またもや衝撃的な事実。





題名からすると「殺人」が目立ってしまいますが、作者、訳者の意図は親、またはその代わりの者、教育者等の行うそれは、殺人程のことであるとするのが一番言いたかったことを表すことが出来たのでしょう。


さて、今回私も仕事に復帰し、ほとんど読む時間が無い中で当たった衝撃のある本でした。



私のブログを続けて読んでくれてる方はご存知かと思うのですが、

私が紹介している本の傾向は、

共依存、AC、インナーマザー、など自分の何かを探しながら出会った本達です。


偏ってます。笑



今回もその流れで、「魂の殺人」です。

正直、仕事もあるし、文字も一段と小さいし、少し私の生きづらさや家族とのコミユニケーション齟齬も緩和されてきた(ように感じる)ので、

読まなくていーかー


古い本だし、まして表紙と題名が面白みないし…(失礼すぎる!)

と思って、テンションは低いところから読み始めたのですが、


やはり古い本。

しかも新装版。


中身は難しいくとも、変わらない真実がそこにありました。


この本の作者は、1979~81に世界的ベストセラーになる、このような系統の本を3冊出されたそうです。


ん?!


1979~81年!!!


私が生まれる頃!!?


(・・)??


つまり、私がほぎゃほぎゃばぶばぶ赤ちゃんしてる頃には、分かってたことなの???


え?

私やその上の年代の方で、生きづらい、親や家族との関係が上手くいかないっていう方多いようですが、


分かってたんだ…

世界的ベストセラー…


衝撃でした。



日本でもAC関係がブーム?になったことが1990年代後半にあったようですが、

それよりも?

10数年前に、分かってたの?


この本の初版は1983年でした。


この本の初めの方に書いてあります。

私が読んで噛み砕いたので、受け取りに正誤あると思いますが…



子どもが自己主張やワガママをしたらそれをきちんと抑えることが大切だと。

厳しくしたり、対応したり、目線で解らせたり。つまり、親が子どもをコントロールしろと。

ワガママは悪徳であり…と、


これは「魂の殺人」以前に一部で考えられていた教育のようです。


そして作者は、こうしたことを行ってコントロールすると、結構な大人になっても親切な人と悪意ある人の違いが分からない。とか、

目線でコントロールされているような人は、神経症を発病するとか。



ほら、またここでもハッキリ書いてあるじゃん。そういうこと、

人間本来の力や感情を押し込めるようなことを教育や環境で行うと、人としての本来のものが育たなくなるって。


それは恐ろしいことで、取り返しがつかないものだって。


この本以外にも、こうしたことがハッキリ書いてあると、


うちの親は良き教育、を念頭に躾していたはずだろうに、それは正反対であった、残念。と、私はいつも思う。


昨今の心理学のブログをいくつか読むと、親もただの人であることが書いてあり、

私もまた普通のただの親になってるわけで。


こうやって、自分の状態、今までと振り返って、原因やらも分かってるのに、子どもを人間本来の力を伸ばしながら育てることが難しい。




読み進めると、

上に書いたような、子どもに主張させるな、主導権は親、またはその代わりの者がしっかりと持て。ということが良しとされていた時代があったようだ。



それはもちろん現代のように科学の進んでいない時代、個人、人間の能力などの研究、注目がされていない時代、

そしてそれらが行われても、様々紆余曲折を経て本当のことが分かるまで時間がかかり、犠牲も出るだろう。


しかし、仕方ないこととは分かっていても、やはり悲しい。


何故親は子どものそのままを信じ、大切にしてあげることが出来なかったのか。


そこには、無知だけではなくて、最先端として、子どもに自由やそのままであることは害であると信じていたのかもしれない。



それが良いことの先端であると。


そうであれば、今、この何だか分からない生きづらさは悲しいが、

いつまでもそれを見ているだけでは、犯人探しのようなことをしても私は変わらないのではないかと思った。


その間違いは現在振り返って分かるだけで、その時は、大きな研究成果としての愛情となっていたのかもしれない。


間違っていたけれど。




私は親や祖父母が、人を大切にすると言いながら、なぜこのような本や研究があったのに、個を押さえるような教育をしたのかが不明だった。


しかし、この本を読んで、個を押さえる、感情を押さえることを勧めることが先端だとした時代や研究があったとしたら、


我が子の為と思って、最先端に捕まって閉まったのかもしれない。



親や祖父母達は、無知ではなかったのかもしれない。


それがまた衝撃でした。