男、がけっぷち37才。
まだまだ若いつもりが、気がついたら会社では上から数えた方が早い社歴になってました。

昔は無邪気な人間でした。
がけっぷちの仕事は、修理連絡が入ったらユーザー先に直行!
平穏だったら定期点検と配送、顔出しを繰り返すOA機器のサービスマンです。
ある一日のがけっぷちの行動。
朝、広島市西区内の事務所で朝礼を行い、部品満載の軽自動車エブリィ号で出発!
この日は、朝から呉市に訪問しました。
踏み切りが開くのを待ってましたが、見通しが良かったので、カメラを構えるがけっぷち。

相変わらずシャッターチャンスをミスっちゃいました。(^u^)
その後、国道375号線を北上!
東広島市を経由して、八本松・志和を抜けて白木へ。
白木から更に北上して向原経由。
そんな中、小さな看板を発見!
その看板に誘われるように左折したら、こんな看板を見つけました。

「尼子三兄弟ゆかりの・・・・」
尼子三兄弟は、戦国時代の雄、尼子経久の孫、尼子晴久の子供たちの事です。
尼子義久、倫久、秀久の兄弟。
1566年に毛利元就に降伏した月山富田城の尼子義久兄弟は広島県の向原に連れてこられました。
(大河ドラマ毛利元就では中村獅童さんが尼子義久を演じられていました。)
(大河ドラマ毛利元就では中村獅童さんが尼子義久を演じられていました。)
1600年の関が原の戦いで毛利氏の広島統治が終わり、三兄弟も毛利氏とともに山口県へ。
その名残が現在の向原にも残っているみたいです。
途中、城跡の看板も発見!

全国何処にでも茶臼山ってあるんでしょうね。^^;
その後、向原から峠道を越えて吉田町へ。
峠道を越えると、毛利元就の居城、吉田郡山城の正面に出てきます。
この山の麓にある神社は、毎年サッカーのサンフレッチェが祈願に来られるとか。
次に向かう、広島市安佐北区南原へ向けて、国道54号線を南下!!
再び幾つもの城あとの看板を目にします。

こちらは毛利元就の母の実家、安芸福原氏の鈴尾城。 福原氏は代々毛利氏の家老を務めます。)
続いて南下すると、桂城跡の看板まで。

ちょっと小さくて見えないですね。(^^;
桂氏も福原氏も、毛利氏(大江氏)から分かれた家系だそうです。
厳島合戦時の桂元澄や、幕末の桂小五郎(木戸孝允)、明治時代の総理大臣桂太郎などで有名です。
更に南下して八千代町に入ると、キャンプ場の看板を発見!

今まで何十回も通った道なのに、気がつかないものですね。(〃_ 〃)ゞ
安佐北区の仕事が終わった後、修理連絡が入って急いで熊野町へ!

目の前を走る車、「危」って訴えてます。
見るからに危険・・・・
追突したら大炎上しちゃいそうだし。
ブレーキランプ切れてるし。
何にもしなくても、ガソリンタンクが落ちてきそうだし・・・。(≧∇≦)/
日が暮れ始めた頃に広島市南区に到着。
信号待ちで海を眺めていたら、斜め前のトラックの向こうに殺気とは違う雰囲気を感じたがけっぷち。

ヤン坊・マー坊天気予報のどっちかが、しおれてました・・・・。(TωT)
歴史を堪能したり、新たにキャンプ場を発見したり。
危険を感じたり、侘びしさを感じたり。
そんながけっぷちの一日でした。(´ー`)