましたが、この村はいたって普通です。


倒壊した家なんかひとつもないし、道路だって陥没もしてないし、車も走ってる。


見えない敵にやられているだけで、みんな避難をする。悔しい思いばかりしてきたんだろうなと感じました。


線量計


偶然知り合った農家のおじさんが、娘を避難させて自分は村に残った話や、家畜の馬の話をしてくれました。


雪の中動かないでじっとしているこの馬の下には、栄養失調で死んだ馬たちが埋まっているそうです。


この馬のこの寂しそうな眼が忘れられないです。


その農家のおじさんが、去年、公開された園子温監督の映画「希望の国」で主役を演じた夏八木勲そのものでした。


自分は村に残るけど、娘息子を避難させた話、道を挟んだ家の犬の面倒を見ていること。


本当にそのような人たちがいるのは、頭ではわかっていましたが、実際目の当たりにすると言葉が出ませんでした。


馬




翌日の飯舘村の集会では、たくさんの方が足を運んでくれました。福島のこどもたちは、想像をはるかにこえる元気な姿でみんな笑って、ビンゴやスーパーボールすくいなど楽しんでくれていました。




わたしは今回がピースプロジェクト初参加でしたが、元気な福島のこどもたちにまた会いに行きたいと思いました。


原発事故以降、様々な情報があり、福島や東北の方達に対する様々な意見がありますが、


一概にどれが正しいというわけでもなく、どれが間違っているということもないのではないかと思います。


実際、今回のボランティアに参加するにあたり友達や家族からは放射能が高いのに大丈夫なのか。と心配されたりしましたが、


一部ではありますが福島の様子を自分の目で見て、匂いを嗅げたことはわたしにとって、とても意味のあることでした。


子ども


これからも東日本大震災の被災地に足を運ぶつもりです。




ピースプロジェクト/ボランティアスタッフ・稲葉里美


2月24日(日)に飯舘村主催で行われる「ふれあい集会」
(会場:パルセいいさか)に参加します。

飯舘村は放射能の影響から全村避難を余儀なくされています。

仮設住宅や借上げ住宅での生活を強いられており、
とくに借上げ住宅は福島県内に点在しております。

民家
村には家主のいない民家が点在していました(2013.01)


6000名いた村民のうち、福島県内に残っている方は約7割。
世帯数は震災前の1700世帯に対して、現在は3200世帯と倍増。
つまり1家族が2つに離れて暮らしているということです。

飯舘村にあった3つの小学校は、飯坂の仮設校舎に統合されていますが、
子どもたちは1時間以上かけて通っています。
土日に集まれる場所も少なく、放課後や休みに友だちと遊ぶ機会はほとんどありません。

飯舘中学校2
飯舘中学校。現在は校長先生たちが定期的に見回りにいらしているそうです(2013.01)


役場としても、ふれあいがなくなってしまうことを重く捉えています。
せめて年に1回だけでも村民が顔をあわす機会をつくろうとはじめたのが
「ふれあい集会」です。昨年も2月上旬に開催しました。
(昨年のレポートはこちらhttp://www.vill.iitate.fukushima.jp/saigai/?p=2533 )


今年は子どもたちにも、もっと楽しんでもらいたいということで、
ピースプロジェクトにお声がけいただき参加することになりました。


震災から1年ほどは、
美しい自然の残る飯舘村が放射能の影響で住めなくなったと
マスコミからも注目され支援の手も多く入っていましたが、
2年が経とうとする今、その手は少しずつ減っているそうです。


また、この度、放射能の影響で避難区域として、
さまざまな制限のある地域での活動に備えて、
一目でNPO団体とわかるよう常時IDカードを示せる
ネックストラップをつくりました。
これからは、常時携帯して活動していきます。

ストラップ



2月のイベントの打ち合わせで飯舘村に来ています。
飯舘
村は放射能の被害で住むことができません。
そのため、仮
設住宅や借上げ住宅での生活を余儀なくされています。
6
000人の村民の7割が福島市内に点在し、家族すらバラバラに暮らさざるを得ません。
震災前は1700世帯だっ
たのが現在は3200世帯と世帯数が倍増していることが
その離ればなれの状況を物語っています。

村ではできるだ
け村民がふれあえる機会をつくろうと、
2月下旬にふれあ
い広場と題した飯舘村住民を集めたイベントを企画しています。
私たちは、そのお手伝いをする予定です。


民家 畑
畑は荒れ、民家に人の気配はありません。収穫されずに残ったのか、
 枯れた小さなナスがいくつも垂
れ下がっていました


飯舘村にあった学校は、すべて村外へと移されています。
住宅も点在しているため、ほとんどの生徒がマイクロバス通学。
3つの小学校の合同仮設校舎には220名の生徒が
いますが、
歩いて通っているのはわずか4名。

1時間から
1時間半もかけて通っているそうです。
バスが遅れること
もしばしばあり、生徒が1時間目に間に合わず、
その穴埋
めをどこかでしなければならないため、規定の授業数をこなすだけでも大変だそうです。

そんな状況が1年以上も続
いているため、避難生活がいつの間にか日常になりつつあることも現実で、
村での暮らしを忘れてしまわないか先生
方は不安を感じてらっしゃいました。

飯舘中学校1 線量計
飯舘中学校に設置されている線量計。
 この辺りは総じて、
このくらいの数値が出ていました

飯舘中学校2 飯舘中学校3
飯舘中学校です。とても立派な校舎ですが、今は使われていません。
 誰も使っていないので、定期的に見回りをされているそうです。
 本日は校長先生がいらしていました

牧場がありました。人の気配はありません。
馬が6頭、身を寄
せ合うようにしていました。
定期的に餌はもらっているよ
うで、さほどやせ細ってはいませんでした。

ただ、私たち
の姿を認めると少しずつ近づいてきて、
こちらにむかって
「ヒ、ヒ~ン」と嘶きました。
馬のことはよくわかりませ
んが、人の愛情に飢えているような、
そんな悲しい叫び声
に聞こえました。
私たちが立ち去ろうとすると呼び止める
ように、
何度も何度も「匕、匕~ン」と鳴いていました。

牧場 


【ラジオ出演】
明日の夜、ピースプロジェクトの活動をラジオで
取り上げていただけることになりました。

代表の加藤勉がゲスト出演し、
ピースプロジェクトのこれまでの活動や
これからについてお話させていただきます。

世界中どこでも視聴可能ですので、
お時間あるからはぜひお聞きください。

【ラジオ番組詳細】
「ソラトニラ銀座・大人の自由時間水曜日 RADIO MASTERS」
(毎週19時~21時まで)

「笑っていいとも」「行列のできる法律相談所」を手がける放送作家で、
ソラトニワプロジェクトプロデューサーの金森氏が、
様々なジャンルのマスターをお招きしお話を伺います。
視聴方法は、ソラトニワアプリをAndroidやApp Storeから
無料でダウンロードするか、PCで、下記アドレスから
ホームページに入って頂ければ視聴できます。
http://www.soraniwajapan.com/

昨日『ピースプロジェクト展2012』を無事に終えることができました。

期間中、たくさんの方に足を運んでいただきまして、
本当にありがとうござ
いました。

また、作品をご提供いただいたアーティストの皆様、
運営を手伝っ
ていただいた皆様、
この場を借りて厚く御礼申し上げます。


『ピースプロジェクト』の活動はまだまだ継続していきます。
これからも温かいご支援よろしくお願いします。