肺炎の後、いい気になってたら風邪か花粉症の悪化か?!


喉の痛み、咳、鼻水、熱・・・・・・


免疫が狂った状態が続く中、


久々に「つたや」でDVDを借りて、夜は早くからベッドに入り、

ゆっくりと映画鑑賞音譜

借りた映画は、


「エディット・ピアフ  愛の讃歌」


パーソナルプロデューサー 唐澤理恵BLOG Powered by Ameba


1915年12月19日パリの下町の病院で生まれた彼女のシャンソン歌手として、

ひとりの女性としての47年間の壮絶な人生を描いたもの。


パリの貧しい地区ヴェルビルで生まれた彼女は、

大道芸人である父の実母に預けられ、彼女の営む売春宿で、

幼いころから娼婦や出入りする客たちと接職して育ちます。


3歳から7歳まで角膜炎で目が見えなくなり、

聖テレーザへの祈りの後、完治したとされています。


その後、大道芸人の父と行動を共にし、

9歳の時から大道芸として謡い始めています。


その後、父から離れ、ひとりで道で歌うようになり、

16歳のときにはすでに子供がいましたが、其の娘を2歳で失くします。


20歳のときに、キャバレーの経営者に見染められ、

そこでラ・モーム・ピアフ(小雀)という芸名で歌い始めますが、

途中その経営者の暗殺により、職を失い、

再び場末の酒場での活動を再開します。


しかし、その後作曲であるレモーヌと再会し、彼の猛烈なレッスンの後、

音楽ホールでデビューし、大成功!

彼女の華やかなスターとしての道が始まります。


その後、対ナチスドイツのレジスタンスとしての活動、

そして、イブ・モンタンなど有名な歌手を育て、ボクサーであるマルセルとの恋、

そして彼の飛行機事故による突然の死


その後の自動車事故、モルヒネ生活、

1950年代後半にはボロボロの身体になりながら、歌い続ける彼女。


そして、1963年10月に47歳で人生の幕を閉じます。



壮絶な人生のなかで、彼女が歌う数々のヒット作品、

ラ・ヴィアン・ローズ、愛の讃歌、ミロール、水に流して、

数え上げればきりがありません。

142cmという信じられないほどの小柄な彼女が奏でる迫力のある歌声は


圧倒的な力強さと抒情感にあふれ、さぞかし大きく見せたことでしょう。

その頃流行った派手な舞台衣装とまったく異なり、

黒一色のワンピースドレスで歌うピアフ。

華奢なからだからすっと伸びる細い腕と足。

細長い手を大きく広げ、歌の情感を表現する独特の謡い方。



まさに彼女をエディット・ピアフとして

徹底的に印象的にすることになった演出といえます。



もちろん、

類まれな歌唱力があってのスターへの階段であったに違いありませんが、



それを後押しするだけのパーソナルデザインがあったことは確かでしょう。



レモーヌに猛烈なレッスンを受けている時の彼と彼女との会話が印象的です。



「さあ、手で歌の心を表現するんだ! 

さあ、このドレスを着て歌え!」



「観客は私の声を聞きに来るの! 

それがあれば十分なのよ!」



「うぬぼれるな! おごり高ぶった頑固な小娘さん!」



中身だけで勝負できるという思い、

それこそ人の成長を留めてしまうのかもしれません。


もちろん、中身がなければ、箸にも棒にもかかりませんけどね・・・・・・。叫び