「上位」というと、なんとなく優れているもの的な印象があるけど
優れていることが上位ではない。
何とどう比べてるかもわかんないしね。
いうなればマンションの3階と4階に優劣ジャッジできないのと同じだ。
役割の違い、影響の違いだと思ってくれればいい。
物質世界におけるスピリチュアルのあり方としても誤解されやすい。
精神世界と物質世界は比べることができない、
どちらが上でも下でもない。
上位の意識からは物質世界が見えるけど
物質世界からは上位の意識は見えない。
私自身はブログを通じて
物質世界に生きる生身の人間として発信をしている。
(垂れ流しているともいう)
何かについて、自分はこう感じているよ。自分はこう受け取っているよ。
という「私にとってこうである」を発信している。
文字や文字は「今日は天気が良くて気持ちがいい」
っていうただそれだけで 気分がいい人もいればムカムカする人もいる。
悲しむ人もいるし叫ぶ人さえいる。これホントの話だ。
干ばつで水が不足して水を欲している地域の人から見れば嫌味になるように。
何がいいたいかというと、
言葉や文字に限らず、誰かの表現やあり方さえ
「受け取る側」にすべてゆだねられているってこと。
受け取る者の気分を損ねないようにする、というのが
発信側の責任だとすれば、
人はひとことひとこと発するたびに
60億の人間に対してお伺いを立てなくてはならない。
いや、お伺いを立てるのさえ不愉快な場合もある。
60億すべての人が不愉快にならない言葉なんてあるだろうか?
あるか?
あるか?
「おお神よ!」さえ宗教によってはタブーだろう。
ないんだよ。
「受け取る側に全てゆだねられている」
これが上位の意識が伝えていることだ。
自分以外の誰かの「こうである」を自分のものとするな。
誰かのこうであるを真に受け自分のものと錯覚する、それは「依存」だ。
今日は厳しいぜ、私。