「パズルみたいな何か」の欠片を個の生と例えてみたのですが
個の生もまた、よく見てみるとパズルのようになっています。
欠片が集まり「オラの人生」というパズルが完成します。
欠片が集まって「オラの人生」というパズルが完成し、
この「オラの人生」もまた何かの欠片であり、
欠片として互いに干渉し合います。
私という欠片が例えば赤であれば
誰かのパズルでは中心の目をひくポイントだったり
(夜のエンパイアビルのてっぺんとか)
誰かのパズルでは多数の一部であったり
(一面の紅葉とか)
なんてことが起こっています。
しかもこのパズル同士は重なっています。
このパズルが重なったものも、また「パズルみたいな何か」になります。
重ねただけと思いきや横からみるとホラッ

でもこれも永遠に同じものではありません。
なぜなら私達は時間という概念の中に存在するからです。
完成したパズルは重なって厚みがあり、
それは一瞬ごとに存在するから莫大な数になります。
それはどんな形になるでしょう・・・
ミ
クロからマクロへ。
小さすぎて見えないものから
大きすぎて見えないものへ。
その間にある物質として認識できる限られた世界、
それが「今・ここ」でございまーす。
ほとんど端折ったけど、とりあえず満足です。
もっとネチネチぐだぐだとやりたかったんですが、口ほどにもないですね。
私の中に収めておきます。