小さな男の子兄弟が夜から未明の間に行方不明となった。
公開された写真の兄弟はとても可愛らしかった。
当時幼かった可愛い息子と写真の兄弟が重なり
ニュースを気にしながら私は毎日兄弟の無事を祈った。
しかし結局真相は、
兄弟は父子家庭なのだが、父子と同居していた薬物中毒の男が、
父親不在の間に寝ている兄弟を車で連れ出し川に投げ込んだという
人とは思えない残酷極まりない事件だった。
死体が発見されたと速報で流れ、私は狂いそうになった。
胸が苦しく痛くなった。
兄弟はどんなに苦しかっただろう。
なぜ罪のない子供達がこんな目に遭うのだろう。
犯人に対する怒りと憎悪、兄弟への悲しみとやるせなさ、
私は感情が暴走し何も手につかなくなったし
しばらくの間ムカムカ吐き気が止まらなかった。
ニュースをみて怒り散らし涙する私に
父は「これも寿命なんだ、運命なんだ」あっさり言った。
「違う!こいつが#ハ&カ!jtdgナマ.t5ラ$アナ最低!!!」
私はヒステリーを起こし、父をひどくなじった。
こんなに酷い事件を運命というひと言で済ませようとするなんて父はおかしいし、
犯人だけでなく犯人に対して何も言わない、事件を悲しまない、そんな父が憎くなった。
感情の行き場がなくめちゃくちゃな状態だった。
今は「許せない、犯人を死刑に」という思考がエゴであることを認識している。
こうしてカーペットをコロコロで掃除しながらブログを書いている間にも
1人、また1人と餓死する子が世界には存在するし
紛争に巻き込まれて微塵に飛び散る人もいるだろう。
ニュースにならないだけで色々な事が起こっていて
毎日誰かが亡くなって、その遺族の世界は大きく変わっている。
遠くから客観的に見て「寿命、運命(仕方ない)、その人の人生」と落としどころがなければ
とても自分を保っていられない。
今でも、たとえそれが信用できないゴミTV局のニュースでも
目や耳に入ってしまうと途端に自分を見失い、
やいのやいの口を出し犯人抹殺せよモードになってしまう自分がいる。
まるで自分の身に起きたかのように。
私は当事者でもなければ裁く権利もないのに。
「人の身になって○○」
という日本の教育は、私には少し足りなかった。
「でも人のことだから、自分と切り離して受け入れなさい」
そう付け加えプログラムを書き替えることで
私はあの時の父の言葉が何を意味していたのか理解できるようになった。
金を貸して回収できないまま死んでいった父だけど
負の遺産しか残さず死んでいった父だけど(ダメ父すぎる)
色々授業料として先払いしたということにしておく。
今はまだ高いけど、そのうち安くなるはず。
6月26日(日)は伊東のハンディホームセンターで
ワンコイン

ヒマラヤ岩塩の叩き売りをしています。
嘘、叩きはしません(´Д`)
玄関や苦手エリアの置き塩をお求めのかたは
どうぞお立ち寄りくださいませ。
あまりにも風が強かったら早く撤収するかもしれません。
あそこの強風は重し代わりにテーブルをくくりつけたテントごとふっ飛ぶんです。