日々たくさんの情報に取り囲まれている。

それは興味の行き先が多方向になっているのに加え、世の中の情報量もそれを手に入れるツールやチャネルもまたたくさんあるゆえ。

本やメディアや人から聞く話から得られたモノだけではなく、風や火の光、水面や炎のゆらめき、木々のそよぎ、波や虫の音。
自身が感じたそれもまた"情報"だ。

学校や仕事で経験した苦難や達成感。
それは趣味やライフワークであるかもしれない。

そうしてインプットされた情報や感じたこと、経験を"言語化"すること。

大事なことだなと感じている。


特に感覚については言葉にすることがなかなか難しい。

しかしその微妙で繊細なもの、感じたものをちゃんと言語化することで脳のデータベースにしっかりと書き込まれ整理される。

より具体的な言葉にすれば後々そのインデックスに紐づいた情報が引き出されやすくなる。

そうすると瞬時の判断が必要になった時、何かの決断を迫られた時に大きな助けになる。


また言語化したことによって他人により正確に感覚や情報を共有できる。

例えば「その食べ物はどのくらい辛いか?」といったときに「とにかく辛い」と言うより「ラーメン中本の"北極"くらい辛い」と言ったほうがより伝わる。

もちろん"北極"をある程度想像できてないと通じないので、相手もその言葉の概念とか示すもののイメージを持ち合わせていないと難しい場合もある。

ウクレレやギターでも本体や弦が奏でる音を表現するのに「煌びやか」「落ち着いた」「カラッとした」「しっとりした」など共通言語を使うことで自身にとっても相手にとっても道具選びの時にも参考になったりする。

また「同じものを見て相手はどう感じたか」を共有することで自分の中にはなかったモノの見方を知ることができたりする。

こうやって感覚で得たものを言語化していくと他人との仲が深まるだけではなくて、意思疎通のスピードが上がり伝わる量が増えることで新たなものが生み出されやすくなるのではと思っている。

自分の表現力が豊かになっていけばきっと受け取る相手の引き出しも増える。

そしてそこからのフィードバックによって自身にも還元されWin-Winの関係に。


自身の感情についても。
特に負の感情は言語化することで俯瞰し整理しやすくなったりする。

「このモヤモヤの原因は何だろう?」
「なぜこんなに怒っているのだろう?」

言葉や文字にして一歩引いてみたら思いがけないところにその種があったりする。

あの人に対してイライラしてたのによく考えたらそもそも自分の問題だったり。


"言語化すること"は"アウトプットすること"。

自分の感じたモノを文字や言葉にして残す、伝える。

ノートやブログ、SNSであったり人との会話であったり。

表現力を身につけることは自身がいろんな意味で"豊か"になることでもある。

そしてそれを意識していると感覚も少しずつ磨かれていくような気もしている。


もっともっと表現力とイマジネーションを高めていきたい。

まだまだ修行中の身だ。