2000年に起業したころ、あるコンサルタントの先生による天命探求セッションを受けました。


天命を知るには、唐澤家をまずは調べなさいと言われ、ルーツを探ることに。


長野県高遠出身の曽祖父は、ボイラーエンジニアとして19世紀末にドイツに留学をしています。

そして、その後東京南千住に住まい、祖父である鶴三郎が生まれました。曽祖父は繊維工場のボイラー技術者に技術を伝授する役割を担っていたようです。


※小さい方が曽祖父&祖父 in 奈良公園

 

一方、祖父 鶴三郎は、あの嘉納治五郎の弟子として講道館で柔道師範となりました。


柔道オンリーで職に就かぬ祖父を心配して、曽祖父は紡績工場で働かせるため、祖父を大垣に送りこみました。

しかし、サラリーマンには向かない祖父はすぐに東京に戻るつもりだったようですが、住みやすい大垣の地で柔道場を開き、ほねつぎを家業として居を構えることになりました。

 

※大垣市室町にあった祖父の道場

 

柔道場はそこそこお弟子がつき、ほねつぎも当時流行っていたようです。某企業の創業者は怪我が絶えず、その度にルーツが同郷ということで祖父のもとに通っていたようです。

 

※祖父と祖母 with お弟子さんたち

 

大垣で7人の子供を授かり、末っ子が私の父 唐澤修です。


※祖父の膝の上に乗る父 修 (こんなかわいい時もあったのね💕。)

 

そして、長男は養子に、次男は戦死、長女は安八の畜産業に、三女、四女はアメリカに嫁に行き、次女は生涯独身でした。唐澤の姓を繋げたのが父。

 

そして、父と母の間に私と姉が生まれ、姉が嫁に行き、私はというと、いまだに唐澤姓。笑


唐澤の跡継ぎがいない、さ、どうする?

ということで、姉の次男を私の養子として、唐澤の姓を遺すことに相成りました。

 

その割に、甥っ子の名刺はまだ旧姓のままのため、父は彼に「なんのために養子になったんや」といつも問い詰め、

私はそのたびに転勤したときのタイミングで変えるんよね、などと私がフォローしていました。

 

そして、父が昨年他界。


唐澤の姓をついだ甥っ子がお通夜の晩は父と部屋を共にして、位牌の前でビールを酌み交わしたそうな。

そのときに父の顔を覗き込むと、眠る父の顔が笑っていると、写真を送ってくれました。


いや、ほんとに笑っているかのような表情でした。

 

家族葬を終えて、甥っ子とふたりで大垣の湯の城にマッサージを受けに行くと、いつもは旧姓で予約をしていたのに、この日は唐澤の名で予約をしていました。

 

父の亡き骸と夜を過ごし、彼の中で何かが変わったのかもしれません。

 

とにもかくにも、おじいちゃん、あの世で喜んでいるやろな。^_^

 

しかし、この養子、一向に結婚する気配無し。

 

そんなとこまで私の跡継がんでもいいのだが。。。😅


100年後に唐澤家のルーツを探る子孫を描きたいものでございます。^_^



※甥っ子と、その幼馴染と❣️