
こんな人たちを知っている。
女はとても若く美しかった。男はみすぼらしく粗野だった。
ある晩のこと、女から妊娠を告げられた。
思いもよらないことに、男は酒をやめ、まっとうな仕事についた。そして女のために家庭を築くことに一生懸命になるつもりだった。
だが女の様子が変わり始めた。
子供が生まれてからというもの、彼女は周囲のすべてにいらだつようになった。何にでも腹をたて、子供の存在さえ彼女への不当な仕打ちに思うようになった。
男は何でも女の気に入るように尽くした。物を買い与え、食事に連れ出した。
だが何をしても彼女は満足しなかった。
男は出会った頃の二人を取り戻そうと必死になった。
やがて男はどうあがいても無理だと悟る。女のやることなすことが幼稚な子供のように感じ、男はまた酒に溺れるようになった。
男が夜遅くに帰ると、女は心配もせず、ただ激怒した。縛られた生活は嫌だ、なぜ子供を生ませたのかと男を責めた続けた。
女は逃げる夢を見ることを男に話した。夜、通りを裸足で逃げる自分の姿、野を駆け抜け、川を横切り、ひたすら逃げる夢を。ただそこには必ず男が現れ、女をどうにか押しとどめてしまう。
この夢の話しに男はその通りだと思った。女を縛りつけていることに。
女はその夢を投影するかのように実際に通りを裸足で駆け抜けた。
男はその後ろ姿を追いかけた。条件反射のようにひたすらに。立ち止まり振り向くことを願いつつ。
やがて男は何も感じなくなり、女の言うがままに家を出ていった。帰る家を失った恐怖を感じつつ、どこか遠くに行ってしまおうと。
だが男にも安らぎはなかった。女からの絶え間ないメールに。存在を否定したはずの男に対して。
深夜のレストランに一人いても。ネットカフェで疲れた体を横たわらせていても。それは絶え間なくやってきた。
そして男に衝撃が走った。
子供の血の繋がりについて。可能性について。
冷静さを失った女の一言一言が、常軌を逸した女の言動が、男にはどうしようもなく切なく感じ、身勝手な独りよがりだと痛感させられた。
そして男は前に繋がる通りを走り出した。振り返ることなく。日が昇るまで。走れなくなるまで。
走り続ける目的などなく、誰の姿も見えなくなるまで…