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雑記 P

ローマは1日にしてならず
まずは1日1ブログ!


ほんとは好き、やりたいのに
あれこれと理由をつけて
その気持ちを封印しているだけの人。
もったいねーよー。

かく言う自分もその1人だった。
ただ「好きなこと、やりたいこと」
を考えているだけなのに
あれこれと理由をつけて
自分の気持ちを見て見ぬふりを
続けていた。

自分なりの、余計な「理由」と
やりたいことを書きまくるので
好きなこと、やりたいこと
と聞かれたときに出てこない人が
自分もこんなふうに考えて
見て見ぬふりをしているのでは、と
気付いていただければ嬉しい。


1.当たり前すぎて気付いていない
日常生活レベルの行動にだって
好きなこと、はあるはずだ。

寝る、ご飯食べる、料理、散歩、
酒を飲む、人と話す、
など

2.生産性がないから、と口に出せない
完全な趣味レベルのことで、
仕事にならない、人の役に立たない、など
そんなふうに考えてしまっているパターン。

ゲーム、漫画や小説を読む、
音楽を聞く、碁、将棋、チェス、
麻雀、スロット、卓球、
など

3.上手くできない、自信がない
(自分よりできる人がいっぱいいる)
これも、自分じゃ仕事にできないとか
他にやってる人がたくさんいるから…
なパターン。
いや仕事になるかとか知識技術があるかとか
そんなこと聞いてねーって。

写真、動画、それらの編集、
文章を書く、お菓子作り、楽器の演奏
歌、ダンス、英語、フランス語の勉強
など

4.時間やお金がかかり、現実的でない
だから単にやりたいこと、好きなこと
を言えっつってんの。
できるできねーじゃねーっての。
段々自分に腹たってきた。

旅行、留学、飲食店経営、
イベント設営、
など


時間が無いお金が無い
能力がない仕事にならない
じゃなくて
やってて楽しいこと
好きなこと、を純粋に考える。

時間やお金を理由にしてやらないなら
多分そんなに好きじゃないことだし
今までやってないなら
能力がないのは当たり前だし
仕事にならなくても
ほんとに好きなら趣味でやればいい。

やりたいことやって
生きた方が楽しいじゃん。
仕事しながらの趣味でいいじゃん。
うまくできなくても
楽しいならそれでいいじゃんー!

などと、自分に対する言い訳に気付いて
少し、毎日が楽しくなった。

折角生きてんだからさー
やりたいことやろうよー
楽しいだけでいいじゃんよー
もしかしたらそれが
仕事になるかもしれないじゃんよー

やりたいことが沢山あるなら
1度に沢山やればいいじゃない。


ここしばらく
一部界隈ではやりの卓球。
俺も積極的に参加してるけど
目的はいくつかある。

ひとつ
単に卓球楽しいからやりたい。
ひとつ
いろんな人と交流する場に参加したい。
ひとつ
体が鈍らないように動かしたい。
ひとつ
普段使わない頭を使って活性化させたい。

など。
卓球やろう!と言う
もしくは、やろうと言う人の元に集まる。

それだけで、こんなに沢山の
「やりたいこと」が叶うのだ。


何事にも貪欲に。
意味が先にこなくてもいい。
ひとつの目的でしていることに
複数の意味を見出すのもあり。




本日も絶好の卓球日和でした。
いや天気かんけーないけど。

花は己が為に咲く
鳥は己が為に飛ぶ
人が生きるは誰が為か

咲く花を散らし
飛ぶ鳥を落とし
己が為に生きる人
人が為に己を散らし
人が為に己を落とし
人が為に生きる人

人が為の神は無し
神はただそこに在るのみ
己が為に祈る人の
祈りが届くことも無し

人が祈るは己が為
されど己が為の神はおらず
ならば在らぬ神でなく
人は己に祈るのみ

ああ神よ
どうか我が身に安寧を
望む道への案内を

祈るは想い
想いは願い
願いを叶えうるは己自身
己は己の為に祈り
祈る先の神とは己

世に人が為の神は在らず
されど己が為の神は在り
すなわちそれ、己自身

己が為に己に祈り
己が為の願いを
神に届けと想うならば
花を散らさず
鳥を落とさず
人はただ己の為に
生きるのみの神となれ

過去の自分を責めたって
そのときはそのときなりに
生きていたはずだから。

どんな失敗をしていても
無駄な時間を過ごしていても
その選択をしたのは自分。

それを責めるのは
「今」が分かっているから
できること。
ああしておけば、こうしなければ
と、今の自分は思うかもしれないけど
過去の自分にとって
今、は未来だ。

今の自分に未来が見えず
どうしようと悩んでいるのと
同じこと。
過去の自分は自分なりに
悩んで出した答えのはずだから。
そんな自分を責めたって
しょうがないよね。


未来の自分はどう生きているだろう。
今の自分はこんな生活だけど
きっとそれなりに満足した
生活を送ってくれている、だなんて
無責任にも程があるよね。

未来の自分を作るのは
今の自分なんだから。
過去の自分から今の自分が
できているのと同じこと。


過去を責めるんじゃなくて
未来に任せきりにするんじゃなくて
過去を振り返って反省して
未来を見据えて悩んで
そうして「今」を生きていこう。

動けるのも、考えられるのも
過去でも未来でもない
今の自分だけなのだから。

人はそれぞれ
違う「価値観」を持つ。
人にも、物にも、現象にも
価値を見出すのは
自分次第なんだよ。


晴れた空から降る雨を
クリスマスの夜に降る雪を
ただの気象現象だというのか
「狐の嫁入り」だとか
「ホワイトクリスマス」だとか
いってみるのも、自分次第。

茶柱が浮いたお茶を見て
ゾロ目に揃った時計を見て
ただの偶然と思うのか
今日はいいことありそうだと
思うのかも、自分次第。 

仕事で出会った人達との出会いを
たまたま居合わせた人達との出会いを
なんてことない出会いにするか
価値のある出会いにするかも
自分次第。


これまでの人生
特別なことなど何もせず
上っ面だけで生きてきた自分を
何もない、つまらない人間だと
腐らせていくのか
何もないからこそ
まだまだ可能性に満ち溢れた人間だと
生かしていくのかも
自分次第。

 

あなたにとって

「自分と向き合う」ということに

どういった感情を抱きますか。

 

 

自分がどういった人間か

それを知るのは

怖いかもしれない

恥ずかしいかもしれない

情けないかもしれない

 

けれど、自分が自分を知らなくて

「こうなりたい」だとか
「こうしたい」だとか
どうやって叶えればいいのでしょう。

スタートが分からないのに
どうやってゴールに向かえば
いいというのでしょう。


スタート地点を把握すること。
自分を知ること。

それは、ゴールからとてつもなく
遠いところにいる自分かもしれない。

けれど、スタートが分かれば
ゴールまでの道も
おのずと見えてくるはず。


なりたい自分を見つける前に
今の自分を見てあげて。
怖くても、恥ずかしくても、情けなくても。


案外、知ってしまえば
なんてことない、ということも
あるのかもしれないし、ね。

 
こうしなきゃ!を邪魔する
言い訳ばかりしている自分を見かけたら
迷わずこう唱えましょう。
「うるせぇ、死ね」と。
 
暴力的な言葉遣いが苦手な方は
「今、僕ちょーっと忙しいから
あっち行っててくれるかな~?」
でも
「今、大事な話をしているんだ
お前はもう寝なさい」
でも
「言うこと聞かない悪い子は
お仕置きしちゃうゾ☆」
でも構いません。
因みに上記、3分の2はふざけてます。
 
 
要は「言い訳する自分」を
頭の中で本体と切り離して
追い払えばいいんです。
 
だって、邪魔だもん。
迷惑だもん。敵だもん。
悪いやつは淘汰されるべきものだと
日曜朝の戦隊ものか魔法少女ものの番組で
みなさんも幼い頃から知っているはず。
 
 
しかし当然、敵なので反撃してきます。
あの手この手で言い訳を押し通そうと
敵も敵なりに必死になります。
奴らなりの正義があるからです。
 
奴らの正義とは
「リスクを負わないこと」です。
簡単に言うと
「変化に伴う金銭的、精神的ダメージを
負わないための自己防衛」です。
 
実はこの正義、最低限は
必要なものなんです。
この場合の最低限とは
「生きるための金銭」と
「崩壊しないだけの自我」
です。
 
もう少し簡単に言うと
変わりたいと思い、そのためだからと
仕事を辞め、高価な道具を買い
もしくは高額なセミナーに通い
結果、生きるための最低限の金銭を
確保できない状態になること
及び
新しいことに手を出しても
上手くいかない、人並みにできない
自分は何をやっても駄目なんだ…と
変わろうとする意識すら
奪われてしまうこと。
このような状態になると
本末転倒なのは明白ですね。
全力で悪い方向に人生が劇変します。
 
しかし、このリスクを恐れてばかりでは
結局は何も変わらないまま
人生が終わってしまいます。
では、そうならないために
すべきこととはなんでしょうか。
 
答えは、冒頭で述べた
「言い訳の撃退」の次に
「敵の意図を汲んだ上で再度思考する」
ということ、です。
 
敵は敵なりの正義や主義主張をもって
我々の邪魔をし、攻撃してくる。
ただ追い払うだけでは駄目なのかもしれない。
やつらはなぜ、こんなことを…
 
そうして思い当たるわけです。
我々の敵「言い訳」は
「最悪のシナリオに向かわせないための
防衛手段なのだ」と。
 
 
言い訳、というとどうしても
ネガティブな存在だと捉えられます。
実際、変化を拒もうとする言い訳は
それ単体で見れば害悪でしょう。
 
しかしそれを
「身を守るための
自分とは別の存在なのかもしれない」
と捉えるとどうでしょう。
少しは親近感がわいてきませんか。
 
一度倒した敵が
窮地に味方として現れる、という展開
なんとも日曜朝の番組らしいじゃないですか。
 
 
以下、まとめ。
邪魔だと思った言い訳は
即刻敵とみなし、自身から切り離し
排除してしまいましょう。
しかし、その敵はあくまで
最低限の自己防衛であるという
可能性を忘れずに。
忘れた頃に自分を助けてくれることも
あるかもしれません。

 

眠いと感じたら寝る。

以上!!!

 

 

眠いのに頑張って

あるいは惰性で起きているから

寝落ちだなんて結果が生じる。

眠いときは寝りゃいい。

眠気を我慢して作業しても

効率は悪いしミスも多い。

早めに寝た分早く起きて

遅れを取り戻せばいいだけ。

 

 

あぁ…でも

眠いけど寝ちゃ駄目…

けどもう無理…

ってなってるときのあのまどろみは

なんとも言えない気持ちよさだよねぇ…

授業中とかつまらない会議中とか…

 

 

※授業中も会議中も

基本的に寝てはいけません。

そうならないように

日々十分な睡眠を心掛けましょう。

 

※寝落ちが気持ちいいから

いつもそうしている

という人はそれで構いません。

僕もやらなきゃいけないことや

翌朝早起きの必要がないときは

ゲームしながら寝落ちするのが

1つの楽しみです。

 

自分で勝手な制約を課しているから。

要は、言い訳をしているから。

原因は、ただそれだけ。

そしてその対処法は

その制約を取っ払うこと。

つまり、言い訳をしないこと。

ただそれだけ。

 

 

例えば、俺は文章を書くのが好きだ。

高校生の頃は文芸部に所属して

好き勝手に文章を書いていた。

(文芸部などと言いながら

文学作品はほとんど読んだことないし

書く作品も非日常な内容のファンタジーや

SFチックなものが多かったけれども)

 

そんな俺が、ブログになると、

どうしても書けない。書く気が起きない。

文章を書くこと自体は好きなはずなのに、だ。

 

考えてみて気付いたことは

ブログを書くことに、自分勝手で

なんの意味もない制約を

言い換えれば、書かない言い訳を

山のように課していたからだということ。

その例をいくつか挙げてみる。

 

 

1、こんな文章、きっと誰かが書いている。

二番煎じなブログなど書いたところで

見向きもされないだろう。

→お前、何様だよ。

25歳の若造の考えてることなんて

既にどっかの誰かは考えている。

だからと声をあげないんじゃなく

「お前の」考えを「お前が」発信することに

意味があるんじゃねーのかよ。

一生、どこかの誰かの二番煎じだと

何もせずに生きていくつもりか。

 

2、ネタがない。

→お前、ふざけんなよ。

仕事だけの1日だったかもしれないけど

今日1日何も感じなかったのか。

仕事中も、誰かとやりとりするときも

通勤途中も退勤途中も

飯食って風呂入ってるときも

何1つ感じなかったなんてことは

ないんじゃねーのか。

何か1つでも感じたことがあれば

そのひと言でも書けばいいじゃねーか。

 

3、教えてもらった通りの書き方ができない。

→お前、馬鹿か?

確かにブログの書き方は教わった。

このブログが仕事のものであるなら

その通りのやり方や

戦略も戦術も必要だろうさ。

けど、今このブログはなんだ?

ただ自分の考えを書き連ねて

自分の存在をアピールするため

ただそれだけのツールだろ?

習った通りのやりかたじゃなきゃ

駄目だなんて誰が決めた。

そもそも発信すること自体が

大事なんじゃねーのか。

 

 

はい。要するに全て、ただの「言い訳」だ。

やらない言い訳。動かない言い訳。

現状維持でぬるま湯に浸かって

誰かから甘やかされるのを

待つだけの言い訳でしかない。

 

支離滅裂でいいのだ。

荒唐無稽でもいいのだ。

誰かに伝えたいことがあるなら

自分に言い聞かせたいことがあるなら

たったひと言の戯言でさえも

ブログという形で残せばいい。

 

文章に限った話ではない。

例えば音楽、芸術、スポーツ

勉強も仕事も、全てそう。

やらない理由を言い訳に求めるな。

必要なら、好きなら、

やるしかない、やればいい。

それだけの話だ。

 

 

厳しい現実を見るのが嫌で

何もせず何にも動かず

逃げて隠れて抑え込む。

それだけの人生でいいなら

今すぐそのスマホをぶっ壊して

ホームレスにでもなればいい。

 

昨日まではそうだったかもしれない。

今日から変わりたいと思うなら

何かを変えなければ、叶うことはない。

その第一歩は、言い訳をしないこと。

やってみること。考えること。

ただ、それだけである。


仕事、趣味、習慣
なんでもいいからこれまで
自分が費やした時間と
その内容を明確にしてみること。


15,540時間
概算だけど、俺が今の
居酒屋の仕事をした時間。

社員として内定を貰って
バイトを始めたのがちょうど5年前。
そして社員になり、バイトに戻り
今に至るわけだけど
平均して週2日休み
1日12時間働いたとすると
15,540時間にもなる。

居酒屋の従業員、というと
調理か接客の仕事がメインになる。
更に店長ともなると
人員、食材の管理に始まり
売上を上げる為の策を練り
従業員を育成し、シフトを作り
売上に応じた調整をし
などなど、業務は多岐に渡る。

もちろん、調理や接客だって
上を目指し続けなければいけない。
効率よく、おいしい料理を提供する
その為の売上予測に応じた発注、仕込み。
お客様の様子を伺いながら
目配り、気配り、心配りをしつつ
できる限りのサービスを心がける。

従業員とのコミュニケーション
マネージャーとの関わり…
20歳にして、さながら中間管理職だ。


ここまで書いて、ようやく気付いた。
あれ、俺結構頑張ってね?
できることとかなんもねー
と思ってたけど、意外とあんじゃね?
と。


そう。なんとなく生きるために
働いていただけと思っていたけど
これだけのことを考えながら
15,540時間も過ごしてきた。
これが、居酒屋で働く、以外に
役に立たないわけがない。


つまらないと思っている仕事でも
日頃なんとなく続けていることでも
塵も積もれば、だと
継続は力なり、だと
自覚するとしないとでは
全然違うんじゃないだろうか。


自分の棚卸し
できること探し
こんな考え方もあるよ、と
身をもって体感した上での
ご提案である。