NHK朝ドラ『半分、青い』

岐阜の山ザルが東京に出て、紆余曲折の中、人生を切り開いていく話。

すごく共感しながら、毎回楽しみに観ている私ですが、中でも岐阜弁が共感を呼ぶポイント。

岐阜弁もそうだけど、田舎から上京した人間にとって訛りは恥部の一つ。

だけど、同郷の人間が集まると訛りはまるだし。

今日も高校の同級生と集い、岐阜弁ネイティブスピーカーとして気持ち良い時間を過ごせた私。

意識から無意識、よそ行きからプライバシーに変わる瞬間。

朝ドラでも、気持ちが入ると岐阜弁が出てしまうヒロイン。

朝ドラを見る度に思い出すのが、8年前に亡くなった岐阜の親友。

彼女は亡くなるまで、岐阜弁だったな〜〜。

どこでも、誰とでも、岐阜弁。

つまり、いつでもどこでも、ありのままに生きてたのかな〜。
 
言語と非言語を考える上で、

言語は理性に近いと言いながらも、

人間にとって言葉はこころを表現するツール。

訛りとは、、、?

そんなこんなを考えると、また眠れなくなりそう、、、


※岐阜高校の同級生と❣️