―辺境の塞というところに住む人がいた。馬に逃げられてしまったので、
人々は気の毒がって口々にお見舞いを述べた。それに対して、彼は
こういった。
「この災難が福にならんとも限らんよ」
しばらくして、その馬がすばらしい駿馬を連れて帰ってきたので人々が
お祝いを述べるとひと言。
「これが災いの種にならんともがぎらんよ」
案の定、その人の子供が駿馬に乗っていて落馬して股の骨を折って
しまった。お見舞いをいう人に、またひと言。
「なに、この災難が福にならんとも限らんよ」
やがて戦争がはじまり、多くの若者が徴兵され戦死した。その息子は、
骨折の後遺症のため、徴兵をまぬがれ無事だった。
運命の法則/天外伺朗より
これは、中国の故事で、好運と不運は表裏一体の関係にあるという
ことをいっている。
著書に書いてあるが解釈の仕方はいろいろある。
・好運があるかと思うと不運があり、両方が平等に訪れてくるということ
・一見不運に見えることの中に好運が隠されており、好運に見えることに
中に不運が隠されている
・結局、我々の身の回りに起きる出来事には、好運も不運もなくすべてが
中立だ。それを好運とか不運とか感じるのは、単に我々がそういうレッテルを
貼っているからだ
・物事はすべてうまくいくようにできている
出来事にいいも、悪いもない。その判断をしているのは自分自身
であるということ。
であるということ。
ただ、出来事に対して、自分がもっている信念や価値観がある
ためいい、悪いを判断している自分に気がつかなかったり、文章
を読んで頭では理解できるが、実際は・・・というと出来事に翻弄
されているということも少なくはない。
ためいい、悪いを判断している自分に気がつかなかったり、文章
を読んで頭では理解できるが、実際は・・・というと出来事に翻弄
されているということも少なくはない。
その翻弄から抜け出すのに、おススメの方法の一つは
自分を客観視すること

他人を観ているかのように、自分自身を眺めてみる。
他人を観ているとき、“もっと、◯◯すれば上手くいくのに~”と
おもったことが誰でもあるはず。
その経験を自分に当てはめてみる。
トレーニング方法として・・・・
ここから自分を眺めてみようというモノを設定します。
最初に、あなたが見えているもの、聞こえている音を3つピック
アップします。
そして、足と地面の感覚に意識を向け、足のどの辺に力が
入っているかを確認します。
確認できたら、設定したモノから自分を眺めてみます。
そして、自分がどのように観えているのか観察します。
難しいかもしれないですが、繰り返しトレーニングして
いくことで出来るようになってきます

すべては自分次第。
問題を問題とおもわなくなる
悩みが悩みでなくなる
そんな自分が本当に手にはいるのか

それは宇野ひろみ体感ライヴでそのヒントが手にはいる
キャスト・ボラ子でした

