あなたにとって
「自分と向き合う」ということに
どういった感情を抱きますか。
自分がどういった人間か
それを知るのは
怖いかもしれない
恥ずかしいかもしれない
情けないかもしれない
けれど、自分が自分を知らなくて
「こうなりたい」だとか
「こうしたい」だとか
どうやって叶えればいいのでしょう。
スタートが分からないのに
どうやってゴールに向かえば
いいというのでしょう。
スタート地点を把握すること。
自分を知ること。
それは、ゴールからとてつもなく
遠いところにいる自分かもしれない。
けれど、スタートが分かれば
ゴールまでの道も
おのずと見えてくるはず。
なりたい自分を見つける前に
今の自分を見てあげて。
怖くても、恥ずかしくても、情けなくても。
案外、知ってしまえば
なんてことな い、ということも
あるのかもしれないし、ね。
眠いと感じたら寝る。
以上!!!
眠いのに頑張って
あるいは惰性で起きているから
寝落ちだなんて結果が生じる。
眠いときは寝りゃいい。
眠気を我慢して作業しても
効率は悪いしミスも多い。
早めに寝た分早く起きて
遅れを取り戻せばいいだけ。
あぁ…でも
眠いけど寝ちゃ駄目…
けどもう無理…
ってなってるときのあのまどろみは
なんとも言えない気持ちよさだよねぇ…
授業中とかつまらない会議中とか…
※授業中も会議中も
基本的に寝てはいけません。
そうならないように
日々十分な睡眠を心掛けましょう。
※寝落ちが気持ちいいから
いつもそうしている
という人はそれで構いません。
僕もやらなきゃいけないことや
翌朝早起きの必要がないときは
ゲームしながら寝落ちするのが
1つの楽しみです。
自分で勝手な制約を課しているから。
要は、言い訳をしているから。
原因は、ただそれだけ。
そしてその対処法は
その制約を取っ払うこと。
つまり、言い訳をしないこと。
ただそれだけ。
例えば、俺は文章を書くのが好きだ。
高校生の頃は文芸部に所属して
好き勝手に文章を書いていた。
(文芸部などと言いながら
文学作品はほとんど読んだことないし
書く作品も非日常な内容のファンタジーや
SFチックなものが多かったけれども)
そんな俺が、ブログになると、
どうしても書けない。書く気が起きない。
文章を書くこと自体は好きなはずなのに、だ。
考えてみて気付いたことは
ブログを書くことに、自分勝手で
なんの意味もない制約を
言い換えれば、書かない言い訳を
山のように課していたからだということ。
その例をいくつか挙げてみる。
1、こんな文章、きっと誰かが書いている。
二番煎じなブログなど書いたところで
見向きもされないだろう。
→お前、何様だよ。
25歳の若造の考えてることなんて
既にどっかの誰かは考えている。
だからと声をあげないんじゃなく
「お前の」考えを「お前が」発信することに
意味があるんじゃねーのかよ。
一生、どこかの誰かの二番煎じだと
何もせずに生きていくつもりか。
2、ネタがない。
→お前、ふざけんなよ。
仕事だけの1日だったかもしれないけど
今日1日何も感じなかったのか。
仕事中も、誰かとやりとりするときも
通勤途中も退勤途中も
飯食って風呂入ってるときも
何1つ感じなかったなんてことは
ないんじゃねーのか。
何か1つでも感じたことがあれば
そのひと言でも書けばいいじゃねーか。
3、教えてもらった通りの書き方ができない。
→お前、馬鹿か?
確かにブログの書き方は教わった。
このブログが仕事のものであるなら
その通りのやり方や
戦略も戦術も必要だろうさ。
けど、今このブログはなんだ?
ただ自分の考えを書き連ねて
自分の存在をアピールするため
ただそれだけのツールだろ?
習った通りのやりかたじゃなきゃ
駄目だなんて誰が決めた。
そもそも発信すること自体が
大事なんじゃねーのか。
はい。要するに全て、ただの「言い訳」だ。
やらない言い訳。動かない言い訳。
現状維持でぬるま湯に浸かって
誰かから甘やかされるのを
待つだけの言い訳でしかない。
支離滅裂でいいのだ。
荒唐無稽でもいいのだ。
誰かに伝えたいことがあるなら
自分に言い聞かせたいことがあるなら
たったひと言の戯言でさえも
ブログという形で残せばいい。
文章に限った話ではない。
例えば音楽、芸術、スポーツ
勉強も仕事も、全てそう。
やらない理由を言い訳に求めるな。
必要なら、好きなら、
やるしかない、やればいい。
それだけの話だ。
厳しい現実を見るのが嫌で
何もせず何にも動かず
逃げて隠れて抑え込む。
それだけの人生でいいなら
今すぐそのスマホをぶっ壊して
ホームレスにでもなればいい。
昨日まではそうだったかもしれない。
今日から変わりたいと思うなら
何かを変えなければ、叶うことはない。
その第一歩は、言い訳をしないこと。
やってみること。考えること。
ただ、それだけである。
