大変お世話になった親戚のおじちゃんが旅立ちました。
95歳でした。
戦後、苦労して満州から帰還したおじちゃんの人生は、とても充実していたように思います。
まだ、私が2歳のころ、人に懐かない大人しい子だったようです。
そんな人見知りの激しい私が、初めておじちゃんと会った瞬間から珍しく懐いたそうです。
そのあと、1年に1回の親戚旅行でいろいろなところに連れて行ってもらいました。
そのたびに、おじちゃんに手紙を書いた私は、おじちゃんからの返事が楽しみ楽しみで。
日本橋生まれのおじちゃんの手紙は、「ひ」が「し」になっていたり。
懐かしい思い出です。
親戚旅行が楽しみで楽しみで、それを生きがいに生きてたような子供時代。
大学入学で上京してきたときには、数か月居候させてもらい、
家族旅行にも一緒に連れて行ってもらったり。。。
感謝してもしきれないおじちゃんの旅立ちは、私に大きな節目のような情動を投げかけてくれました。
生をくれた父親にも感謝していますが、
生の喜びをくれたおじちゃんに心から感謝の気持ちを贈ります。
ありがとうございました。
95歳でした。
戦後、苦労して満州から帰還したおじちゃんの人生は、とても充実していたように思います。
まだ、私が2歳のころ、人に懐かない大人しい子だったようです。
そんな人見知りの激しい私が、初めておじちゃんと会った瞬間から珍しく懐いたそうです。
そのあと、1年に1回の親戚旅行でいろいろなところに連れて行ってもらいました。
そのたびに、おじちゃんに手紙を書いた私は、おじちゃんからの返事が楽しみ楽しみで。
日本橋生まれのおじちゃんの手紙は、「ひ」が「し」になっていたり。
懐かしい思い出です。
親戚旅行が楽しみで楽しみで、それを生きがいに生きてたような子供時代。
大学入学で上京してきたときには、数か月居候させてもらい、
家族旅行にも一緒に連れて行ってもらったり。。。
感謝してもしきれないおじちゃんの旅立ちは、私に大きな節目のような情動を投げかけてくれました。
生をくれた父親にも感謝していますが、
生の喜びをくれたおじちゃんに心から感謝の気持ちを贈ります。
ありがとうございました。