〜あなたの人生をあなたらしく生きる〜

ゲシュタルト療法&フォーカシング指向心理療法

自分らしく生きる、いまここ(here And now)に生きる。

いまここでの気づきは私たちに生きる喜びや豊かさを運んでくれます。

私たちのからだは生きることを知っています。


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おはようございます...

"どのように生きるのか"ということが私たちの人生で最も大切なことだと思う。

"どのように生かされているのか"ではなく、"どのように生きるのか"...

私は心理の世界を垣間み、ゲシュタルト療法やフォーカシングという心理療法を学ぶ機会を得た。

だから、これはこういう事から浮かび上がっている問題や気がかりなんだということを理解するのは、それらを学んでいない人たちよりもわかっているつもりだ。

仮定の話だが、もし私が16年前に心理の世界へと足を踏み入れてなければ私の人生は豊かではなかったのか、今の私は存在しなかったのかと言えばそんなことはなかったのだと思う。

なぜなら、私がこれらを学んだことで、学んでなければ気づく必要のなかった問題や気がかりに気づき、そのことをクリアにしようとするようになるからだ。

私は心理の世界を垣間見なくとも人生を生きているであろう。そして豊かで穏やかな人生だと思いながら生きているかもしれない。

それでも悔いなく人生の最後を迎える人たちがほとんどだ。だから、わざわざ心理療法というものを学ぶ必要はないのだと思う。

ゲシュタルト療法もフォーカシングも私たちの人生をどのように生きるのかという命題を解き明かしてれる一つの方法である。

心理療法にだけどっぷりと浸っていても何も生まれない。

ただ、方法を学んだだけで終わる。

必要なことは日常の中でどのように気づきを実践するのかということに他ならない。

私たちは私たち自身とコンタクトし、他者ともコンタクトする必要がある。

私と他者を行ったり来たりすることが健康な状態なのだと私は思う。

ゲシュタルト療法でいう図と地であり、フォーカシングでいうフェルトセンスと状況である。

そして気づいたのは、私には心理療法に全てを還元する癖がついているということである。





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おはようございます。
今日もゴルフです❗️

昨日は鹿児島5期生アドバンスコースへスタッフとして参加しました。

アドバンスコースも半分を過ぎ、それぞれに気づきの時が訪れようとしている。

12年前のちょうどこの時期に私もいろんな変化を感じたように記憶している。

私は父親とのことが図に上がることが多かった。

父親を超えたい超えたいと思いながら何度も何度も父親とのワークをやっていた。

それは父親を超えることでしか私が父親から解放されないという呪縛の中にいた。

その時は本当にそう感じていた。

そして何度も同じワークをやり続けた。

何度やっても私の鵜呑みしている父親像は私の中へと統合してくれなかった。

父親を超えたいということは、父親を見返してやりたいということに他なかったのだとその時は気づいていなかった。

そして私と父親像との統合は突然訪れた。

私は父親に勝とう勝とうと思いながら何度もワークをしたが、勝つことに疲れてしまった。

もう私は親父に勝てない、超えられないと感じ、超えなくてもいいんだと思えた瞬間に何かホッとした感覚を得た。

私の体はその時に緩み、穏やかなものが私の中を流れたことに気づいた。

なりたい私になろうと思えば思うほど変われないということを体感した瞬間であった。

変容の逆説を私が自ら実感した瞬間である。

今の5期生も私が昔実感したような何かを感じているはずだと思う。

気づきは予想しない瞬間に訪れる。不思議なものだ...





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ゲシュタルト療法の理論の中に変容の逆説というものがある。


私たちはいつでも理想の私になりたいと思う。しかし、思えば思うほどその中でもがき苦しむ。


私たちは今の私から別な私へと変わろうと思えば思うほど、変われない。


私たちはありのままの私を受け入れた時に変容は起こる。


ただ今の自分を認めてあげる。


"そうかそうか、今私は怒りを持っているんだ。そんな私がいることをわかってあげよう"...


私は怒りを持ってはいけないと思えば思うほど、自分を責めるかもしれない。その怒りを他人のせいにするかもしれない。


怒りを持っている私を許した時、私の中に何か新しいものが浮かび上がる。


それは身体の感覚でもそうだ。


身体にある痛みを取り除きたいと思えば思うほど、痛みは身体に張り付く。


身体にある痛みも私の一部であり、何か意味があるんだとその痛みを理解する時、新しい何かが浮かび上がる。


変化とは今の自分を十分に感じることから始まる。


今朝私はゴルフ場に🏌️にいる。

そして、ゆっくりと私を感じること。


風は冷たい。鳥の🦆鳴き声が聞こえる。


遠くに海や島々が見える。透き通る匂いがする。


そして、私の身体全体は穏やかに感じる。


ゲシュタルト療法の外部の気づきと内部の気づきが自然と起こってくる。


今私はビールを飲みながらゴルフ場でスタートを待っている...


















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おはようございます☀

昨日は久しぶりに池見 陽さんとの出会いがありました。

やはり、フォーカシングのフェルトセンスって奴は本物だと昨日も実感しました。

ゲシュタルト療法とフォーカシングを学べば学ぶほど、フォーカシングのフェルトセンスの重要性を痛感する。

フェルトセンスとは、何かまだ言葉には表現できないが身体の感覚として私たちが実感している感覚である。

私たちはこのフェルトセンスから様々なことを知る。

秋だと誰も言っていないのに秋の気配を身体で感じたり、自分の嫌いな人がそばに来るとその気配を感じたりする。

これは私たちが持っている自然な感覚である。

しかし、この感覚とは別に、私たちはこれまでの体験から自分自身でストーリーを作り上げることが得意だ。

震えの感覚を感じると、これまでの体験からある人は恐れと震えを結びつけ、子供の頃の体験をさらに結びつける。

震え⬅︎恐れ⬅︎子供の頃の体験 と言うストーリーを作り上げる。

しかし、震えをただ震えとして感じる時、これは恐れではないことに気づく。

震えというフェルトセンスは身体の実感として私たちに本当の意味を教えてくれる。

ネガティヴな感情をネガティヴだと捉えた時、私たちはネガティヴな方向へと私たちを導く。

ただ、怒りを怒りとして、悲しみを悲しみとして、起こっていることをそのままに理解するしてあげるなら、そこに今を見出すことができる。

怒りは怒りではなく、悲しみは悲しみだけではない何かがその中には含まれていることに気づく。

そこに本当の意味があり、フェルトセンスが私たちへと浮かび上がって来る。

フェルトセンスは次なるものの暗示であり、私たちの今の状況や私たちの方向を指し示してくれる。

昨日のフォーカシングで池見さん発案のアニクロ(Crossing with Animals)をやって見た。

これは今の私の状況を生き物に例え、そのフェルトセンスを感じていくものである。

私は暗闇からこっそりと向こうを覗き込んでいるカワウソであった。

それが最後には舞台の袖に立ち、出番を待っている堂々とした私へと変化していった。

これはフェルトセンスの為せる感覚であり、フェルトセンスと共にいることで私の感覚は大きく変化していく。

ゲシュタルト療法においてもこのフェルトセンスは起こっている。しかし、ゲシュタルト療法家はこのフェルトセンスを分からないがために見逃していることが多い。

そのためにクライエントの描いたストーリーへと何度も何度も陥ってしまう。

クライエントのパターンを強化してしまう。

先ほどの、震え⬅︎恐れ⬅︎子供の頃の体験 と言うストーリーへと乗っかってしまうのだ。

フェルトセンスを感じながらクライエントに向き合うなら、本当の意味へと出会えるのだろうが...

ゲシュタルト療法へフォーカシングを統合すること、もう少し研究して見たい。



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おはようございます☀

先週末開催されたアジアフォーカシング国際会議
の感覚がまだ私の中に残っている。

その余韻が消えないうちに、今日もフォーカシングをゲシュタルト療法へ統合することの有効性の4つ目について書いてみたい。

それは、
"クライエントの繊細で微細な感覚をセラピストが感じられるようになる。"
ということだ。

もし私がゲシュタルト療法だけを学び続けていたとしたら、私の今の身体の感覚はなかった。断言できる。それはフォーカシングから繊細で微細な
感覚を私は手にすることができたからだ。

今の身体の感覚とは、身体の感覚としてクライエントに起こっていることを私の身体が理解しているという感覚である。

私が心理療法を学び始めた時、私自身には繊細で微細な感覚はこれっぽっちもなかった。

それが故に、フォーカシングから繊細さと微細さを手にし、ゲシュタルト療法から大胆さと己の芯を手にしたように感じる。

もちろん、ゲシュタルト療法も繊細な部分はある。私は2つとも学んでいるから思うのだが、ゲシュタルト療法における繊細さはフォーカシングでのそれには勝てない気がする。

あくまで、私のこれまでの体験からの私見であるが...

それはなぜか...

ゲシュタルト療法には気づきの3つの領域がある。
外部、思考、内部であるが、この内部の気づきは感情への気づきが多いように感じる。それは既に概念化された感覚であり、内側のその感覚へとアプローチすることが繊細さと言うなら違うような気がする。

フォーカシングでは感情へはダイレクトにアプローチすることはない。まだ概念化されていないフェルトセンス(意味ある感覚)へとダイレクトにアプローチする。

このフェルトセンスは身体感覚として、"あるかないかわからない微かなもの"であり、このフェルトセンスを取り扱うが故の繊細さなのだと思う。

繊細さと言う面で、この違いは大きい。

既にフォーカシングでは感情という表面的なものの奥深くにある感覚へとアプローチしているのだから...

繊細さということだけで、ゲシュタルト療法とフォーカシングを比べたなら、フォーカシングが優っている。

フォーカシングを学ぶということは、私自身が繊細になっていくプロセスである。

その繊細な感覚を持った私がセラピストとしてクライエントに向き合うなら、クライエントの繊細な感覚を理解することは容易であるということは誰の目にも明らかである。

そして、セラピストはクライエントのその繊細で微細な感覚を含めて、クライエントが体験している世界を追体験する必要がある。

これからもゲシュタルト療法へフォーカシングを統合する試みを続けていきたいと思う。

いつか、フォーカシング指向ゲシュタルト療法の完成版をお見せしたい!





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おはようございます☀
今日もフォーカシングをゲシュタルト療法へ統合することの有効性の3つ目について書いてみたい。

それは、

"フォーカシング的態度を自らに向けることで自らの感覚すべてを受け入れることが可能となり、自分自身を許せるようになる。"

ということである。

フォーカシング的態度とは、起きているままに優しさを持って認める態度である。これは私たちが
私たち自身を責める行為(反転行為)が起こる時には特に有効となる。

ゲシュタルト療法において、クライエントに反転行為が起こっている時、自分自身へと向けているその行為を本来向けるべき他者へ向けるようセラピストはクライエントへと促し、自らに向けているエネルギーを外へ向けるようアプローチする。

しかし、なかなか外へとエネルギーを向けられないクライエントも多い。

この時、フォーカシングにおけるフォーカシング的態度が役に立つ。

クライエントは反転行為をしている私自身を優しさを持って認めてあげる。

"私は今自分自身が悪いと感じているんだ。本当は〇〇さんにそのことを言いたいんだけど。
そんな自分が今いるんだなあ"

このことによって、他者がクライエントにとってどんな存在なのかが浮かび上がってくる。

例えば、"〇〇さんのこと、私は大好きなんだ。だから、そんなこと言えないんだなあ"とか...

反転行為の裏には、責めるべき他者を愛しているからこそ、その気持ちを向けられないという構造がある。

だからこそ、反転行為しているクライエントから他者へ向けるのには相当なエネルギーが必要となる。

そんな時に、このフォーカシング的態度を知っていたなら、クライエントに対して、"ただ起きていることを優しく認めてみたらどう"という態度でセラピストも接することができる。

このことは、クライエントだけでなくクライエントと向き合っているセラピスト側にも必要な態度である。


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おはようございます☀
神戸から昨日帰ってきました。

フォーカシングをゲシュタルト療法へ統合することの有効性の2つ目を書いてみたい。
それは、
"感情(情動)に埋もれるというクライエントの枠組み(パターン)から脱却できる。"
ことだ。

ゲシュタルト療法は図へと浮かび上がった現象が地へと流れることで気づきが生まれるのだが、図が地へと流れるには未完了だった図に浮かび上がっている現象が完了する必要がある。

ゲシュタルト療法家がよく間違えるのは、図を完了させる時、何度も何度もクライエントに浮かび上がる同じ現象へとアプローチすることである。

例えば、セッションのたびにクライエントが同じパターンを表現することがある。

怒りが起こるとその怒りと何かを結びつける。
震えが起こるとその震えと何かを結びつける。

するとクライエントが無意識に結びつけた方向へと進んでいく。

これはクライエントの中にあるパターンであり、
例えば、
怒り子供の頃の父親のこと、
震え=恐さに怯えている子供の私、等々である。

感情へのアプローチへ終始するとパターンに陥る可能性がある。

ゲシュタルト療法でセラピストがクライエントのこのパターンの罠に陥り、いつものクライエントのパターンの中でセッションが終了することがある。

クライエント側からすれば、そのセッションは悪くはなかったと感じる。

セラピスト側も悪くはないセッションだったと感じるだろう。

しかし、セラピスト側がこのセッションはクライエントのパターンだということに気づいていない限り気づきの推進は得られない。

セラピスト側がクライエントがパターンの中にいることに気づいていて敢えてその中に留まってもらうのか、それともパターンから脱却するように進めるのかということ。

何れにしてもこのこともフォーカシングがクリアにしてくれる。

先程の震えの例で言えば、
そのままクライエントの言葉や感覚から出てきた恐さについていけば、クライエントは怯えている子供の頃の私に向き合うことになるかもしれない。
そして、恐さという感情に埋もれてしまう。

クライエントが毎回同じようなセッションをしているなら、それはクライエントのパターンである可能性が高い。

パターンであると断言しないのは、セラピストの力量不足によりまだその事象が完了しておらず、クライエントが何度も何度も同じようなセッションになる可能性があるからだ。

何はともあれ、
クライエントに起きているただ震えを震えとして感じてみる。震えにどんな意味があるかはクライエントのみ知っている。

これがフォーカシングのフェルトセンスであるなら本当の震えの意味をクライエントへ指し示してくれる。

その震えは恐さではなく、クライエントの持つエネルギーかもしれない。ネガティヴなものではなく、クライエントにとって大切なものかもしれないのだ。

フェルトセンスとは身体からのメッセージであり、これにはパターンはない。

フェルトセンスはクライエントが進むべき方向を教えてくれるものである。

このことをフォーカシングから学ぶことは有効である。


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おはようございます☀
神戸の朝からブログをお伝えします❗️

昨日まで第1回アジアフォーカシング国際会議に参加していました。

アジア各地から300人近くのフォーカシングに興味のある人々が参加した素晴らしい大会でした。

その中のひとコマで凛ちゃんとフォーカシング指向ゲシュタルト療法のワークショップを開催させてもらいました。

2時間のワークショップだったので、レクチャーとセッションを1つやりましたが、フォーカシングをゲシュタルト療法へと統合することは、ゲシュタルト療法をより深めると確信しました。

私はゲシュタルト療法とフォーカシングを愛している。そして、もっとゲシュタルト療法に広がりがある必要性を今感じている。

ゲシュタルト療法のパターンに陥っている感じがして止まない。

ゲシュタルト療法家がフォーカシングを学ぶことにより手にするもの。私なりに以下の4つのように感じている。
 
【フォーカシングを統合することの有効性】

1.フェルトセンスへ直接アプローチすることで、感情(情動)へアプローチせずにクライエントの気づきが推進する。これによりクライエントは不快な感情(情動)を何度も感じる必要がなくなる。

2.感情(情動)に埋もれるというクライエントの枠組み(パターン)から脱却できる。

3.フォーカシング的態度を自らに向けることで自らの感覚すべてを受け入れることが可能となり、自分自身を許せるようになる。

4.クライエントの微細な感覚をセラピストが感じられるようになる。

今日は1.について書いてみたい。

ゲシュタルト療法ではセラピストはクライエントの事象として浮かび上がった図へとアプローチする。私のこれまでの経験から、大抵は概念化された感情へとアプローチすることが多いように思う。そして、その感情の中に留まることで次の新たな図が浮かび上がる。

この繰り返しが気づきの推進を促す。

これは非常にシンプルなアプローチである。

ただ、感情の中に留まり続けることは不快なものを見続けることでもあり、何度も何度も繰り返すことが必要なのかと感じている。

しかし、このアプローチ自体を否定するつもりは全くない。

怒りが図となっているクライエントが怒りを表出することは必要なことである。

しかし、それがゲシュタルトエクササイズと揶揄されるような、ただ怒りを表出することが目的となるなら気づきの推進は起こらないだろう。

フォーカシングからのアプローチはこのことをクリアにしてくれる。

フォーカシングは既に概念化された感情へはダイレクトにはアプローチしない。

既に概念化された感情の奥にある前概念的なもの...フェルトセンス(意味ある感覚)へとダイレクトにアプローチする。

このことによって、クライエントは不快な感情に巻き込まれることなく、フェルトセンスと言う本物の身体からのメッセージに導かれる。

そして、フェルトセンスが変化しながら、クライエントが体験しているプロセスが変化し、気づきの推進が起こる。

ゲシュタルト療法において、このフォーカシング的なアプローチを手にすることはクライエントのサポートになるはずである。




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昨日は久しぶりのゲシュタルトファシリテーター自主勉強会でした。

私は久しぶりにクライエントとしてワークをやった。

その日の朝、よく見る似たような夢を見た。そして、私はその夢の感覚を寝ている私の中に感じ、寝ているのだが意識のある中、私の身体へとその夢の意味が浮かび上がって来た。

今朝の私の身体に起こったこの感覚についてワークをした。

その夢たちは頑張って埋める必要はないよ、不足してたら不足してたでいいよ、と私に私の身体の感覚を通して伝えた。

私の身体の鳩尾のあたりにドーナツ状の穴がある。その穴を感じていると埋めたいという感覚も現れる。

その穴を埋めるピースになってみると、どす黒い薄い鉄板のようなものが感じられる。

それは父の命という名のピースだ。

それを感じていると、管みたいなものがその穴を上から下へと通っている。

その管には血のようなものが流れている。

それは私が受け継ぐ父の命である。

私は父とのワークを何回もやってきた。私に足りない父親の何かを無理やりに埋めようとしてきたように感じる。

しかし、それは埋めるものではなく、流れるものだった。

既に私の中には父から受け継ぐものは流れている。

そんなことを教えてくれた夢たちであり、ワークであった。




8月の気づきのワークショップ
~ゲシュタルト療法体験ワークショップ~

1.日時:2017年8月19日(土) 
13:00~17:00

2.会場:ギャフネットワークスペース
tel.080-3375-6349 鹿児島市中央町12-10 駅前山下ビル202号(パークホテル裏「白坂病院」前)

ファシリテーター
有村 凛、山本 誠司



私たちは日々何かを抱えて生きています。
私たちはどうすればわたしの人生を活き活きと歩むことができるのでしょうか。

それは、私たちの抱えている悩みや問題に気づき、そのときの気持ちや感覚に気づくことが重要です。

"今のわたしの状況に気づく"、"今のわたしの考えに気づく"、"今のわたしの気持ちや感覚に気づく"...

気づきが増えれば、私たちがこれまで慣れ親しんだパターンからこれまで体験したことのない新しい体験へと変化することができます。

例えば、わたしが怒っていることに気づけば、自分の意志でこれをやめたり、あるいは増幅したりできます。
しかし、気づかなければ怒っていることさえもわからないかもしれません。

気づくことは私たちに選択の自由を与えてくれます...
気づくことは私たちに新しい自分との出会いを与えてくれます...

是非この機会に気づきの素晴らしさを体験してみてください。

4.申込み方法
以下へお申込みください。
gestalt.kagoshima.2014@gmail.com

必ずあなたに気づきが起こることをお約束します! 

ゲシュタルト.アート.フォーカシングネット FaceBook ページhttps://www.facebook.com/Gestalt.A.focusing

ゲシュタルト.アート.フォーカシングネット website

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今日まで日本ゲシュタルト療法学会の全国大会でした。

交流分析、再決断療法の学びの昨日までの2日間も良かったが、今日のフォーカシング指向ゲシュタルト療法のワークショップが私の中では一番良かった。

良かったというよりも私のホームグランドに帰って来た、そんな感じがピッタリだ。

フォーカシングのフェルトセンスはゲシュタルト療法にはない感覚である。

いや、あるのだがゲシュタルト療法だけを学んでいる人々にはわからない感覚であると言った方が適切だ。

ゲシュタルト療法のワークをやっている時にもフェルトセンスは現れる。

しかし、それがフェルトセンスであることをわからない、フェルトセンスとわかってもその接し方がわからない、そんな感じだろうか。

フェルトセンスと言うまだ言葉にならない意見ある感覚は私たちの方向性を示してくれる。

例えば、身体の感覚は行き詰まっているとしてもフェルトセンスに注意を向け、フェルトセンスと共にいることでこれまで思いもしなかった新たな
方向性を指し示してくれる。

私がゲシュタルト療法に思うこと...それは、ゲシュタルト療法のワークではクライエントは必ず怒りや悲しみといった情動に触れなければならないのか?と言う疑問である。

確かにクライエントの図となっているものは情動、身体感覚等々である場合が多いように思う。

だから、ゲシュタルト療法ではその図となったものへ注意を向けてもらう。

間違ってはいけないのは情動へと注意を向けるのではなく、クライエントの図へと注意を向けるということだ。

この原理原則を理解した上で、情動がクライエントの図に上がっていた時、ゲシュタルト療法のベーシックなアプローチはその図へと注意を向ける。

しかし、情動が図となっているその奥深いところには同時にフェルトセンスが必ずある。

そのフェルトセンスへとダイレクトにアプローチするのがフォーカシングの奥深さである。

ゲシュタルト療法のワークではクライエントは必ず怒りや悲しみといった情動に触れなければならないのか?
という問いに対して私の回答はノーであり、触れることなくしてクライエントは未完了を完了できるということだ。

恐らくゲシュタルト療法だけを学んでいる人々にはこの私の言う意味は理解し難いかもしれない。

しかし、親との葛藤のワークにおいても情動へと触れることなく、完了することが可能だ。

今その実験をしている最中であり、近いうちに投稿したいと思う。

楽しい大会だった❗️



8月の気づきのワークショップ
~ゲシュタルト療法体験ワークショップ~

1.日時:2017年8月19日(土) 
13:00~17:00

2.会場:ギャフネットワークスペース
tel.080-3375-6349 鹿児島市中央町12-10 駅前山下ビル202号(パークホテル裏「白坂病院」前)

ファシリテーター
有村 凛、山本 誠司



私たちは日々何かを抱えて生きています。
私たちはどうすればわたしの人生を活き活きと歩むことができるのでしょうか。

それは、私たちの抱えている悩みや問題に気づき、そのときの気持ちや感覚に気づくことが重要です。

"今のわたしの状況に気づく"、"今のわたしの考えに気づく"、"今のわたしの気持ちや感覚に気づく"...

気づきが増えれば、私たちがこれまで慣れ親しんだパターンからこれまで体験したことのない新しい体験へと変化することができます。

例えば、わたしが怒っていることに気づけば、自分の意志でこれをやめたり、あるいは増幅したりできます。
しかし、気づかなければ怒っていることさえもわからないかもしれません。

気づくことは私たちに選択の自由を与えてくれます...
気づくことは私たちに新しい自分との出会いを与えてくれます...

是非この機会に気づきの素晴らしさを体験してみてください。

4.申込み方法
以下へお申込みください。
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