約15年前、冥王星陛下が山羊座に移る頃
漫画家を続けられなくなり、今の業界(スピ)に
体重移動してきた心のうちを
【天職と適職と転職】と銘打ち
mixiに吐露してきた記事。
今と共通項があるので前記事に貼りました。
そのつづき
🌟🌟🌟
さて。
自分にとっての適職(だった)まんが描きという仕事。
デビューから17年間のうち、12年続けてきたシリーズなんかも、今考えると軌跡ですね。
描いているときはとにかく辛い80%、楽しい20%ぐらい。
話を作るにも、その話を絵コンテに起こすにも、原稿作業をスタッフ達と行うにも
とにかく必ず〆切という期限がハードに立ちはだかるので、
楽しいと思えるような瞬間がなかった。
アマのときは楽しかったです。
自分の描きたいときに、描きたいモノを、誰の干渉も受けずに描けたので。
でもプロになるってことは商業ベースに載せるわけで、ビジネスなので
自分一人の描きたいものが必ずしも売れるとは限らず、
出版社側の意向だったり、注文だったり、規制だったりが少なからずあるのね。
こういうのをいついつまでに描いて。と言われて描くことも当然あるわけです。
そういう中で、好きなはずのことが楽しめなくなって行ったんだな。
とにかく時間に追われる日々で、1ヶ月外に出られないなんてザラで、
それが1年間続くこともあって。
期限付の産みの苦しみとかはホンットにひどくて、
元々仕事自体の手が遅いのも災いし、
常に雑誌に穴あけるかあけないかギリギリの綱渡り。
連載しつつ増刊で描いたり、
ひとつの作品のネーム(お話づくり)をしつつ、
別の作品のカラー原稿(すっげえ時間かかる)をやらなきゃとか、
コミックス(単行本)が出る4ヶ月前までに、手直しとかカバー表紙(カラー)とか
描きおろしとかノーギャラで描くのが当たり前だし、
全部をレギュラーの仕事の合間にやるから、
睡眠をはじめ、普通の生活がすべて犠牲になるわけで。
注:わたしが描いていたのは月刊誌。
もっともっともーっと多忙な作家さんはゴマンといらっしゃいます。
要するにわたしのキャパが狭かったということかも?
誰に誘われても、親友の結婚式すら出席出来ないし、
家族や親戚の集まる場なんか完全スルー。
原稿のときも2週間睡眠2時間、お風呂入れずなんて当たり前で
常に閉ざされた空間でイライラしてたかもしれない。
スタッフは多いときで6~7人。
衣食住をともにした共同生活が延々と続くわけで、
常に人に対して、自分に対してイライラしていたな。
でもそういう現状を知らない友人や親戚からは
「自宅で仕事?毎日が日曜日みたいでいいね♪」なんて言われたりもして
ぶっちゃけ絞め殺そうかと思ったこともありました(笑)
あちらは現状を知らないんだから想像しょうがないのにね。
そんだけすさんでいたってことだな…と今では思います。
業界での立場としてはわたしなんか中堅どころというのか、
トップの1画には食い込めないし、下からは新しいイキのいい若い子がどんどん来るしで
人気が出ないとザックリ切られる立場なんですよ。
ちょっと売れてた頃はラジオドラマがCD化されたり、アニメビデオになったり、
年収なんかも20代の小娘でこんなに?と思えるくらいあったし、
好きなだけお金使っても自然に印税とか入ってきたし。
実力以上の自信とかへんなプライドとかエゴとかにもまみれてたな。
だから描けなくなってきて周囲の評価も下がって来た頃には正直
「え?え?なんで?」
って困惑しました。
だって自分は自分で、外の評価だけが変わったから。
外の評価=自分の評価 に成り下がっていたから。
外がOKと言えば自分は価値の高い人間で、
ダメと言えば、存在価値のない人間になる。
そういう観念が普通に根付いていたんです。
これがどんどん、自分を蝕んで行きました。
何年もかけて蝕まれたので、根が深いんですよこれが
というわけであと1回貼ります。
自分にとっての適職(だった)まんが描きという仕事。
デビューから17年間のうち、12年続けてきたシリーズなんかも、今考えると軌跡ですね。
描いているときはとにかく辛い80%、楽しい20%ぐらい。
話を作るにも、その話を絵コンテに起こすにも、原稿作業をスタッフ達と行うにも
とにかく必ず〆切という期限がハードに立ちはだかるので、
楽しいと思えるような瞬間がなかった。
アマのときは楽しかったです。
自分の描きたいときに、描きたいモノを、誰の干渉も受けずに描けたので。
でもプロになるってことは商業ベースに載せるわけで、ビジネスなので
自分一人の描きたいものが必ずしも売れるとは限らず、
出版社側の意向だったり、注文だったり、規制だったりが少なからずあるのね。
こういうのをいついつまでに描いて。と言われて描くことも当然あるわけです。
そういう中で、好きなはずのことが楽しめなくなって行ったんだな。
とにかく時間に追われる日々で、1ヶ月外に出られないなんてザラで、
それが1年間続くこともあって。
期限付の産みの苦しみとかはホンットにひどくて、
元々仕事自体の手が遅いのも災いし、
常に雑誌に穴あけるかあけないかギリギリの綱渡り。
連載しつつ増刊で描いたり、
ひとつの作品のネーム(お話づくり)をしつつ、
別の作品のカラー原稿(すっげえ時間かかる)をやらなきゃとか、
コミックス(単行本)が出る4ヶ月前までに、手直しとかカバー表紙(カラー)とか
描きおろしとかノーギャラで描くのが当たり前だし、
全部をレギュラーの仕事の合間にやるから、
睡眠をはじめ、普通の生活がすべて犠牲になるわけで。
注:わたしが描いていたのは月刊誌。
もっともっともーっと多忙な作家さんはゴマンといらっしゃいます。
要するにわたしのキャパが狭かったということかも?
誰に誘われても、親友の結婚式すら出席出来ないし、
家族や親戚の集まる場なんか完全スルー。
原稿のときも2週間睡眠2時間、お風呂入れずなんて当たり前で
常に閉ざされた空間でイライラしてたかもしれない。
スタッフは多いときで6~7人。
衣食住をともにした共同生活が延々と続くわけで、
常に人に対して、自分に対してイライラしていたな。
でもそういう現状を知らない友人や親戚からは
「自宅で仕事?毎日が日曜日みたいでいいね♪」なんて言われたりもして
ぶっちゃけ絞め殺そうかと思ったこともありました(笑)
あちらは現状を知らないんだから想像しょうがないのにね。
そんだけすさんでいたってことだな…と今では思います。
業界での立場としてはわたしなんか中堅どころというのか、
トップの1画には食い込めないし、下からは新しいイキのいい若い子がどんどん来るしで
人気が出ないとザックリ切られる立場なんですよ。
ちょっと売れてた頃はラジオドラマがCD化されたり、アニメビデオになったり、
年収なんかも20代の小娘でこんなに?と思えるくらいあったし、
好きなだけお金使っても自然に印税とか入ってきたし。
実力以上の自信とかへんなプライドとかエゴとかにもまみれてたな。
だから描けなくなってきて周囲の評価も下がって来た頃には正直
「え?え?なんで?」
って困惑しました。
だって自分は自分で、外の評価だけが変わったから。
外の評価=自分の評価 に成り下がっていたから。
外がOKと言えば自分は価値の高い人間で、
ダメと言えば、存在価値のない人間になる。
そういう観念が普通に根付いていたんです。
これがどんどん、自分を蝕んで行きました。
何年もかけて蝕まれたので、根が深いんですよこれが
というわけであと1回貼ります。