びっくりしてます。
今日もいつも通りに仕事して帰ってきたのですが、何かが違うのです。


会社ではいつもよりくつろげて、通勤路で周りを歩いている人たちへも恐怖を感じる度合いが少ないような気が。しかも私にとって難易度の高い平日の人の少ないルミネのファッションフロアにも何とか平静を装って(笑)行けました。


不思議だ。本当に不思議だ。昨日くらいからある新しく見つけた感情を認め出したら、確実に何かが変わり始めた感覚があります。いや、これは不思議ではないのかもしれないです。恐れながらでもいいから向き合うべき、かなり核心の重要な感情だと思うから。


何日か試してみて、やっぱりそうだと実感できたらここにその感情の詳細を書こうと思います。


iPhoneからの投稿
①からもずっと解放を続けていますが、今日の午後あたりから「そうか。私、恐いって感じていいんだ」と少し認められるくらいにほぐれてきてホッとしています。


さて前回「対人恐怖症」と私の症状に名前がついていると知ったことでなぜか気持ちがラクになったと書きましたが、その流れで同じように他にも名前がついている私の性質をハッと思い出して視界が開けたような気分になりました。


以前このブログにも書きましたが、私は「HSP(Highly Sensitive Person)=とても繊細な特性を持つ人」という遺伝的に5人に1人は存在すると認められ心理学で長い間研究が進められている特徴が顕著のようなのです。


それを思い出してすぐに色んなことを調べたら、やはり「HSP」の陥りやすい症状のひとつに「対人恐怖症」が挙げられていることが多くて、強く納得すると同時に安堵しました。


一番の安堵は「HSPは5人に1人しかいない」ということです。つまり大抵の人は個人差はあれど私ほどものすごく繊細ではないのだから、私を基準にして細かく気にする必要は全くないとわかったのです。先日の「話半分」の気づきが確信に変わった瞬間でした。今まで本当に無駄な力を入れ過ぎて生きてきたんですね。これがどんどん腑に落ちるにつれてかなり生きるのがラクになりそうな予感がします。


…と、そんなわけで今はHSPについての詳しい文献、資料を読むことに夢中です。知れば知るほど、スッキリして心が元気を取り戻していくかのようです。特にHSP特有のエネルギーチャージの方法がハッキリわかった時の感動といったら!気が済むまで勉強したのち、このブログに私なりの見解を書いてみようと思っています。
今日はどうしても書きたいので書きます。
昨日、東京に引越したのだからとずっと訪れてみたかった大好きなジブリ映画「耳をすませば」の舞台、聖蹟桜ヶ丘に彼(主人)と行ってきました!


結論、最高に楽しかったです。すてきすぎ…しあわせでした。とってもいいお天気で。


前日の土曜日に彼といっしょに映画をDVDで見返して準備万端。京王線に揺られながらすでにコーフン。駅に着く前からここで猫のムーンが乗ってきて…など細かく思い出しつつ。駅前は想像以上に明るくきれいでおしゃれ。あの京王ストアの他にも大きなショッピングビルが建ち並び、洗練されていて感動しました。


ムーンが駆けていくのを追いかける改札口から駅入口、横断歩道…ああ、同じだ。駅前に立っている「耳をすませばモデル地案内マップ」を
photo:01

じっくりしあわせ気分で見て写真におさめてからいざ出発です。


豊かな新緑のきらめくいろは坂、映画では図書館のある見晴らしのいい公園、主人公の雫ちゃんが物語を紡ぎながら駆け降りるあの階段(大好きなシーン!)
photo:02


杉村くんに告白されるあの神社、地球屋がある頂上のロータリー。本当に何もかもがそのままで映画の世界にどっぷり浸かれました。こんな美しい街が実在するなんて。なんてすばらしいんだろう。


最近何かと解放することが多くてちょっと疲れていた私の心に、エネルギーをたっぷり充電できたように思います。こういう昔から大好きだったものに最近は触れたいと強く感じるのです。ずっと変わらず色褪せないすてきできれいなものが、私は好きなんですね。東京に来てよかったー!本当に昨日は行ってよかったです。ありがとう。
人が恐い感情を少しずつでも解放している真っ最中なんですけど、まだ100あるうちの2くらいの段階なんですけど、昨日の今日でけっこう気持ちがラクになれる気づきがあり驚きながら喜んでいます。


あれから今までは恐くてできなかったネットでの解決策などをちょっと検索してみたんですね。するとものすごくたくさんの同じような恐怖を感じている方たちのページがヒットしてびっくりしました。私だけじゃなかったんだ…。そして様々な方法で克服された記録もあり、とても勇気づけられました。ありがとうございます…。


検索してよく出てくる、私のような人への恐怖によって日常生活に支障をきたす症状を、心理学的には「対人恐怖症」というのですね。おお、名前がついてるほどメジャーだったのか(変なとこで感動。笑)さらにその中でも「視線恐怖症」なるものがあり、コレダーーー!と超納得してしまいました。そう、私めっちゃ恐いんです人の視線。不躾に眺められるのが最高にイヤなんです!いや、見てないから。どんだけ自意識過剰なのよ私。と何度自分に言い聞かせても駄目でして…。


…と、普通だったらそんな「◯◯症」なんて名前がついてる症状が自分にあったらショックかもしれないんですけど、私の場合は逆でした。同じ悩みを抱えている方たちの存在を知ることで「自分だけじゃない」「こんな症状が心理学的に認められているんだ、自分にあってもいいんだ」と、この恐怖の存在をしっかり見据えることができるようになったからです。今までは、ちらっとでも見ることすら恐くてためらっていましたから。私にとっては大きな最初の一歩でした。


轍を作ってくださったたくさんの方々の記録に感謝して、これからゆっくり目を通していきたいと思っています。
そして、この認識のステップがあったからこそのさらなる気づきが今日もう一つあったので、それは次回書く予定です。


iPhoneからの投稿
友達であれ職場であれ家族間であっても、真面目な話はもとより雑談というかちょっとした会話って、私、物心ついてから今までずっと、全身全霊で真剣にやってました。
それが当たり前だと思ってました。


だからこそ話す時は緊張して、何気ない悪気のない一言に傷付いたり、相手の気を悪くしたのではないかと不安になったりしていたのです。
日常生活でふいに過去のイヤな出来事を思い出してイヤな気分になるのも98%は人との思い出です。(←超イヤだけど地道に解放中です)


でも解放が進んできたのか人との会話を冷静に捉えてみると、みんなただその場を盛り上げるためにちょっと大袈裟に言ってみたり、適当なこと言ったり(これは私も割とありますが笑)、すごいリアクションしてたはずがあとで聞くとその話の内容すら全く覚えてなかったり全然気にしてなかったり…あれ?もしかしてもしかしなくとも…みんな会話って「話半分」だったの?


と衝撃を受けた私は、ものすごく人当たりがよくコミュニケーションの上手な彼(主人)に聞いてみました。そしたら「うん、真面目な話以外はそんなもんでしょ。その場がいい雰囲気になればいいんだから。みんな全く気にしてないと思うよ」とカラッと回答。うっそぉぉぉお!知らなかったーーー!


いえ、真剣に会話するのが駄目とかそういうことではなく、みんなの会話に対するスタンスがそれくらいなんだとわかってとんでもなくホッと安心して力が抜けたんです。私もそれくらいの感じでいいんだ、それなら今までよりずっと楽しめそう、って。明日から、少しずつ慣れていこうと思います。解放のおかげ、これは大きな収穫です。ありがとう。