ある知り合いからの興味深いお話です。

 

海外から帰国したばかりの女性の話ですが、そのお子さんは海外で生まれたため、英語が母国語。

 

お母さんもあまり家で日本語を使うことはなかったため、お子さんも日本語はほとんど話せません。

 

そのお子さんの修学旅行にお母さんもついてきてくださいと学校から言われたそうな。

 

彼女の子育て経験は海外であったこともあり、なぜ親がついていくのか疑問に思い、学校に尋ねてみると、

 

何か危険があった場合を考えて、

 

とのことだったそうな。

 

危険ってなんですか?

 

と尋ねると、

 

日本語が話せないからひとりでどこか行ってしまったり、喧嘩になったり、、、、、エトセトラエトセトラ

 

彼女は頭の中が???。

 

海外では、障がい者の子どものスクール旅行であっても親がついていくことなんてありえないそうな。

 

結局、その問題は校長と教頭にまで上がり、そのふたりの意見が分かれ、最終的には彼女は同行しなくてもよかったそうな。

 

結局、なんの問題もなく、楽しそうに帰ってきたお子さんは、とても良かったという感想で、めでたし、めでたしという幕引きだったそうな。

 

日本で子育てをしているお母さんだったら、そのまま泣き寝入りでついていくことになったでしょうね。だって、日本では普通のことのようですから。

 

さて、これは一事が万事。

 

日本の学校は、ちょっと違う子どもたちを分けて育てようとする傾向があります。

 

障がいを持つ子どもに対して特別学級があったりと、その扱いは腫れ物に障る感じです。

 

そんな経験を積んできた子どもたちが大人になって、障がいをもつ人と触れ合う際に、どう触れ合っていいかわからない状況をつくってしまう。

 

何かしてあげたいと思う気持ちは芽生えても、どうしていいかわからない。

 

そんな大人が日本には多いのではないかしら?

 

その点、欧米では、障がい有るなし関係なく、同じクラス。

そうでなければ病気ですから入院しているそうです。

 

そうです。

 

学校に行けるということはそれだけでみんな同じ。

 

子どものときからそんな子どもたちと触れ合うからこそ、大人になっても普通に接することができるのですよ。

 

一方、学問となると、みんな同じにしようとする。

 

欧米のような飛び級制度、日本にはありませんよね。

 

人より進んで勉強をしたい人はどんどん級をあげていく。

 

極端な話、10歳で大学卒業してもいいんじゃない?

 

それこそが真の公平な社会なのではないかとつくづく思います。