伊400から想う8月15日(長文です) | がけっぷち人生向上ブログ

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キャンプにカメラに雑学に。

この記事を作り始めた時刻は2012年8月15日午前11時57分。
 
 
今から67年前の今日。
 
 
ラジオ放送で多くの日本人が終戦を知ったそうです。
 
 
通称 「玉音放送」
 
 
以前拝見した三宅裕司さんが司会されていた番組で、
「通常より出力を上げて放送されたそのラジオ放送(玉音放送)の内容は多くの国民が聴き取れなかったが、その放送の中の一文、耐え難きを耐え忍び難きを忍び」とという箇所で終戦を理解したとか。
 
 
15代続いた徳川将軍による江戸幕府が終わり、
明治・大正・昭和と続いた中で、内乱時代から日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦と戦勝国の立場であり続けた日本。
アジアの劣等国から開国後にわずか数十年で世界の大国の仲間入りをした日本。
 
その時代が1945年(昭和20年)8月15日終わりを告げたのが67年前の今日だそうです。
 
 
江戸時代末期、欧米諸国との不平等条約から始まった開国。
 
東アジア諸国の中で当時の日本は唯一といっていいほど急進的に自国の文化や伝統の中で、その一部を廃し、外国から新たな文化や技術を取り入れに取り組み、国民の多くが貧しいながらも、世界の中の日本の存在感をじょじょに高めていきました。
 
世界地図の中での日本列島の位置も世界の中での日本の存在意義が高まる要因の一つだったのだという話もあります。
東アジア諸国の多くが西欧諸国の植民地になる中、日本は古来から自国の統治を続けてこれた日本にとって、終戦は初めて他国の統治を一時的にとはいえ受ける出来事でした。
 
 
日本が取り組んだ富国強兵政策が終わりをつげ、戦後の混乱期から立ち直った日本。
 
 
戦前も戦中も戦後の今に至っても資源の無い中、伝統と文化だけでなく、
江戸末期からの開国から取り入れてきた外国の文化・技術を戦後新たに花を咲かせ今に至ります。
 
 
芸術・科学・工業、あらゆる分野で67年の間、沢山の花を咲かせました。
 
 
終戦の1945年(昭和20年)からの始まった其々の分野での研究開発。
 
戦争を体験した世代の人々。
戦後の貧しい日本を経験した人々。
戦後の特需景気に生まれ育った人々。
ベビーブーム世代の中で多くの同友たちと激しい競争を暮らした人々。
バブル景気の中で初めて社会人を経験した人々。
 
 
戦後の時代の中で生まれ育った環境、教育を受けた環境によって人それぞれの思い・考えがあると思いますが、私個人としては、先の大戦で亡くなられた世界中の多くの方々のご冥福をお祈りしたいと思います。
 
 
ここで、一つのお話の紹介。
 
 
ドイツ・ソビエトがポーランドに侵攻して始まった第二次世界大戦。
 
直接戦闘に参加した国、宣戦布告だけ行った国、統治国の参戦に加わった当時の植民地各国含めて、
数十か国が枢軸国側・連合国側として戦争を行いました。(中立国はスイス・ポルトガル・スウェーデン・バチカン・アイルランド・スペイン・アフガニスタン)
 
この第二次世界大戦では多くの新たな技術が戦争につぎ込まれました。
 
 
有名なところで、レーダー技術・ロケット技術・・ジェット技術・近接信管、そして核兵器。
 
既存の技術も各国が進化させ、陸・海・空の兵器はさらに発展しました。
 
当時の日本は12隻の戦艦、20数隻の航空母艦をはじめとして、巡洋艦・駆逐艦・潜水艦・その他艦艇含めて数百隻の艦艇(艦船)を持つ海軍を持っていました。
 
 
当時の日本は空軍は持っておらず、各種航空機は陸軍・海軍に属していました。
 
一般的に有名な兵器としては、戦艦大和、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)などがありますが、
一般的に「ゼロ戦(零戦)」と呼ばれる戦闘機はその名に「艦上戦闘機」とあるように、
主として軍艦の上で運用する航空機です。(ということで海軍の戦闘機)
 
軍事兵器として発展した飛行機はその後ジェットエンジンを搭載した飛行機が主流となっていきますが、
現在に至るまでプロペラを回転させて飛行する飛行機として「飛行艇」というものがあります。
 
飛行場が無くても、海や湖さえあれば着水出来、かつある程度大型化が可能な事で、
現在に至るまで各国で輸送・医療・救助などで活躍している飛行機です。
 
戦争中は、飛行機製造メーカーの川西航空機が開発した二式飛行艇がの技術が、
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(写真はハセガワ製プラモデル 二式飛行艇の箱絵)
戦後、関わった技術陣によって発展改良され、海上自衛隊で活躍しています。
 
イメージ 2
(写真は海上自衛隊のUS-2)
(ちなみに二式飛行艇を作った川西航空機は、新明和工業として現在に至る企業さんだそうです。)
 
 
話を本題に戻しまして・・・
 
飛行艇技術は戦前・戦中の技術が現在まで生かされている日本の誇れる技術の一つ。
 
 
電子技術などで欧米諸国に後れを取っていたと言われる、戦中の日本ですが、
実は八木・宇田アンテナとよばれる最先端の電波技術を持っていました。
 
「八木・宇田アンテナって何?」って思っている人も、
みなさん全員、お家の屋根の上にあるテレビ受信用アンテナは知っていますよね。
 
ちなみに戦争中はテレビ放送などはどこの国にもなく、その技術は軍事技術として全世界で利用されていました。 日本軍はその応用性・先進性に気付くのが遅く、西欧諸国が先に活用していたのは、とても残念な話として残っています。
(アメリカ軍やドイツ軍の飛行機の鼻先にアンテナが飛び出していたりする映像を見たことないですか?)
(詳しくはインターネットで「八木・宇田アンテナ」と検索してみてください。)
 
 
戦艦大和や翔鶴型空母で採用した球状艦首「バルバス・バウ」の技術を含めて、
各種艦船で培った技術は、戦後大型商船・タンカーなどの造船技術で役立っています。
 
 
どの技術もある日からずーっと採用されているものではなく。
試行錯誤の上、改良に改良を加えて、その形状・原材料・製造工程などを見直し現在に至ります。
 
 
 
今回紹介するのは、伊400型潜水艦のお話。
 
 
伊四00型潜水艦
 
日本海軍が保有した潜水艦としては最大の大きさ(全長122m)、フロート(浮き)付の水上攻撃機「晴嵐」を搭載した潜水艦でした。 建艦にあかり、数隻が計画されましたが実戦配備されたものは伊四〇〇、四〇一、四〇二の3隻。 残りは建造中に攻撃を受けたものや、建造中に中止されたました。
 
イメージ 5
(写真は、アオシマ製の伊-400潜水艦のプラモデルの箱絵 艦上の飛行機が晴嵐(せいらん)特殊攻撃機)
 
特殊攻撃機「晴嵐」を3機搭載した大型潜水艦でした。
 
イメージ 3
 
(写真はタミヤ製 晴嵐プラモデルの箱絵。 伊四〇〇型潜水艦のカタパルト(ちなみに大和型より大きいそうです)から圧縮空気で射出されます。)
(先に紹介しました飛行艇とはちがい、こちらはフロートと呼ばれる浮きを使用して水上に浮くことが可能です。)
 
 
 
伊四〇〇型潜水艦・攻撃機晴嵐の詳しい事は省略しまして、この潜水艦は、完成後パナマ運河攻撃作戦に使用される事になったそうです。
 
大きさ比較として、広島県呉市にある大和ミュージアム前に展示されている、
元海上自衛隊の潜水艦「あきしお」と比較してみましょう。
 
イメージ 9
ちなみに、この潜水艦は全長77m。
 
伊四〇〇潜水艦は全長122m。 実際に「あきしお」をご覧になられた方だと、
「あきしお」より45mほど全長が違う伊四〇〇の大きさが解られるかと・・・。
 
んで、パナマ運河って何処にあるかご存知ですか?
 
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(写真はグーグルアースの北米・南米の地図)
 
よってみましょう。
 
イメージ 7
北米と南米をつなぐ、ちょうど「くびれた」場所に存在する運河です。
 
世界の中でスエズ運河と同じく有名なパナマ運河。
 
大西洋と太平洋をつなぐために作られた人口の河川(運河)です。
 
 
といっても平らな場所に建設されたものではなく、運河内の高低差を無事に解決して大西洋と太平洋を行き来することができます。
これにより、南アメリカのマゼラン海峡を通って大西洋・太平洋を行き来することなく、短期間且つ安全に行き来することが可能となりました。
 
ヨーロッパではイタリアが降伏し、ドイツが苦戦する中、
海上戦闘の機会が少なくなった大西洋から、太平洋へアメリカ・イギリスの艦船が回航されることを妨害するために、当時の日本海軍は攻撃機を搭載した伊四〇〇型の潜水艦と、その他の潜水艦とで攻撃を計画しました。
 
 
 
しかしながら、日本本土爆撃などにより艦船・飛行機の製造がままならなくなり、
またパナマ運河攻撃の必要性も薄くなった昭和20年。
 
多くのアメリカ軍艦船が停泊するウルシー泊地を攻撃することになりました。
 
 
では、ウルシー泊地はどこにあるのか見てみましょう。
 
イメージ 8
(多分赤○で囲ったあたりがウルシー泊地がある場所だと。)
 
現在では観光で多くの日本人が訪れるサイパン・グアムの近くにあります。
 
1945年6月。 ウルシー泊地で停泊しているアメリカ軍の艦艇を攻撃する計画が決定され、
伊四〇〇、四〇一、一三、一四潜水艦が出航しました。
 
ウルシー泊地攻撃を数日後に控えた、8月15日。
 
本土からの戦闘中止・停戦命令を電信で受けた伊四〇〇.四〇一.一四潜水艦は、
ウルシー泊地を攻撃することなく、本土を目指して船体を回航させ、
日本近海にてアメリカ軍に接収され、武装解除を行いました。
 
(動画はアメリカ軍に接収された伊四〇〇型潜水艦)
 
接収された伊四〇〇.四〇一潜水艦はアメリカ軍にてその建艦技術・伊四〇〇型がもつ独自の技術の調査が行われることになりました。
 
 
当時でも世界の中で最大だった潜水艦、伊四〇〇型は、
特殊攻撃機晴嵐を3機搭載させた特異な水密ドーム技術などを含めて、
戦後アメリカの大型潜水艦の技術に大きな影響を与えたとのことです。
 
 
全世界の軍人・民間人が犠牲となった先の大戦。
 
多くの命が失われた中で、軍事兵器を主として多くの技術革新が行われました。
中には実戦配備されたことにより、新たに改良されて現在に至るものも多いと聞きます。
 
歴史上どの時代であっても、多くの技術は戦争の影響でその革新スピードが上がったという話しもあります。
 
 
とはいえ、昨年起こった原発事故について、
誰一人肯定できるような出来事ではなく、といって1年以上経過した現在にいたってもなお、
誰一人責任を取ることなく。
原子爆弾によって我が身、我が代だけでなく子孫の心配までして亡くなられいく苦しみを、
再び日本で起こしたその事実は軍事的技術の平和利用として推進してきた人たち全員にその立場によって公平に罪を負うべきだと思います。もちろん利用者側の一般国民も同じく。
想定外などの言葉は、意図的に作られてきた原発の安全神話の元で目をつぶられてきたり意図的に調査されなかった事が多くはなかったのか。
津波被害で苦しんでいる東北各県の人たちだけでなく、原発事故で苦しむことになった福島県をはじめとする多くの方々に復興の妨げになっていることは間違いないような気がします。
 
 
 
多くの犠牲の中で、今ある技術があるのだと心を引き締め、亡くなられた方々のご冥福をお祈りする一日にしたいと思います。
 
 
 
 
 
追伸・・・
 
 
がけさんの中で、伊四〇〇型潜水艦って、子供の頃にたった一回だけ見た映画のワンシーンだけが記憶の一部としてよみがえってきます。
 
白黒映画だったと記憶しているのですが、俳優の平田昭彦さん(ウルトラマンやゴジラシリーズなどで有名な俳優さん)が艦長の役をされていたのか、日本敗北の電信を得たのちに、艦長室に戻って拳銃自殺をするシーン。(自殺シーンは映像はなくて、拳銃の発砲音のみ)
 
どの映画だったのか、30年ちかくたった今でも全然わからなくて、
他の映画とごっちゃになっている記憶じゃないかと。^^;
 
以前一度だけレンタルビデオを借りたことがある、「潜水艦イ57降伏せず」にも出演されていたけど、
艦長役はたしか昨年か一昨年亡くなられた名優「池部良」さんだったような。
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多分ポスター画の一番左下の男性が平田昭彦さん?
 
まさか一度も見たことない映画「海底軍艦」?
(ちなみに、海底軍艦で出てくる潜水艦は架空の潜水艦として伊四〇三って事らしいですね)
 
 
 
いつもなら10分から15分で記事を作るのですが、
今回は3時間。 長文失礼しました。^^;;;