今年も既に10日が過ぎようとしてます。
しかし、まだまだ私のエンジンはかからない。
あまりやる気が起こらないと言うのが本音だ。
思考では、あれやこれをしないといけないと考えるが、身体はその思考にはまだまだついていけない。
論文の執筆、英語の学び、仕事のこと等々が浮かび上がる。
しかし、少しエネルギーか切れかかっている。引っかかっていることを一つひとつクリアにすることが必要かもしれない。
こんなクライエントが私の目の前にいる時、ゲシュタルト的に向き合うなら、今この状況に留まり続けることを提案するだろう。
この図として浮かび上がっていることに留まり続けることで新しい図が現れるはずた。
フォーカシング的に向き合うなら、それを抱えているクライエント全体の身体の感覚に注意を向けることを提案するだろう。
しかしだ。
この2つのアプローチは言葉こそ違うが、同じことをしようとしている。
なぜなら、2つとも身体の感覚へとアプローチすることになるからだ。もう少し正確に言えば、ゲシュタルトは表層にある身体の感覚へのアプローチから大抵入ることになる。
フォーカシングはフェルトセンスと言う深層にある感覚へとダイレクトにアプローチすることになる。
フォーカシングの方が繊細な感覚へとダイレクトにアプローチしようとする。
ゲシュタルトは表層にある情動や感覚から徐々に深層にある感覚(フォーカシングで言うフェルトセンス)へとアプローチしようとする。
どちらがどうと言うことではなく、どちらも知り得ていれば、クライエントへのセラピストの向き合い方が大きく違うだろう。
この2つともセラピストがクライエントの前にどのように存在するのかを教えてくれるから。
私はもう少し今の状況に留まり、その身体の感覚へと注意を向け続けてみたい...