晴れ渡る空に、身が引き締まる気持ちの良い冷たい空気!
ふとそんなメールをいただき、ふと空を見上げると、本当に気持ちがよい日。
そんな日に、マイフェアオヤジというSNSサイトである紳士が下記のような日記を書いてらっしゃいました。
~日記より一部引用~
行雲流水
--運命にまかせる--
「このままでいいのだろうか」と、余計なことは考えない。
すべてをまかされれば、おのずからいい結果がもたらせるはず。
行く雲も、流れる水も、自然に逆らうことなく、すべてをまかせきって漂い、移ろっていく。
今関わっている事を疑っても仕方ないし。
自分を信じて、そして自分にまかせきったら、おのずから結果はもたらせるはず。
素敵な言葉だと思い、思わずネットで調べてみました。
いくつかありましたが、下記のURLがとても参考になりました。
http://www.jyofukuji.com/10zengo/2006/04.htm
雲は悠然として流れ、しかもとどまることなく、水はまた絶えることなく、さらさらとして流れて、
また一処にとどまることはない。
この無心にして無碍自在のありようが禅の修行にもあい通じることから、この語を禅者は
好んで用いた。今も禅の修行僧を「雲水」というのも雲が悠々と大空を行くごとく、また流れる水のごとく、一処にとどまらず師を訪ね、修行の行脚したところから名づけられた言葉である。
「行雲流水」は自然現象である。空を行く雲、川を流れる 水は一時も同じ状態ではない。雲の表情は一瞬一瞬ごとに 変わり、湧きては消え、消えてはまた生ずであり、また 流れる水も常に変化して様々な表情があるように、この行雲 流水の語は世の無常を表わした語でもある。 それはそのままわれわれの人生にも通じることである。 雲にはやさしい風ばかりではない。吹きちぎり吹き飛ばす 風もある。水の流れにも瀬があり曲がりくねる淵があり一様な 流ればかりではない。長い人生もまた然りである。 人生、順風満帆ばかりなんてありえない。どんなに障害があり、 喜怒哀楽様々な出来事の連続の中にあっても、常に心は |
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その一処にとどまらず、執着せず、雲の如く無心にして淡々と、さわやかに生きる ところにこの「行雲流水」の語が生きる。余談であるが、墨染めの衣にわらじ 履き、網代笠を被った雲水の姿が自然の風光の中にあれば、ひとつの風景画に 見えるかもしれない。だが、雲水である当人は如何がな心境であろうか。 |
起業して12年目に入る私ですが、まさにこの11年間そんな人生だったような気がします。
それにとどまらず、日々いろいろなことが生じ、それに身を任せることがどんなに難しいことか。
ポジティブが自慢だったこの私が、とことん悪い方へ悪い方へ考えてしまう現象も経験し、
それを乗り切る度に人間大きくなっていればいいのですが、
逆に慎重に、しかも臆病になってしまう気もします。
この行雲流水のように、おおらかな心ですべての現象を受け入れ、
そして自然に生きていくことができれば、どんなに素晴らしいか?
友人からのメールによって、
紳士の日記によって、
そして気持ちの良い天気であったことが功を奏して、
行雲流水で有り続けたいと、再度心にとめた朝でした。