もう戦時中のことを話せる人もだいぶ減った。
すっかりテレビを観ていないが戦後80年特集的なものはどのくらい放送されただろうか。
NHKでやっていたのはチラッと認識した。
火垂るの墓もやっていたようだが今さら観ることはない。
昔のようにはもう観られないと思う。
ただ子供の頃に観ておくには悪くない。
はだしのゲンも学校で強制的に観させられた。
確か低学年の時分で体育館で放映。
原爆が爆発した瞬間のグロい様子で泣き出した記憶がある。
なぜかそれ以来グロ耐性がついてしまった。
(泣いたくせに)
だいぶ昔には小林よしのり(よしりん)の「戦争論」なんかをきっかけに、教育されてきたいわゆる「自虐史観」を脱することはできたと思う。
その頃から比べると多少はフラットに物事を見られるようにはなったかもしれない。
今は戦争中の出来事を美化することよりももっと俯瞰してみたりその頃に生きていた国民や兵士の心情なんかに思いを馳せたりすることの方が多くなった。
そして戦後80年。
県立博物館で特別展が催されていた。
日清戦争から大東亜戦争において主に地元ではどんな様子だったかの写真やパネル、また地元にゆかりのある人々が残したモノなどが展示されていた。
写真撮影は基本的に問題ないようだったので(一部不可)、目ぼしい展示物を撮影。
※ブログに載せてよいかがわからないので掲載は控える
地元出身の方で満州や南方へ行った方、帰ってきた方、帰ってこられなかった方、携行品や手紙などをじっと見てると想いや情景が感じられる。
当時の将校クラスが残した書や揮毫はどれも素晴らしく力強さを感じる。
大韓帝国最後の皇太子李垠の妻、方子の手紙があった。
とても美しい文字で夫の七回忌を催した関係者への感謝の手紙であった。
日本の皇族に生まれながらも戦後も韓国に住み続けた波乱の人生を歩んだ女性。
時代に翻弄されながらもその人生を受け入れ全うしたのだろうか。
その手紙の文字を見ながら感慨に耽る。
第14師団は宇都宮、今の中央高校付近を本拠地として設営されていたよう。
師団が設営されると地元の経済がとても潤うので総出で誘致に尽力したらしい。
中島飛行機もあったので当時の宇都宮は軍都でもあった。
米軍機の爆撃を避けるため大谷地区の地下にも航空機の工場があった。
終戦の年の7月には宇都宮空襲があり今の中央小学校あたりが爆撃の中心。
焼夷弾の残骸が展示されていて学芸員が説明していたが日本家屋をどうやって効果的に燃やせるかを研究し複数の爆弾を使用していたとのこと。
展示では戦後の動きにも少し触れていたが、玉音放送が流れた直後、大きなパラダイムシフトが訪れて市民は何を思ったのだろうか。
もう空襲警報に悩まされなくてよくなった、今までお国のためにと頑張ってきたのにこれならどうすればよいのか、いろんな人々のいろんな思いが交錯しただろう。
当時の政治家は結果として方向性を大きく間違えていたが国家観というものをそれなりにもって今の政治家より真剣に考えていたかもしれない。
今の政治家は私利私欲にまみれまともな国家観を持ったものがどれだけいるか。
今も昔もきっと「正しい」はない。
人々が必死に生きた時代を垣間見た。
展示物は見るだけではもったいない。
感じて考えなければ。
事実から学ぶこと。
歴史を学ぶことは大事なこと。

