お盆休みにキャンプメンバーさんとお出かけした、高知旅行。
といってもレポ第二回は、途中で立ち寄った香川県観音寺市です。v( ̄∇ ̄)v
広島県を出発し、岡山県を通って瀬戸大橋を渡り、香川県入り。
高速道路を一路観音寺市に向かって走らせて、ナビ役を務めてくれたTお師匠さんの的確な案内の元、
迷うことなく、目的地に到着しました。
車を駐車場に停めて、徒歩での移動。

メタボ&腰痛持ちのがけちゃん。 バテバテの状態で最後尾を歩いていたので、
人のお尻を追いかけるような、残念な写真ばかり。(TωT)
どんなテレビ番組でも、カメラマンは先に登って、上からカメラを持って待ち構えてますよね。
旅行初日からダイエットの必要性を改めて認識しました。
8月の日差しを浴びながら歩いてやっとこさ目的地に到着。(;´・`)>
記念撮影を一枚♪

冷たくて美味しかったです♪ ヽ( ̄▽ ̄)ノ
んでなくて、こちら。

江戸時代初期に作られた「寛永通宝」を模した砂絵です♪
この砂絵の「いわれ」はこちら。

この案内看板を見て、少し解りにくいと思うのですが、
要点をまとめてみると、こちらになります。
①.元号が寛永だった寛永10年、西暦1633年に作られた。
②.時の将軍は、江戸幕府第三代将軍、徳川家光だった。
③.この辺りの領主は、丸亀藩の藩主、生駒高俊(いこまたかとし)だった。
④.作ったのは地元の人たちだった。
⑤.遠近法を計算して、東西と南北の大きさが違う。
⑥.見た人は健康で長生き、お金に不自由しない。
一つ一つ整理していきましょう♪ ( ̄ー ̄)v
①の元号が寛永だったのは、今の平成と同じなので問題ないですよね。
②の徳川家光は、徳川家康の三男、徳川秀忠の長男です。
③の生駒高俊の生駒氏は織田信長の側室?後妻正室の実家で、豊臣秀吉の時代には、五大老・五奉行の間を取り持つ三中老の1人として活躍した生駒親正が有名です。関ヶ原の戦いでは親子で東西両軍に分かれましたが、東軍についた子の生駒一正がこの讃岐の地を与えられました。生駒高俊は一正の孫です。
④自主的に作られたのか、お願いされたのか、本当の所はわかりませんが、言い伝え通りだと、とても綺麗なお話しですよね。
⑤ナスカの地上絵の様に、上空(真上)から見る地上絵とは違い、丘の上から見下ろした時にバランスよく見えるように、上手に作られてます。
⑥健康かお金に困らない生活かは、定かではありません・・・。(TωT)
ちなみに遠近法って、「同じ大きさなら、見る位置(視点)から遠い程小さく見える」ことを平面や立体で実践する技法です。
英語では「パース」と呼ばれますが、日本では「パース」って言葉はあまり使用されてないのか、がけっぷちが耳にするのは「建築パース」って呼ばれるもののみ。 マンションの完成予定図などで、お客さんなどにわかりやすくマンションの外観、道路、植え込みなどを遠近法を使って描かれたものの事です。
遠近本の使い方はこちら。

「寛永通宝」を一直線上に並べて撮影してみました。
奥にいくほど小さく見えますよね♪ v( ̄∇ ̄)v
って、これは嘘でして・・・
実際にこの3枚は大きさが違ってたりします。( ̄ー ̄)ゞ

大きさの比較で10円玉を一緒に並べてみました。
大きさによって、一文、四文、十文と貨幣価値が違うそうです。
「寛永通宝」は江戸時代を代表する貨幣なのですが、
あまりに長い間使われた上に、沢山の種類があるんです。
また、「寛永通宝」を市場に流通させる為の幕府の苦労など色々と話題はあるのですが、
これを記事にすると長くなるのと、詳しくは知らないので今回はこれ以上深入りしないようにしたいのですが、
少なくとも、「寛永通宝」が現代で有名になったのは、間違いなくこちらの影響。

写真はテレビドラマ「銭形平次」の主題歌、舟木一夫さんが歌う「銭形平次」のレコードジャケット。
「銭形平次」を題材にした映画やテレビドラマは、沢山ありますよね。
がけっぷちは、そのドラマや映画を余り見た記憶はないのですが、
舟木一夫さんの歌われている「銭形平次」の歌はちゃんと歌えたりします♪
「水戸黄門」「大岡越前」「遠山の金さん」などの実在の人物とは違い、「銭形平次」の主人公は架空の人物ですが、その作品の中での「投げ銭」は「寛永通宝」を投げているんです。
ただ捕り物で投げ銭しているのは、勿体無いので一文か四文だと思いますが。ヾ(´▽`;)ゝ
「ドリフの大爆笑」の中でも、いかりや長介さん演じる銭形平次に対して、奥さん役の由紀さおりさんが、「あなた今月いくら投げてると思ってるの!(`Д´メ)」ってコントがありました。
話を元に戻しまして・・・
この「寛永通宝」は江戸時代全期を通して流通していました。
明治時代に入ってもしばらくは使用出来ていました。
勿論、明治中期以降~現在に至るまで、「寛永通宝」は使用出来ませんが、香川県観音寺市の利用可能な商店街では1枚30円として使うことが出来るそうです。
ちなみに「寛永通宝」は長い間公認された各地で鋳造されていたのですが、種類によっては1枚で高額な価値がついている場合もあるので、注意して下さいね。
最期に。
元々この「寛永通宝」は江戸時代初旬に水戸藩で鋳造されたものだそうです。
それが全国で流通するようになり、その後幕府によって公的な流通したそうです。
という事で、最初の案内看板にかかれていた1633年は、幕府によって「寛永通宝」に統一される前に作られた砂絵だったので、年代に誤差が出てます。
幕藩体制の中で240年間の長きにわたって全国で流通した「寛永通宝」
その鋳造枚数も一文銭だけで約60億枚。
ってことで、平成の現代でもあちらこちらに一番沢山残ってる古銭なんです。
記事を旅行に戻しまして♪
「寛永通宝」の砂絵を見た、Tお師匠さん、錯乱坊さん、がけっぷち一行は、
そのままノア号で昼食に。

錯乱坊さんの「おごり」で、美味しい昼食を頂きました♪
えっ? なんで香川県に行ったのに「讃岐うどん」じゃ無いのかって?
ノア号を走らせながら「うどん屋」さんを探したのですが、駐車場一杯だったりして、結局都合よく見付からずに、そのまま高速道路入り口に到着。
昼食はサービスエリアでトンカツ定食を美味しく頂きました。(V^-°)