※タイトルの通り明るい内容ではないですし、場合によっては生々しく不快な気分にさせてしまうかもしれませんのでご注意ください。

 

特に本記事では手術の内容について触れています。

痛々しい表現等が苦手な方は閲覧をご遠慮ください。

 

 

2月某日、KLC基準でグレードAの凍結胚盤胞を移植しました。

今回の記事は腹腔鏡手術をした日の記録です。

 

これまでの記事

子宮外妊娠①

子宮外妊娠②

子宮外妊娠③

 

※記事内では移植後から何日目かわかりやすくするためにBT〇という書き方をしています(移植日=BT0)

 

 

まずは採血 hcgの増減を調べる

BT20に子宮内吸引手術をし、翌BT21にhcgが・・・

下がっていれば → 吸引できたということで流産、経過観察

上がっていれば → 吸引できず子宮外妊娠確定、当日もしくは翌日に腹腔鏡手術

 

ということで朝一に採血(ちなみにまたPCR検査もして陰性でした)

 

1時間ほどで看護師さんに呼ばれました。

医師が緊急オペに入ってしまったので詳しい説明はあとになるけど本日入院となります、とのこと。

 

やっぱり吸引できなかったか~腹腔鏡手術決定か~、とhcgの値も気になったのですがそれはとりあえずあとで聞けばいいやと思い、手術日が今日なのか明日なのか聞いてみると、オペが終わってみないとわからない、とのことでしばらく待機させられました。

ダメ元で一度帰宅していいか聞いてみましたが駄目でした。

 

 

手術日決定

しばらくして看護師さんが来て「入院・手術の説明をしたいので旦那さんを呼んでください」とのこと。

そもそも私は今回の手術に関してそんな命に関わることじゃないし、夫に「立会にも面会にも来なくていいよ~」と言っていたし、ちょうどこの週から夫が年に1度の繁忙期に突入していてあまり仕事を休ませたくなかったので「どうしても来ないとだめですか?できれば呼びたくありません」と話したところ、「そうなんですか…でも手術当日は必ず付き添っていただくことになります」と言われました。

ちなみにこの時点でまだ手術日決まっていません。

なので最悪、この日入院説明で夫を呼んで、かつ翌日手術日にまた夫を呼んで…となるのは避けたかったので夫と相談。

結果、手術当日のみ来てもらうことにし、看護師さんもそれでOKということになりました。

 

結局そのあとわりとすぐ、この日BT21に手術することが確定しすぐに夫に来てもらうことになりました。

 

というか夫の同席が必要ならあらかじめ教えておいてほしかったな…と思いました。もちろん手術なんて人生の一大事なんだから付き添いが必要!というのもわかるのですが、だからこそ前日に入院の注意事項を聞いておいたんだからその時に教えておいてほしかったです。

 

 

術前診察

夫が来るのを待つ間に手術着に着替えたり、入院の案内などをもらったりしました。

タオル・室内着(パジャマ)などのほかにボックスティッシュや歯ブラシセット、コップなどの消耗品セットももらったのですが、いやこれ自分で持ってきてるわ…!とここでも、やはり事前に教えといて~!と思ったのでした。これらのセットはパジャマとセットで1日いくらと決まっていて強制購入っぽいです。

 

大部屋から前日に子宮内吸引手術をした簡易オペ室へ移動。

緊急オペが終わった先生と面会をしエコーをしてもらいました。

やはり右卵管に胎嚢らしきものがあるね、という話をしていたのですが、途中で「卵黄嚢が認められるので胎嚢で確定となります」とエコー画面を見せてもらいました。

この時点で(そして実は今の時点でも)この日BT21のhcgを聞けていなかったのでまさかそこまで育っているとは思わず、まずは単純にすごく驚きました。

 

 

メンタル決壊

卵管なのに卵黄嚢が見えるまでに育ったのか~生命力すごいな~とはじめは感心していたのですが、次第に、ならこれが子宮内にちゃんと着床していたらきっとすごく元気な赤ちゃんだったんだろうな、と思った瞬間、もうダメでした。

涙が止まらなくなってしまい、大声で泣いてしまいました。

その時は先生はオペの準備でいったん退出していて、看護師さん1人だけだったのですがずっと肩をさすってくれて「個室だから大声で泣いていいんだよ、つらいよね、こういうときはいっぱい泣いちゃって吐き出しちゃった方がいいんだよ」とずっと慰めてくれました。

 

しばらく泣いていると、夫が病院に到着し、すぐに私の元へ案内されました。

私がいる個室に入ってすぐに別の医師から手術に関する注意事項をたくさん説明され、その間も私はベッドに横になりながら声は上げていませんでしたが涙がずっとぽろぽろ出ていました(説明してくれていた医師は気まずそうでした。すみません)

途中で泣いている私に気づいた夫が何も言わず手を握ってくれて(この時点で夫は私がなぜ泣いていたのかはわかっていません)、普段は夫はこんなことしないので、不意にやさしくされたのが嬉しくてまた泣けてきてしまいました。

 

説明が終わっていくつか同意書にサインをすることになり医師が退室し夫と二人きりにしてくれました。なのでプリントアウトしてもらったエコー写真を見せながら「これが胎嚢で、この中にある白い丸が卵黄嚢っていって赤ちゃんが育ってるんだよ」と夫に説明したら夫も泣き出してしまい、2人でしばらく泣いていました。

 

その後、オペが始まるとのことで車椅子で移動し、途中まで夫に付き添ってもらいました。

 

 

腹腔鏡手術

子宮外妊娠の疑いが出てからあわただしく、ようやくさっき妊娠継続できなかった事実を認識できたばかりで、このあと手術だ!という心の準備が全くできないままオペ室に運ばれました。

 

よくドラマとかで見るようなザ!オペ室で(先ほどまでいた簡易オペ室はただの小部屋でした)、重装備をした先生方が何人もいて一人一人簡単な自己紹介をしてくださいました。どの方もやさしかったです。

自分で手術台に上り、バスタオルほどの大きさのタオルをかぶされその下で来ていた術着・パンツ(前日の手術の影響で出血があったので直前までナプキンの着用を認められていました)を脱がされ全裸になり酸素マスクをあてられました。

 

BGMに髭ダンのプリテンダーがかかっていて、リラックスさせるためなのかな?それにしてはチョイス若干古いな?となんだか笑いそうになってしまいました。

 

よく、麻酔したら「10秒数えて~」と言われて数秒で意識が落ちると聞いていたのでこの段階ではまだそれは言われてないから緊張はしていなかったのですが、だんだん意識がぼや~~と朦朧としてきて「まだ麻酔してないんじゃないの!?」と急に心配になり朦朧としながらも「麻酔…」とつぶやいたら「まだ麻酔してないけど、マスクからそういうの出てるから(実際は全然違う言い方でしたが覚えてない)」と言われ、その数秒後に「麻酔しますね~」と言われ、

 

気づいたら起こされて手術が終わっていました。

 

 

術後

起きてすぐなんだか気持ち悪くて、麻酔の影響で吐き気がすることがあるらしいからそれかな、私嘔吐恐怖症だからその副作用はない方がよかったのに…と絶望していたら、口(喉?)に入れていた管を外されたとたんに気持ち悪さがするっと抜けたので、その管のせいで気持ち悪かったとわかって安心しました(ただ外される直前までめっちゃ気持ち悪かった…これが今回地味に一番きつかったかも)

手術台から自分のベッドに移動させてもらい、気分が悪いか(→悪くない)、痛みはないか(→子宮が痛い)などの会話をしながら病室に運ばれ、そこで夫と対面しました。

子宮が痛くて早く痛み止めをしてほしくてしょうがなかったのですがまずベッドを設置したあといろんな機械、管を接続したりしていてなかなか痛み止めを処置してくれませんでした。

やっと痛み止めを点滴に追加してくれたと思ったら、ぼーっとする副作用があるらしく、確かにもともと麻酔のせいかぼやっとしてたのにさらに眠くなってきました。

そんな中、夫は切除した卵管と胎嚢をみせてもらったらしく「すごかったよ…」と言っていました。ちなみに私はまだ見せてもらっていません。っていうかもう見せてもらえないのかな?

 

コロナ禍ということもあり、術後の面会は長くても30分までということ、大部屋なのでほかにも入院患者さんがいたこと、私自身先ほどまで喉に管が入っていたせいか声が出しづらく意識も朦朧としていたことなどから早々に夫には帰宅してもらいました。

 

この時点で確か15時くらいでした。

 

 

術後の経過

麻酔や痛み止めの影響でここから数十時間はっきりとした記憶はありません。というかほとんど寝ていた気がします。それでも覚えていることをいくつか。

 

・体に点滴、尿道カテーテル、足の血流を促す電動ポンプみたいなもの、心電図、血圧計などのいろんなものがつながっていた。ベッド上、自分の体のまわりにそれらの管や機器だらけだったのでまともに寝返りを打つことができず長時間同じ体制で大変でした。腰がすごく痛かったです。

 

・尿道カテーテルが地味にきつい

この管のおさまりがいいときは問題ないんですけど、体を動かしたときなどちょっとおさまりが悪くなるとすごく尿意が高まりいやな感じ。痛みはありませんでした。

 

・1時間おき?に起こされる

15時から翌9時ごろまでおそらく1時間間隔(深夜帯はもっと間隔長かったかも)で血圧・酸素濃度・体温などを計測されていました。私は寝ていたので配慮されていましたが、やはりどうしても気づいて起きてしまいました。

 

 

こうしてこの日は半日以上まともな記憶がないまま1日が終わりました。

 

次はその後の入院生活のことを書きます。