まだ若い頃(ギャルな時代)秀でた力がほしいと思った。
まるで自己啓発の冊子の冒頭のように
何かと比べては「なんて自分はダメなんだろ」
「どうしてあの人は」と
落ち込んだり羨んだりしたものだった。
自己啓発セミナー誘導だとここで「何か」に出会うのだが(妄想)
私は誘導してもらえなかった(現実)
そんな夢みたいな話あるわけない のが私の人生だ。
当時の私にあったのは、人よりデカイ乳だけだった(T_T)
まったく何もなかった。
それでも私はここにいる。
誰でもそれぞれ違う初期装備(能力)があり、
生きる者共通のルールとして
自分が身を置いたフィールドで
その能力を生かしながら
限られた時間を生き抜くのがこの世界だ。
身に起こるすべてを受け入れること、それが責任を果たすということ。
受け入れるというのは、身に起こるすべてを鵜呑みにすることではない。
鵜呑みにできないことに対して我が身に起こる
ウジウジや恨みつらみや反発も受け入れる、ということだ。
比べること、いつまでもウジウジする執念深さは
私の最高の能力だった。
開き直れば簡単、悪いけどサバサバなんてしていられない。
サバサバしたら負けッ!
【資本社会】は資本社会だから能力を資本に変換する。
お金にしちゃいけない能力なんてものはない。
ただし、お金ではないが価値を持つものもある。
この見えない価値をもつものは「対価」に含まれる。
全てはお金などの物質、また見えない価値ある何かと同等対価で交換される(←秩序)
お金はわかりやすい共通の目安だ。
しかし見えないものにどう価値をつけるか?
これは受け取る側次第だから答えはない。
私自身、まだ迷いの中にいる。
精神性に逃げるのは簡単だが、自分のこの人生それでいいのか?
ウジウジする。
迷いウジウジが対価だ。
あんまりウジウジしているとそれにも飽きる。
いっそのこと死ぬまで迷ってやろうと、挑戦的になる。
対価はウジウジ→挑戦的な私に変換される。
実際、お金は程々あれば満足だ。
もう少しあればいいなぁと思うぐらいでちょうどいい。
「もう少し」部分は創造性という見えない資産で満たされている。
自分を満たしているものは何か?が明確になれば
この先どうしたいか真実がわかる。
とりあえず今の私は自分にウジウジするつもりだ。
こうなりたい!こうしたい!という欲が出てくるのまで
またはこうするしかない(´Д`)という状態になるまで
ウジウジを堪能する。
ウジウジは「余裕の為せる業」だからな。
で、何がいいたいかというと 別に・・・(沢尻えりか風)
嘘、よくわかってない。
いや、垂れ流したいだけかも。
私が持つ能力は今日「パン」に変換された。
美味しかったよ~
お父ちゃんありがとー(≧▼≦)ノ
ハッピーな気分さ。
満足ッ!
明日5月25日(日)は沼津アントレのKAIにおります。
