あざます!ぱよ造でふ![]()
批評(ジャッジ)だいきらい その④です。
鬼飽き性なので、ブログ連投も
3日くらいが限度かなと予測してましたが
もーすこしイケそうですw
![]()
![]()
![]()
他人を見て向けるジャッジ(批評)は
ほんとはじぶんをジャッジしたいの。
責められたいの![]()
じぶんをジャッジすると痛いから
痛くないように外側をジャッジしてるんだよ。
それは大いなる八つ当たり。
勘違いご自愛ってことばを最近知りましたが
(※ご自愛というのは文字どおりじぶんを大切に扱うことね)
そーやって外側を叩くことで、
じぶんの安全を得て、身を心地よくするのです。
主軸にあるのが
外側(●●のせいでムカつく)なのか
内側(あたし自身の心地よさのために)なのか
極論言うと
評論しようがマウントしようがdisろうが
じぶんのためだけに完結するのはご自愛で
あいつのせいで気分悪いわー
まちがいに気づけ―
さもなくば 叩くor 無視
が、おおいなる八つ当たり。
↑これけっこーやってる……![]()
●●のせいで気分悪いのはなぜか、
もすこし掘り下げてれば
おのずとご自愛になる……しかなくなります。
気分悪いのは
なんで気分が悪くなったのか、
じぶんの中の動きを丁寧に
観てあげてないせいだよね。
じぶんの中に
責めたい要素があるのを
外を責めることで、痛みを回避し、満足する。
これでわたしはわたしを好きでいられる。
安心安心![]()
それと。
じぶんは正しいところにいる
みたいなある種の優越感は
いったいどこから来るの? って
ずっと考えていました。
なぜ
ジャッジするのはある種の快楽で
ジャッジされることは不快なの?
そもそもなぜジャッジするの?
ここではじぶんケースが対象だから、つい
否定的ジャッジばかり例にあげちゃうけど
褒めるときだって、実はジャッジしています。
じぶんの持つ 好きや、正しいや、すごい を基軸に
対象をじぶんの観たいように観て、評価を下す。
好きかどうか
正しいかまちがってるか
すばらしいかつまんないか
優れているか劣っているか
有罪か無罪か
そういえば先日
美人整体のマッキーさんに
「ぱよさんには出来ないことってないですよね」
と真顔で言われて、本気でどぎつい皮肉かと思った![]()
どうあたしを観たらそう思える――![]()
やはり! ひとはひとを
じぶんの観たいように観ているだけなのだ。
たとえ事実にそっていなくても
そのひとの世界ではそれが現実なのだ。
肯定否定に関わらず、そーなのだ![]()
そしてまた、同じ疑問に戻る。
なぜわたし、ジャッジしたいの?
マグダラ瞑想では、それを投げかける。
![]()
![]()
![]()
マグダラのマリアは聖母マリアに並んで
イエスの最も近くにいた女性と言われています。
そしてとても多岐にわたったイメージが
世間に浸透しています。
美しく裕福で賢い女性
愛欲に溺れた罪深い女性
元・娼婦
イエスの足に香油を塗った女性
身の内に巣喰う7つの悪霊をイエスに追い出してもらった
信仰により罪を悔い改めた、女性のモデルケース
修行者
ストイックな聖女
十二使徒ヨハネはマグダラの別名説
復活したイエスから伝言を託されたメッセンジャー
イエスから使徒の誰よりも愛されていた
イエスの唯一無二の伴侶
イエスの子を産んだ
十二使徒から妬まれていた
教会における男性権威を誇示するため、元娼婦の名を着せられた
母性と官能性を併せ持つ、理想の女性像
パートナーシップにおけるひな型的女性像
ちょっと文献を読んでみるだけでも
実に、いろんなタグ付けがされているのです。
イエスのそばにいた、ひとりの女弟子じゃ済まない。
愛くるしくて賢い女性……だが愛欲に溺れる
罪深い元娼婦……にも関わらず
信仰により悔い改めた、アイコン的女性![]()
などなど
持ち上げられ、落とされ、また持ち上げられ
なんかも―忙しい![]()
ジャッジされまくりの女性なのです。
どこまでがほんとで
とこからが捏造なのか
あまりに昔のことなので
検証しようもありません。
ご本人に直に伺いたい。
チャネリング的にメッセージをおろすより
ご本人の体感覚を味わいたい。
そんな気持ちになった、
はじめての女性です。
(つづく)