三門と本堂を結ぶ
菩提梯という階段が(死亡フラグ)
恐ろしくヘヴィでございます。
おまけに
「こーいうのは自分の足で登らなくちゃダメなんだよッ!」
お供の坊やがかなり厳しいのです(´Д`)
母さんは足が悪いんですけど・・・
ぴょんぴょん跳ねながら軽快に進む坊やを遥か上に眺めながら
私は一段ずつ、ゆっくり階段を登りました。
日蓮宗総本山の久遠寺は、
細部までお手入れされていてとても美しいです。
歴史ある建造物は、手入れを欠かさず時を重ねることで
さらに美しさを増します。
ヒィヒィ何とか階段を登りきると
全身で風を受け入れる事しか許されない
他の全てを手放す時間がやってきます。
まぁ、こういう事なんです。
日蓮聖人に思いを馳せます。
国内各地に残したたくさんの足跡・・・
その本山に今私がいる感動は
言葉になりません。
あえて表現するならば
ア・・・アメージング(´Д`) ←台無し
ところで、日蓮聖人は本当に「人」だったのでしょうか?
フットワーク軽すぎじゃないですか?
飛行機ぐらい乗ってても
新幹線使っててもおかしくない距離を
生涯移かけて移動しています。
限られた時間の中で
それは身体がいくつあっても足りません。
という事でチート認定ヽ(`△´)/
・・・いや、聖人なんだもんねぇ、と妙に納得しました。
日蓮総本山は
自分の苦しみや弱さや喜びや感動を
人として・・・を正直に体感する事ができます。
時が紡ぐ見えないエンターテイメント、楽しいです。
まんまと場に巻き込まれました(≧▼≦)
宗教はそれぞれの教えがあります。
共通しているのは「人として」どう生きるか?を
教えを通して私達が自らに問いかけ選択する為に
存在しているという事です。
自分が出会った教えの正しさを主張したり
真偽を証明したり迫害する為に
存在しているわけではありません。
日蓮聖人の等身大の経験から得たもの
「俺はこうだったよ。みんなも良かったら参考にしてね」
教えという形で
日蓮宗の方々の中に日蓮聖人は生きているのです。
なーんだかすごく素敵だわぁ。
久遠寺をあとにした私へ
「楽しかった。桜が咲く頃にまた来ようね」
坊やから地獄の階段宣告がありました(-_-)
寺が好きな小学生ってどーなのよ?
とりあえず桜が咲くまでに・・・少し体力つけないと。
最後に
身延駅の駅そばが美味しかったです。
汁が美味しいのです。
かけそば270円で味わえる
幸せ感と驚きは偉大です。

