明らかに違う。
私は最近、そんなことを考えている。
「がんばる」という言葉は、どこか漠然としている。
「一生懸命やる」
「諦めない」
「力を尽くす」
そんな意味なのだろうけれど、
そこには必ずしも「目的」が含まれていない。
私がよくたとえるのはこれ、
「医者になるためにがんばります!」と言いながら、
毎日腹筋を1000回やったとしても、
たぶん医者にはなれない。
でも本人が「毎日がんばりました」と言えば、
それは確かに「がんばった」のだろう。
そりゃもう、ものすごく頑張ったのかもしれない。
ただ、目的には近づいていない。
ここに、「がんばる」と「努力」の違いがあるような気がする。
「努力」という言葉にも、それ自体に具体性があるわけではない。
けれど、「努力する」と言ったとき、
私はどうしても「目的に向かって何かを積み重ねる」
というイメージを持つ。
努力には、方向があるのだ。
だから私は、
「がんばる」は行動の強度で、
「努力」は行動の方向性なのではないか。
と思っている。
「がんばる」は、自分の中で完結する。
「今日はすごくがんばった」
これは、その人自身の感覚で成立する。
苦しかった。
疲れた。
一生懸命やった。
途中で投げ出さなかった。
だから「がんばった」。
それでいい。
「がんばる」という言葉には、
自分の努力感や達成感を肯定してくれるところがある。
だから、失敗したときにも使える。
「うまくいかなかったけれど、私はがんばった」
これは、自分を守るためにも必要な言葉なのだと思う。
でも、「努力」と言った瞬間、少し話が変わる。
「その行動は、目的に近づいているのか?」
という問いが生まれるからだ。
途端に身が引き締まる。
以前私は5年間、私は
伊豆半島の修善寺から東京・丸の内まで、
イズッパコと新幹線で通勤していた。
片道2時間15分。
往復4時間半。
毎日が参勤交代である。
母子家庭だったので、
仕事を辞めるという選択肢は考えなかった。
生活の基盤である収入を守る。
そのために、今の生活サイクルを継続する。
ただ、それだけだった。
さて、その5年間、私は
「がんばっていた」のだろうか。
もちろん、外から見ればそう見える。
「毎日そんなに通勤して、大変ね」
「よくがんばりました」
と言われるかもしれない。
でも、当時の自分には
「がんばっている」という感覚はなかった。
ただ、
「この生活を続けるには、どうすればいい?」
と考えていた。
がんばるのではなく、生活を最適化した。
毎日長時間通勤するなら、家にいる時間は少なくなる。
その少ない時間で生活を回さなければならない。
息子の弁当を、いかに短時間で作るか。
洗濯は夜にして、脱衣場干しで除湿機をフル回転しようか。
夕食を毎日ちゃんと作るなんて無理。
では、どうやって手を抜くか。
私は「ごはんの手抜き研究」に勤しんだ。
これは「家事をがんばった」のとは少し違う。
むしろ、
家事をがんばらなくても生活が回るように努力した
のだと思う。
つまり努力とは、必ずしも苦労を増やすことではない。
目的に必要のない苦労を減らすことも、努力なのだ。
-
目的が変われば、努力の形も変わる
この間に、息子は地方都市の国立大学へ進学した。
すると今度は、学費や住居費が必要になった。
生活を維持するだけでは足りない。
そこで私は、占い師としての報酬を確保するために
活動量を増やした。
仕事を続けながら、家事を回しながら、
必要なお金を確保する。
状況が変われば、必要な行動も変わる。
つまり私は、
「最初に決めたことを5年間、ひたすらがんばり続けた」
というわけではない。
その時々で、
「今、何が必要なのか?」を考え、
そのための方法を探していた。
息子は無事に社会人になった。
(まぁそれからもあれこれあったんだけど)
そして私は人事異動で在宅勤務になった。
振り返れば、5年間が過ぎていた。
努力には「やめる」も含まれる。
ここまで考えると、努力という言葉は少し面白い。
努力というと、
「もっとやる」
「もっと頑張る」
「もっと我慢する」
というイメージがある。
でも、本当に目的に近づくためなら、
「それはやめる」
「これはやらない」
「この方法は違うから変える」
という判断も必要になる。
努力とは、がんばり続けることではない。
目的に向かって、自分の行動を調整し続けることなのではないだろうか?
時にはアクセルを踏む。
時にはブレーキを踏む。
時には道を変える。
場合によっては、そもそも目的そのものを考え直す。
その全部が「努力」なのだと思う。
そして今、少し不思議な場所にいる
息子は社会人になり、勤務は在宅になった。
これまで私を強烈に前へ押していた
「生活を守る」という目的が、一つの区切りを迎えた。
ここからは、
「何をがんはればいいのだろう?」
と考える必要はないのかもしれない。
「私は何をしたいのだろう?」と考えていい。
これは、けっこう難しい。
「必要だからやる」というのは、とても簡単なのだ。
必要ならやればいい。
でも、「やりたいからやる」には、正解がない。
だから今は、考える。
想像する。
やりたいことをリストアップする。
思考の旅をする。
北海道では縄文遺跡を巡りたい。
函館のラッキーピエロでハンバーガーを食べたい。
北見にある父方の先祖の墓参りをしたい。
陸別町の極寒のお祭りに行きたい。
あわよくばオーロラも見たい。
広尾に住む知人を訪ねたい。
どこかの企業の工場見学もしてみたい。
こうして「やりたいこと」を考えているだけでも、
すでに楽しい。
これからは「がんばること」を探さなくていい。
これまでの私は、必要なものを守るために走ってきた。
走り方を考える必要があった。
でもこれからは違う。
「どこへ行きたいのか」を考えるところから始まる。
私はもう「がんばらなければ」と思わなくていいのだ。
やりたいことが見つかったら、努力すればいい。
必要ならがんばればいい。
何も見つからないなら、
しばらく何もしなくてもいい。
考えていてもいい。
妄想していてもいい。
道草をしてもいい。
目的地が決まっていないのだから、
急ぐ必要もない。
「がんばる」と「努力」は、やっぱり違う。
がんばることは、できる。
でも、がんばったからといって、
目的に近づくとは限らない。
努力には、方向がある。
だから私はこれから、
「どれだけがんばったか」ではなく、
「自分はどこへ向かいたいのか」を大切にしたい。
そして、目的地が見つかったら、
そこへ向かう方法を考える。
必要なら、思い切りやる。
必要なければ、やらない。
もっといい方法があれば、変える。
面倒くさいなら、面倒くさくない方法を探す。
そして、ときには何もしない。
それもまた、自分の人生を自分で選ぶための時間なのだと思う。
これまで「生きるために走ってきた」のだから。
これからは、
「どこへ行ったら人生がもっと楽しくなるのか」
を考えながら、走る方向を自分で決めてみたい。
紅弦9月の予定
【鑑定所】
9月12日(土)静岡PARCO『占いのアリーナ』
9月13日(日)沼津駅アントレ2階『えにし屋』
9月20日(日)沼津駅アントレ2階『えにし屋』
9月27日(日)沼津駅アントレ2階『えにし屋』
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