某企業のハラスメント防止研修を終えて、帰路につく途中、
某テレビ局から電話があり、
パワハラ防止法制化について取材依頼があった。
非言語情報の視点から、パワハラ防止研修講師をしているが、今回の法制化については依頼先のパワハラ名付け親であるクオレ・シー・キューブに連絡するよう、促した。
それにしても、いよいよ法制化に踏み切るとは、よほど事態は深刻なのだろう。
しかし、
パワハラと指導の違いすら未だに明確でない昨今、法制化してしまうことが果たしてどうなのか疑問である。
もちろん、悪意をもってパワハラをしているケースは、すぐにでもやめさせるべきだが、
悪意なく指導の行き過ぎから起きているパワハラを法律で規制してしまうことは、指導ができない管理者を多く作ってしまいかねない。
まずは、成長期から成熟期に入った日本社会における新たなコミュニケーションのあるべき姿を描いていくことが先ではないかと考える。
あ・うんの呼吸だの、言わなくてもわかってくれてるだろうだの、
言語を使い惜しみするコミュニケーションや、
対する相手の表情や仕草などの非言語情報に無頓着だったり、
社内の人間が髪形を変えても気づかない人が多いこと、そのことこそ、典型的な例である。
人への思いやりが世界的に評価される日本のはずが、なぜ会社内でこういうことが起きているのか、根本的に見直すべき時だ。
相手を思いやり、そして個を尊重する、新たな日本らしいコミュニケーションスタイルを創造することこそ、法制化以上に重要なことではないだろうか。