鶏に乱用の抗生物質、耐性菌の温床と識者が警告
目的は「成長促進」、米では人間の4倍を家畜に投与、その実態と展望を聞く
2017.09.22
抗生物質が最初に与えられた家畜は鶏だった。
薬として人に処方されるよりも多くの量の抗生物質が動物に与えられている。
しかも、その目的は成長を促すためだ。
毎年、世界で推定6億人(およそ10人に1人)が大腸菌やサルモネラ菌などによる食中毒に感染している。
特に、5歳未満の子どもの死亡率が高い。
食中毒のほとんどは、抗生物質の効かない細菌が原因で、
その多くが大量生産される鶏肉によってもたらされていると警告するのは、
このほどナショナル ジオグラフィックから出版された『Big Chicken』の著者マリン・マッケナ氏だ。
米国ジョージア州アセンズ在住のマッケナ氏に、抗生物質がどのように使われているのか、
その実態について電話で話を聞いた。
著書の中で、抗生物質に対する耐性を
「時間をかけてじわじわと進行する現代社会最大の健康危機」と表現していますが、
世界ではどのような状況なのでしょうか。
そして、食品製造がその中心にあるとはどういうことでしょうか。
抗生物質と言えば、一般には医療の現場で使われるものという認識がありますから、
食品の製造にもそれが使われていると聞いて驚く人は多いでしょう。
けれども、実は地球上で最も抗生物質が使われているのは、人間ではなく食用動物に対してです。
米国では、年間1万5400トン以上の抗生物質が、食用動物へ使用されています。
これは、人間が使う量の4倍にもなります。
そして、そのほとんどは感染症治療が目的ではなく、
体重を増やすためのいわゆる「成長促進」に使われているのです。
動物たちの飼料や飲料水には、ほぼ毎日のように抗生物質が混ぜられています。
その結果、動物の体内で抗生物質に耐性を持った菌が生まれます。
この耐性菌は、解体処理場へ運ばれる動物たちと一緒に飼育場を離れて外の世界へ出て行きます。
そして、人の治療で抗生物質を多用して生じた耐性菌と同じように、人間に感染します。
感染症が発症する頃には、菌が元々発生した場所から遠く離れ、時間も経過しているため、
飼育場で使われる抗生物質と人間の耐性菌の感染との関連がわかるまでに長いことかかってしまったのです。
けれども今では、両者が直接つながっているという明らかな証拠があります。
(参考記事:「薬剤耐性菌の感染拡大、世界で脅威に」)
抗生物質が米国で広く使われるようになったきっかけは、
1948年、トーマス・ジュークスという人物によってですが、彼の実験と、
それがどのように養鶏業界に革命を起こしたのかについて、教えてください。
ジュークスは、食肉用の鶏に与える飼料を研究していました。
その頃、鶏の飼料には合成されたビタミン剤が加えられるようになっていました。
製薬会社で働いていたジュークスは、ビール酵母や肝油、麦芽粕などのサプリメントを飼料に混ぜて、
どれが最も効果を表すか実験してみようと考えました。
また、勤務先の会社が初めて製造した抗生物質のひとつである
クロルテトラサイクリンの残りも試してみることにしました。
1948年12月25日に実験を終えると、サプリメントを与えられた鶏は全て体重がある程度増えていたのですが、
どのサプリメントよりもはるかに多く体重を増やしたのは、抗生物質を与えられた鶏でした。
そこから、新たな産業がまるごとひとつ誕生したのです。
反対運動は英国から始まった
抗生物質の使用に反対する世界的な流れをもたらしたのは、
英国の科学者エフライム・サウル・アンダーソンという科学者でしたが、彼はどのような人物だったのでしょうか。また、英国政府の取った政策はその後どのような影響をもたらしたのでしょうか。
抗生物質が食用動物に使用されるようになってから間もなく、人々は何かがおかしいと気付き始めました。
食中毒に抗生物質が効かなくなっていたのです。
最初に英国南部で集団感染が起こり、その後ヨークシャーでさらに深刻な事態になっていることに、
エフライム・サウル・アンダーソンという科学者が着目しました。
多くの子どもたちが、抗生物質に耐性を持つ大腸菌で命を落としていたのです。
アンダーソンは感染経路を突き止めようと、牛肉を販売する中間業者をたどっていきました。
耐性菌によるこれほどの規模の食中毒は、過去に例がありません。
アンダーソンの調査から、感染元は動物たちに大量の抗生物質が使われていた飼育場まで遡り、
そこで生まれた耐性菌がやがて人々へと感染したことは明らかでした。
この説は当初は論争を呼びましたが、1971年に英国議会は受け入れ、
世界で初めて畜産における抗生物質の一部使用を禁止したのです。
その後北欧諸国もこれに倣い、さらに欧州連合全体が続きました。
米国へその動きが波及したのは、ずっと後になってからです。
ペンシルベニア州にあるこの農家では、鶏を放し飼いにすることにより、
養鶏で起こりうる環境危険因子を排除している。
米国では、1977年に食品医薬品局(FDA)が同様の規制をかけようとしましたが、激しい抵抗にあったそうですね。
英国が行動を起こしてからすぐに、関心は米国へ向けられました。
米国の農産物市場は英国よりもはるかに大きく、成長促進を目的とした抗生物質が最初に使われた国でもあります。
ちょうどその頃、ジミー・カーター大統領率いる改革推進派政権が誕生しました。
大統領は、FDAの局長にスタンフォード大学のドナルド・ケネディを指名しました。
ケネディは若くて情熱にあふれ、政治的圧力に屈しない人物でした。
通常の政府手続きに従って、ケネディは動物用抗生物質の製薬会社を全て召喚して公聴会を開こうとしました。
そこで抗生物質の安全性を納得のいくように説明すべきだと、製薬会社へ求めたのです。
もしその説明が納得できないものであれば、畜産での使用許可を取り消すと宣言しました。
ところが、公聴会が開かれることは結局ありませんでした。
南部選出で絶大な影響力を持ち、農業界の強い後ろ盾を持つジェイミー・ウィッテンという下院議員が、
FDAの予算を承認する委員会の委員長を務めていたのです。
ウィッテンはホワイトハウスに対し、公聴会が開かれればFDAの全予算を人質にとると言い渡したのです。
しかたなくホワイトハウスは、新しく局長に就任したばかりのケネディへ、公聴会は開けないと伝えました。
その2年後、ケネディはスタンフォード大学へ戻り、ウィッテンは50年以上連邦下院議員の座にとどまりました。
この問題は、それから数十年間、棚上げされたままとなってしまいました。
それが再び動き出したのは、オバマ政権になってからのことです。
結局は消費者からの圧力にかかっている
2014年に、米国の鶏肉販売会社パデューが突然の方針転換を発表しましたが、
これはどんな重要な意味を持っていたのでしょうか。
米国では長年の間、鶏肉だけでなく豚肉や牛肉の生産業者が、抗生物質の使用に関して足並みをそろえてきました。
ところが、2014年にパデュー・ファームズの会長で創業者の孫にあたるジム・パデュー氏が、
記者会見で抗生物質の使用を中止すると宣言して、業界に衝撃を与えました。
しかも、過去7年以上抗生物質の使用を抑えるために取り組んできたとも明かしたのです。
(参考記事:「オープンソースな養鶏は可能か」)
メリーランド州に本社を置くパデューは、米国で4番目に大きな鶏肉会社で、年間90億羽の鶏を生産しています。
そのパデューの発表がきっかけで、業界の足並みは崩れました。
同社は一歩前に進み出て、これまでの流れを転換させると宣言したのです。
これが突破口となり、それから食品製造、小売、ファストフード企業が
次々に抗生物質の使用を減らしていくと発表しました。
コストコやウォルマート、マクドナルド、タコベル、サブウェイ、さらにはケンタッキーフライドチキンさえもです。
とは言うものの、米国をはじめ世界中で、鶏肉の細菌汚染はいまだに高い確率で発生しています。
北欧やオランダなど、以前から抗生物質の使用を規制してきた国では、
動物や人間の間で耐性菌の発生率が下がっているので、
現在変化しつつある米国でも今後同じように感染リスクが減少していくことが期待されます。
(参考記事:「オランダが救う世界の飢餓」)
本の締めくくりに、消費者の力が食卓に変化を起こすことができると書いていますが、
特に低所得者にとって、安全な鶏肉が安く手に入るようになることはないのでしょうか。
そこが、いまだに大きな問題点として残っています。
富裕層だけが安全で良い肉を買うことができて、
低所得者は安くて危険な肉で我慢しなければならないという事態をどのようにして防ぐべきでしょうか。
その答えは私にもわかりませんが、今後取り組んでいかなければならない問題であることは確かです。
(参考記事:「米国、食事の質の格差が2倍に拡大」)
抗生物質をどのように用いるか、食用鶏をどのように育てるかといった問題は、
結局は消費者からの圧力にかかってくるでしょう。
少なくとも1999年から規制が設けられているヨーロッパと違って、
規制がほとんど存在しない米国の方で、より大きな動きがみられたのです。
パデューに倣って抗生物質の使用を制限すると発表した企業はいずれも、
規制があったからからそうしたのではありません。
その時、米国にはまだ規制がなかったのですから。
そうではなく、大手顧客からの強い要望に応えて動いたのです。
病院、学校、調理師団体、農家、そして子を持つ普通の親たちが、
これ以上質の悪い食品に金を払うのはごめんだといって、そろって声を上げた結果なのです。
(参考記事:「国際比較調査、持続的な消費行動の現状」)
文=Simon Worrall/訳=ルーバー荒井ハンナ