「あなた」の語原は、

仏教用語(サンスクリット語)のアナッター。

 

意味は、無我。

 

あらゆる事物は現象として生成しているだけであり、

それ自体を根拠づける普遍的な本質は存在しない

という意味だそうです。

 

アナッターのポートレイトという作品を通して、

自分をただのゆらぎの存在であることを体験しました。

 

大垣市にある岐阜県立大学院大学の

「IAMAS」 情報科学芸術大学院大学の修士研究発表会

に潜入してきました。

 

ソフトピアで開催され、何かよくわからないまま、

研究発表を回覧し、体感してみました。

 

みているだけではさっぱりわからないので、

研究者を捕まえて、あれやこれやと説明をお聞きしました。

 

コロナ禍でどこにも行けず、地元にも帰れずの中、

 

根尾の山奥に身を置いて創作したインドからの留学生の作品、

「記憶のゆらぎ」




 

真っ暗な空間の中にただ、ランタンのような作品と光が揺らぐ空間でした。ひとりそんな中にいると、母親の子宮の中にいるような不思議な感覚が起きてきます。

 

そこにある水槽に手を置くと、水面が揺らぎ始め、その光が壁や天井に影絵を映し出します。

人によってその揺らぎ方は変わると説明されました。

これこそが、アナッターのポートレイト





 

信号機は赤と青、

何気に私たちは青だとわたってよし、

赤だと止まれと解釈していますが、

果たしてひとりひとりの心の中は

どうなのかを表した作品もありました。

 

ワクチンを打つ打たないなど、自分の中に答えはあっても、

社会で打つのが当たり前となると、

打つという選択に変わっていく。

しかし、本当の意思のところはどうなのか。

 

社会と自分とのコミュニケーションの歪みを

信号機で表現する興味深い作品でした。

 

シアターでは、

ひとりの女性が大野町の原っぱの中で

ただ単にカメラに映る事象と、

自分が感じたことを語っていくだけの作品。

 

15分間、ひとりだけで視聴させてもらいましたが、

坦坦と語るそこには論理がないからなのか、

私の中に眠るいろいろな記憶が映像になって蘇り、

なぜだか涙があふれてくる体験。

潜在意識に働きかけられるせいなのか。

 

今回の彼らの作品をすべて観覧して感じたのは、

コミュニケーションの複雑さと大切さ、

自分と他の間には隔たりがないのだという思考、

果たして20世紀から21世紀に作り上げてきたアタリマエが

未来のアタリマエなのか。

 

いや違う!

 

また生と死も区別すること事象ではないのでは?

 

すべてが延長線であり、

意識のある中でどう自分がとらえるかだけではないか?

 

そんなことを示唆する研究が多かったように思います。

 

大学からこの大学院に進学してきた若者も、

社会人からこの大学院に入ってきた研究者も、

さらにはアジアや欧米からの学生も混在する大学院、

 

10年以上先を見越して行われる研究のように思います。

 

すぐ先に役立つものではないけれど、

今こそ、こんな研究の場が必要なのではないかと

強く感じることができました。

 

午前中だけで、午後は仕事、と思っていましたが、

思わず、10時から16時半まで見入ってしまいました。

 

研究意欲、ワクワクな祝日の1日でございました。

 

さ、頭を使った後は、からだを使いましょ!

走ってきます~~~!