「Diablo」や「Hellgate London」と聞いて思い浮かべる人物といえば,普通はBill Roper(ビル?ローパー)氏だろう。ローパー氏は,気さくな受け答えが持ち味で,Blizzard Entertainment,Flagship Studiosの両社で“顔役”として表舞台に立ち続けている。“「Diablo」や「Hellgate London」の人”として,の読者にとってもなじみ深い人物だろう。だが,彼はプロデューサーという立場であり,本当の意味でDiabloを生み出したのは彼ではない,ugg。では誰なのかというと,あれだけの作品を作り出したのに,シャイなためにほとんど表に出ない人物,David Brevik(デイビッド?ブレヴィック)氏だ。  ブレヴィック氏は,Erik Schaefer(エリック?シェーファー)とMax Schaefer(マックス?シェーファー)の兄弟と共に,1993年にCondorというゲーム会社を設立。当初は下請けを担う形で,ゲームプログラミングに従事していたが,1995年頃から,のちにDiabloとなるプロトタイプを作り始めた。  このプロトタイプが,Blizzard Entertainmentを買収したDavidson & Associatesの目に留まり,Condorごと買われて,Blizzard Northとして新たなスタートを切ったのだ。  ゲームエンジンの開発を,一手に担っていたのはブレヴィック氏であり,この頃は「看板プログラマーが仕上げてくるまで,ほかの開発者は黙って待つ」という,id Softwareに似た社風だったようだ。ブレヴィック氏はゲームの企画も担当しており,ゲームデザインやアート面でエリック?シェーファー氏が,そして環境アートをマックス?シェーファー氏が受け持っていた。  また,本部となったBlizzard Southでは,のちにArena.netを設立するJeff Strain(ジェフ?ストレイン)氏やMike O'Brien(マイク?オブライエン)氏らがネットワーク部分を担当し,Battle.netを作り上げた。  ローパー氏もBlizzard Southで採用されており,Blizzard Northの発足を機にDiablo担当プロデューサーに昇格した。余談だが,ローパー氏にはさまざまな声色も使い分けられるという特技があり,ブーツ アグ,ラスボスであるディアブロの声の主でもあるのだ。  1997年1月(会計記録上は1996年12月)にDiabloがリリースされるや否や,同作は大きな人気を獲得する。並みいるコンシューマ機用ゲームを抑え,リリースから5か月間にわたってナンバーワンの座を守り続け,北米だけで100万本のセールスを記録したのだ。  日本でもソース(現ソースネクスト)から発売され,日本語マニュアル付きの英語版だったにも関わらず,日本のPCゲームとして異例のヒット作になった。  1998年にはエレクトロニック?アーツ?スクウェア(現エレクトロニック?アーツ)から日本語版がプレイステーションで発売されたこともあり,Diabloの人気を肌で感じた人も多かっただろう。  また,2000年6月に発売された「Diablo II」は,1か月間で200万本という超大型のヒット作となった。日本では,カプコンから英語版と日本語版が同時にリリースされたのだが,このあたりになると,最近の読者でも知っている人は多いだろう。  Diabloシリーズは拡張パックを含めると,合計で1700万本もの売り上げを記録し,稀代のPCゲームとなった。これは,Blizzard Entertainmentが1998年にリリースして人気を博した「StarCraft」の950万本をはるかに凌ぐ数値だ。
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