湯川教授とアインシュタインの憂鬱~北朝鮮の核実験 | やっくんの事件簿ブログ

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-1948年


湯川がオッペンハイマー博士に招かれアメリカへ到着すると直ぐに、ある人物が訪ねてきた。もう1人の天才アインシュタインだった。

湯川は扉を開けて驚いた。自分のヒーローでもある、70歳なろうかというあのアインシュタインが、湯川の両手を握り締めて激しく泣きだした。そして何度もこう繰り返した。

「原爆で何の罪のない日本人を傷つけてしまった...許してください」


ファットマン


-68年後



「歓喜絶頂の上で」

「地球が揺れる!
世の中がまるごとひっくり返る
痛快だ!胸がスカッとする
我々の水素弾よ!」
ー北朝鮮のテレビで流されたとされる詩


北朝鮮報道


北朝鮮は「初の水爆実験を成功裏に実地された」と政府声明を発表した。北朝鮮の核実験は4回目、金正恩体制下では2013年2月に続き2回目となる。 ー産経新聞

先日、こんなニュースが流れた。
北朝鮮が今回は原爆の二千倍の破壊力があるといわれる水爆(水素爆弾)の実験を成功裏に、金正恩第一書記の指示のもと実施したと発表しました。



キムジョンウン
※金正恩第一総書記 危険すぎ、粛清しすぎ、太りすぎ、刈り込みすぎ。

本当に水素爆弾なのかも疑わしい限りですが、日本、中国、韓国など近隣諸国はもちろんアメリカや世界中から非難の声が上がりました。

そもそも北朝鮮は、なぜ世界から嫌われる事をわざわざするのかといったことを疑問に思う方もいらっしゃるかと思います。

それは今回の核実験により、北朝鮮の軍事力を世界へアピールすることが出来、それが圧力となり政治的な発言力の推進力となり、近隣諸国や他国への外交に有利に働くからです。もしくは武器やミサイルをアピールし、外国に買ってもらうこと(輸出)にもつながる。

外交の発言力及び交渉力の背景には軍事力が不可欠。軍事力のない国の発言は残念ながら聞いてもらえません。それどころか、他国に軍事力で攻められたら、領土や国を奪われることもあります。

「あいつはヤバい奴だから、ちょっと話を聞いてやらないと、何をしでかすかわからん」といった具合です。クラスに一人ぐらいそんな奴いたかもしれませんが。

核兵器や武力のない世界は理想的ですが、人間のエゴがある限り、そんな世界は”絵に描いた餅”です。自国の安全と利益と平和を保つためには、外敵から身(国)を守る軍事力が必要なのです。ましてや、日本に当てはめれば、近隣に北朝鮮や中国など軍事力で脅し、実際に領土を奪いに来ている国がある限り、それに対抗する措置を取らざるを得ないのが現実です。

北朝鮮の水爆実験の裏には、金正恩第一書記の幾つかの思惑があります。

1つには、先ほど触れた海外への政治的な発言力を増すため。北朝鮮は金正恩で三代目ですが、父の金正日、祖父の金日成の時も軍事開発には力を入れてました。それを外国カードにして、相手国から自国に有利な条件を引き出していました。
しかし、現在の金正恩氏は外交をほとんど行えておらず(対等に話せるレベルにない⁉︎)、今まで以上に軍事=(イコール)外交カードという位置付けを強めているのではないでしょうか。

もう1つは国内向けでしょう。国民の問題意識を外に向けるためと、金正恩体制の求心力を高めるためです。

北朝鮮はご存知の通り一党独裁の社会主義の国で金正恩第一書記の存在は絶対ですが、国内の経済はどうでしょう?決して恵まれた状況ではなく、慢性的な貧困状態です。普通であれば国民の不満が爆発してもおかしくありません。しかし、そんな国民の声は表立っては聞こえて来ません。脱北者や彼らを乗せた船が時折報道されるぐらいです。昔は「北の楽園」や「理想郷」と拉致問題が明るみになる前は日本の社会党などはよく発言していましたので、その名残やら何かの圧力や工作活動があるのかもしれませんが。

北朝鮮は強力な情報操作と情報の遮断により、国民に海外の情報を与えないように徹底していると言われております。北朝鮮は日本人を数百人拉致しておりますが、北朝鮮国民もそれに(拉致)近い状況ではないのでしょうか。

また、金正恩氏は第一書記就任以来、側近を粛清しまくっており、彼に正しい助言が出来る幹部がいるのかどうか疑問です。自身の力不足ゆえ、カリスマ性が無い分、気に食わない、もしくは疑心暗鬼に陥り側近を粛清すること、または恐怖心で統率しようとしている。昔から民心を掴まない指導者は滅びると言います。

また、実質、石油や食料などの下支えをしている中国を軽く見ている節もあり、中国からの制裁で一気に息の根が止まる可能性もあります(北朝鮮の貿易の9割は中国)。

中国は北朝鮮を永らく、同じ社会主義国の分子として扱っており。ちょっと危険な利かん坊の保護者、もしくは問題児をコントロールする役割的存在、自国体制の避難回避、事を交えたくないアメリカと同盟する韓国との地理的緩衝地帯といった理由で、北朝鮮には甘い。金正恩は中国は結局は北朝鮮を見捨てることは出来ないと考えているのでしょう。

核実験を繰り返す北朝鮮は、世界の叡智の結集をおもちゃにする、思春期の猟奇的な糞ガキがトップという悲劇的な国家であり、非常に危険でもろい状態にあると言えるのではないでしょうか。

かつての天才的科学者たちは、どのように見ていたでしょう。


-1934年

すべての物質は原子で出来ている。

そして原子は電子と原子核に分けられ、あたかも太陽の周りを惑星が公転するかのように、電子は原子核の周囲を回っている。

ただし、太陽系の惑星を支配しているのは万有引力。電子の方は電気の力です。

原子核の陽子はプラスなので、マイナス電荷の電子がずっと外側を回っている。

ここで問題が出てくる。原子核を構成しているのは陽子と中性子。中性子は無電荷。プラスでもマイナスでもない。

じゃあなぜ陽子と中性子は電気の性質が違うのに、バラバラに崩壊せず原子核を作っていられるのか?

ここで湯川は仮説を立てました。

両者の間にはとっても小さな粒子「中間子」が存在していて、それをキャッチボールすることで離ればなれにならないのだと。

彼がこの予言を日本数学物理学会に発表したのは1934年、まだ27歳の若さだった。


湯川秀樹

※湯川秀樹(ゆかわ ひでき/1907年1月23日-1981年9月8日)は、京都府京都市出身の理論物理学者、京都大学・大阪大学名誉教授。中間子理論の提唱などで原子核・素粒子物理学の発展に大きな功績を挙げた人物であり、1943年に文化勲章を授章、1949年に日本人として初めてとなるノーベル賞を受賞。

湯川氏は京大グループのリーダーとして、原爆開発につながる研究を戦前、戦中に行っていました。しかし、原爆開発成功の直前に昭和天皇の意向により、研究が中止させられました。

その後、湯川はアメリカのオッペンハイマー博士に誘われ、アメリカにある世界トップクラスの研究所へ渡ります。

そこで湯川氏はアインシュタインと出会い「原爆で何の罪のない日本人を傷つけてしまった...許してください」と言われました。



リトルボーイ
※広島に落とされたウラン型原爆「リトルボーイ」のキノコ雲、25万8310人の命が奪われた。



ファットマン
※長崎に落とされたプルトニウム型原爆、広島に投下されたウラン型の1.5倍の威力があったが、長崎市が山に囲まれる地形だったため、広島よりも被害は少なかった。

原爆はアインシュタインが1905年に発表した特殊相対性理論、E=mc2という公式を基にした兵器だったのです。


アインシュタイン1

※アインシュタイン(1879-1955)

アインシュタインはナチスの迫害を受けてアメリカへ亡命したユダヤ人。
ヒトラーが原爆の開発に着手したことに危機感をもち、1939年、ルーズベルト米大統領に対して「絶対にドイツより先に核兵器を製造せねばならない」と進言していました。

1954年、死の前年にアインシュタインは「もし私が、ヒロシマ、ナガサキのことを予見していたならば、1905年に発見した公式を破棄していただろう」と語っている。

目の前で世界最高の科学者が肩を震わせて涙にくれている姿を見て、湯川は大変な衝撃を受けた。しかし、彼は今までの苦労、そして大学の仲間たちの希望をになってアメリカへ渡ってきた。科学者たる者、本分と使命感がアインシュタインの言葉の本当の意味を遮った。

その後、湯川氏は長年の研究の成果を遺憾なく発揮しました。

そして、それ以前からの成果を評価され翌年ノーベル物理学賞を受賞する。

若き日に「人間」アインシュタインの良心に触れた彼は、後に、学者は研究室の中が世界の全てになりがちだが、世界の平和なくして学問はないとの考えに至り、受賞後、積極的に平和活動に取り組んでいく。

彼はまずアインシュタインが推進する世界連邦運動に加わった。これは世界を連邦制にすることで、国家から領土拡大の野望を駆逐するもの。

そして各国の指導者に核兵器破棄を勧告する平和宣言「ラッセル=アインシュタイン宣言」に署名した11名に名を連ね(全てノーベル賞受賞者)、科学者を中心にしたパグウォッシュ会議(1995年にノーベル平和賞受賞)に参加してゆく。

国内では川端康成らと世界平和アピール7人委員会を結成して、反戦と核兵器全廃を訴え続けた。そして地球共同体を夢見ながら1981年、74歳で永眠した。

アメリカにとって湯川はアインシュタインに次ぐ科学兵器の最大の功労者の1人だった。

ノーベル物理学賞はアメリカや欧米からのご褒美でした。

彼の研究が、直接日本に落とされた原爆に関係したかはわかりませんが、その後の世界の核兵器事情に影響を与えたのは事実でしょう。

ある意味彼は日本の技術をアメリカへ売り、引き換えにノーベル賞をもらった酷い人物のような評価もあるでしょう。しかし、科学者は研究し、成果を出すことが本分であり、その後、それをどう国や団体が使おうがそれ以降は、関係のないものです。

しかし、アインシュタインも湯川秀樹も責任を感じていた。アインシュタインに至っては、その後の人類が、相対性理論を応用し、核兵器競争に入り、それを抑えきれないことをわかっていた。

しかも、その後、人類が科学の進歩を続けた時に何に行き着くか。

彼は反重力装置と言っています。

反重力装置にはリスクがあり、重力を何もない空間で反転させたら何が起こるか?

ビックバンです。宇宙の始まりであり、終わりと言われるビックバンの力を知ってしまった人類がその絶大な力を使わずにいられるか?そしてコントロールできるでしょうか?

アインシュタインは未来を予測した時にこれらのことを予見していた。だから「人間は愚かなことを忘れるな」と舌を出し警告したのでしょう。


アインシュタイン舌


湯川秀樹もアインシュタインも死の間際まで自身の贖罪(罪滅ぼし)に苦しんでいたのかもしれません。