昨年の秋キャンプレポ。
まだ2日目のお昼です。 ( ̄ー ̄)ゞ
朝食をすませ、各々のんびりとした時間♪

誰からとも無く、「お腹空いたね」って言葉にだしていました。
この「お腹空いたね」って言葉。
とても便利な言葉でして、「自分で作る」と言っているのか、「誰かに作って欲しいな」と言っているのか、
曖昧な言葉です。
って事で、とりあえずお昼ご飯の準備開始です。

10月の暖かさと木洩れ日は気持ち良いもんですね。
今回も、Yお師匠さんご夫婦が積極的に動いていただきました。<(_ _)>
そんな時、がけっぷちはと言いますと・・・・
カメラ片手にトボトボと歩いているのみ。(≧∇≦)/
Yお師匠さんは、ナンの準備をされてます。

同時進行で、ナンにつけて頂くカレーの準備&石焼き芋の準備も。

小さなお子さん達も参加して頂いてるので、カレーはお子様ベースです♪
念のためご飯を5合だけ炊いてるし♪ ←ここだけ、がけっぷちの仕事でした。

石焼き芋も出来上がったようです。ヽ( ̄▽ ̄)ノ

あら!ムラサキ芋だったんですね♪ v( ̄∇ ̄)v
肝心なナンとカレーは、食べる事に集中して1枚の写真もなく・・・・。
ブロガーとして失格ですね。 (TωT)
そういえば、がけっぷち達のキャンプでは油で揚げるって料理がとても少ないです。 記憶にあるのは、一作年のカヤックキャンプと、昨年春のキャンプの時だけ??(・vv・)??
油で揚げる料理って後始末が大変ですよね。 「固めるテンプル」のような品を使って処理をするのは簡単ですし、キッチンペーパーに染み込ませて、着火剤として使うのもありだとは思いますが。
ちなみに、油で揚げるって聞くとどんな料理を思い浮かべますか?
皆さんのキャンプ料理を拝見していると、油で揚げる料理って少ないような気がします。 過去に拝見した事があるのは串上げ天ぷらくらいかも。
がけっぷちの脳内では、天ぷら=徳川家康と変換されます。
天ぷらの食べ過ぎは気をつけましょうね。 俗説では、徳川家康の死因は鯛の天ぷらの食中毒とか。 滝田栄さん主演の大河ドラマ「徳川家康」でもそんなシーンがありましたし、津川雅彦さんが徳川家康を演じられていた「葵徳川三代」だったか、同じ津川さんが徳川家康を演じられていた「独眼流政宗」のどちらかで、津川さんのセリフの中で「天ぷらは~」ってあったような記憶があります。
当時の天ぷらは現在の天ぷらとは全然違う料理だったようですが・・・。
ちなみに、この油で揚げる料理。 お隣中国ではお魚丸ごと揚げたりするのは食文化として長く続いていますが、鳥肉を油で揚げるってのは近年の文化だそうです。 「から揚げ」を「唐揚げ」と書くのは、当て字であって、基本的には「から揚げ」と書くそうです。
そこで「から揚げ」の1つ、「竜田揚げ」のお話を一席。<(_ _)>
これまた俗説なのですが、「竜田揚げ」は醤油やみりんで味付けした鶏肉を、片栗粉でカラッと揚げる料理です。
ではなぜ「竜田揚げ」というか??
ここで登場するのは、和風洋食って言葉なのですが、「ハヤシライス」のように、洋食っぽいけど、実は和食って料理がありますよね!
「竜田揚げ」の俗説の1つに、1917年に起工した日本の軽巡洋艦「龍田」が登場します。

(写真はプラモデルのウォーターラインシリーズ龍田です。)
この軽巡洋艦龍田。 天龍型の2番艦として1918年に竣工し、1944年まで海軍籍にありました。
1944年(昭和19年)に八丈島沖でアメリカの潜水艦の雷撃により沈没。
1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、1914年の第一次世界大戦の間に日本の造船技術は飛躍的に上昇し、また他国の戦史などを参考にして始めて作られた軽巡洋艦が天龍型でした。
それまでの巡洋艦は「防護巡洋艦」と呼ばれた軍艦で、外壁の内側には燃料として使用していた石炭を敷き詰めて防御力をアップさせていましたが、この天龍型は比較的薄い装甲であっても、小型軽量な軍艦として、さらに小型の駆逐艦を率いて水雷攻撃(魚雷攻撃)を行なう水雷戦隊旗艦としての役割を求められた軍艦として、活躍を期待されて従来の防護巡洋艦とは違う役割を与えられた新艦種でした。
軽巡洋艦天龍・龍田は、2艦で終了し、さらに大型の軽巡洋艦へと・・・・
そんな話はここでは関係なく、この軽巡洋艦「龍田」の料理長(当時は司房長)が小麦粉の代用で片栗粉を使って揚げた料理から「竜田揚げ」と呼ばれているそうです。 ちなみに、「竜田草」って植物は、明治時代に活躍した「通報艦 龍田」にちなんだ名前だそうです。
話がキャンプネタからそれちゃいましたね。ヾ(´▽`;)ゝ
さて昼食も終わり、皆さんそれぞれの自由時間。
がけっぷちは、カメラ片手に徘徊・・・でなくて散歩していました。

こちらのキャンプ場は、広島県にあるのですが眼下に流れる川の水は日本海側に流れ込んでいます。
って、ここで終ってしまっては単なる「のんびりしたキャンプレポ(4ヶ月前)」( ̄ー ̄)ゞ
今回のキャンプでは、車5台集まりましたが、そのうち2台がトヨタのノア。

手前から、Yお師匠さんのノア。 真ん中はがけっぷちのノア号君です。
がけっぷちにとって、ノア号君は沢山の思い出ある車。
ちなみに、子供の頃からノア号君の前身の車にはご縁がありました。
子供の頃、がけっぷち実家にあったのがコロナマークⅡ、ポーターキャブ、それとライトエースでした。

(写真はウィキペディアより引用)
がけっぷちが幼稚園の頃、確かこんなライトエースの緑色に乗ってたような記憶があります。
その後ライトエースを買い換えて、新型ライトエースへ。

たしかこのライトエースでボディカラーは「青」、ムーンルーフは無かったと。
この車で、毎年家族でキャンプに行っていたんだと思います。
当時は、こんなテレビCMが流れていました。
今では安全基準をクリアしないと思いますが、2段ベッド仕様!
ちょっとした車中泊にはとても便利な車が普通にあった時代って羨ましいな。(^ー^* )
小学生の途中、たしか5年生くらいでライトエースからタウンエースへ買い換わりました。

(カタログは初代タウンエース前期モデルです)
ドナドナのようにライトエースとお別れしたその日。
我が家にやってきたタウンエース。 たしか深緑色だったのですが、
天井についている電動ルーフ。 助手席の後ろについている電動保温ボックスなど、とても豪華な装備にワクワクした記憶があります。 このタウンエースでは毎月家族で釣りに出かけていました。
特にお隣の山口県での夜釣りは何回お出かけした事か。
チヌ(黒鯛)やメバル釣りはタウンエース抜きでは語れません!
そして、がけっぷちも中学生になり、タウンエースともお別れ。
次にやってきたのがマスターエースでした。

我が家にやってきたマスターエース。 水色っぽいボディカラーだったのもあって、とても目立つ車でした。
そして専門学校時代にグランビアへ買い替え。

このグランビアになった頃は、20才を超えていた事もあって、
家族でキャンプや釣りに出かけることもなく、父母の山登り用の車になってったんだと思います。
元々、トヨタ・ミニエースから始まった、『○○○エース』シリーズ。
がけっぷち宅は「ライトエース」・「タウンエース」・「マスターエース」と乗り換えました。
残念ながら「ハイエース」は一度も経験する事無く、ちょこっと方向性の違う「グランビア」へ。
今では「マスターエース」や「グランビア」の名前を継いでいる車は存在しません。
「グランビア」の名前は1代限り。 グランドハイエースになり、アルファードへ変化していきました。
「マスターエース」は、兄弟車の「ライトエース」「タウンエース」のフルモデルチェンジで、
「ライトエースノア」「タウンエースノア」への移行の時に絶版となりました。
ちなみに、OEM車両としてダイハツが販売していた「デルタワイド」も販売終了。
(デルタワイドの後は、アトレー7が後継車種として販売されていましたが、こちらも販売終了)
現在では「ライトエース」「タウンエース」の名前を受け継いでいる車は商用車のみ。

自家用車としては、「ノア」と「ヴォクシー」のみ。 ちょっと残念ですが、この商用車のライトエースバンは、キャンピングカーとしても各社から販売されていたりするので、せめてもの救いに感じます。
って事で、前回の投票結果を元にして無理やり作った「キャンプ」と「料理」と「車」の記事。
せめて今年は本当の料理記事を作りたいと思います。<(_ _)>