布団の中から旅の思い出・・・ | がけっぷち人生向上ブログ

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2019年12月にYahooブログから引っ越してきました。
キャンプにカメラに雑学に。

お盆休みが終わり、
会社のメンバーさんもそれぞれハードな毎日。
 
がけっぷちもお盆休みの間からお客さんからの電話やメールで仕事がたまっていき、
この一週間非常に厳しく忙しい毎日でした。 
 
その影響からか、せっかくの土日。
 
土曜日の深夜3時過ぎに目が覚めて、「腰が痛い」&「薄い頭痛」に気がつきました。(゜Д゜)
 
 
 
今は動けるようになりましたが・・・。(ノ_-;)
 
 
 
そうそう、カープがヤクルトの小川投手に打ち勝ったそうで。
なんとかセリーグで3位ですが、借金だらけの成績での3位でAクラスって言うのも不甲斐なく。
 
広島県生まれの広島育ち広島在住40年のがけっぷちですが、
長らくリーグ優勝どころかAクラス入りすらしないカープに、
少しずつ関心が薄らいでいっているというか、仕事が忙しくて見聞きする暇がないというか、
テレビ、ラジオの野球中継は全く利用することが無くなり、勝利に一喜一憂する事が無くなってきたような気がします。
 
友達たちとカープ談義をしていると、オーナーが、監督が、コーチが、選手が悪いと色々ありますが、
オーナーに対しては擁護意見は全く聞く事がないですが、
監督を始めとしてコーチ陣や選手には色々と皆さん思う事があるみたいですね。
 
広島市南区の向洋新町だったか、団地内のメイン道路沿いのカラオケ喫茶に、
「頑張れ野村謙二郎!」ってな看板を見かけた事がありますが、今年Bクラスになったら気の毒な気もしますが監督交代は間違いないんでしょうね。
 
1973年生まれのがけっぷち。
 
カープの監督として記憶にあるのが、
1975年の途中から1985年まで監督された古葉竹識監督。
その後の阿南準郎監督、山本浩二監督、三村敏之監督、達川光男監督、マーティー・ブラウン監督、
そして野村謙二郎監督。
 
阿南準郎監督は、現在広島カープの取締役育成部長、常務取締役球団本部長兼連盟担当、取締役相談役を歴任したそうで現在75歳。
三村敏之監督は既に亡くなられ、仕事帰りに安佐南区祇園の葬儀場で三村監督のお通夜を拝見しました。
達川光男監督は、とある住宅建設会社のイメージキャラクターになったそうで、最近テレビCMでよく見かけます。
 
 
次は誰が監督になるのか、気になるところです。
 
 
話を元に戻しまして・・・・
 
 
布団の中で横になって療養していた、がけっぷち。
布団の中から眺めるテレビ番組の殆どが知らない番組ばかり。
 
そう言えば長らく土曜日の夕方で「欠かさず見てる!」ってな番組が無い事に気がつきました。
 
 
がけっぷちが20歳になるまで、
土曜日の夕方は見たいテレビ番組が毎年の様に存在していました。
 
NHKの「人形劇三国志」は本当に楽しみでした。
「聖戦士ダンバイン」 「戦闘メカザブングル」 「機動戦士Zガンダム」 「機動戦士ガンダムZZ」や
「よろしくメカドック」 「ゲゲゲの鬼太郎」 「おそ松くん」などアニメ番組も大好きだったし、
山田康夫さん、中尾ミエさん司会の「お笑いスター誕生!!」も大好きでした。
そうそう、芳村真理さんと西川きよしさんの番組「料理天国」などは祖父母の部屋に行くと、
見る事が出来ました。(龍虎さん、お元気されてるのかな?)
 
部活があっても、土曜日の夕方だけはテレビを見る事出来ますもんね♪(*゜▽゜)ノ
 
 
そんな事を思い出しながら布団の中でゴロゴロしていたのですが、
24時間テレビが始まったのを眺めながら、
「今年もこの季節になったんだなぁ」
と感じました。
10数年前まで、部活の同窓会の集まりといえば、24時間テレビ放送当日。
それも集合は夕方6時、広島そごう正面玄関。
当時24時間テレビの募金場所があった場所でした。
 
そう言えば、昔は欽ちゃんが司会されていたけど、いつ頃から今の番組スタイルになったんでしょうか?
 
 
そんながけっぷちが、小学生だった頃。
 
 
同居していた祖父母に連れられて、山口県の小郡駅から島根県の津和野駅まで
SL山口号に乗って旅行に出かけた時のこと。
 
小学生の時の事なので、殆ど覚えていない中、ホテルで唯一覚えていたのが、
赤い14型くらいの曲面ブラウン管テレビで拝見したテレビ番組。
 
それは「お笑いマンガ道場」でした。
イメージ 1
※「お笑いマンガ道場」 1976年4月~1994年3月 中京テレビ製作
 
 
 がけっぷち 「あれ?広島と同じ番組が流れてる。」
 
 
と不思議に思いましたが、同じ中国地方だから放送してても不思議じゃないかなと、
勝手に納得していました。
 
実際、広島市内でもがけっぷちが子供の頃は遠く瀬戸内放送のテレビ番組が映っていました。
 
「お笑いマンガ道場」は広島県三次市出身で元RCC(中国放送)アナウンサーの柏村武昭さんが
2代目の司会者の番組。
がけっぷちはこの番組で、「鈴木義司さん」や「富永一郎さん」、「車だん吉さん」の名前を覚えました。
 
「車だん吉さん」は欽ちゃんこと、萩本欽一さんのコント55号の弟分として「コント0番地」って事でデビューされたとか。
 
 
番組後期になって気がつきましたが、「お笑いマンガ道場」って愛知県の放送局が製作されてたんですね。 司会者が広島出身の柏村武昭さんだっただけに、勝手ながら広島ローカル番組だと思い込んでいました。
 
 
祖父母に連れられて津和野旅行をした、その翌年。
 
広島駅構内にある「日本食堂」という名前の料理屋さんを訪れた際、
2階のお店から出てきたリアル柏村武昭さんとすれ違いましたが、
白っぽいスーツに大きめのサングラス、男性なのに指輪をしているように見えて
とても派手な雰囲気にとても不思議に感じたりしました。
(次にリアル柏村武昭さんを拝見したのは10数年後の広島市長選にて)
 
 
再び話を元に戻しまして・・・・
 
車だん吉さんは、大河ドラマ「翔ぶが如く」などで活躍されている姿や、
ピタゴラスイッチのナレーションなどで活躍されています。(*゜▽゜)ノ
 
鈴木義司さんは既に亡くなられているそうですね。
富永一郎さんとのマンガの応酬は大好きだっただけに、とても残念です。
 
富永一郎さんは、御歳88歳でご健在とのこと。(^ー^)ノ
 
男性で88歳は本当に長生きされちゃってですよね。
 
富永一郎さんは若かりし頃は、教員だったとか。
 
その頃の教え子として、広島カープの元監督、阿南準郎さん。
 
また富永一郎さんの母校の後輩としては、阿南準郎さんの他に、廣瀬純選手や、現在の監督、野村謙二郎さんも。
 
それに加えて富永一郎さんは熱狂的な広島カープファンで、過去には応援歌を吹き込まれたとか。
 
 
借金だらけの3位でAクラス入り、Aクラス内で試合してリーグ優勝って事ではなく、
シーズンが終わった段階でリーグ1位で終わってもらい誰もが納得いく優勝をカープにしてもらいたいなと、ふと感じた我がままながけっぷちでした。 <(_ _)>
 
 
 
※腰が痛いので、もう横になります。 結局この土日は寝て過ごしてしまいました。(ノ_・、)