今日のテーマは愛と情の違い。
ツインソウルの妻と話ていてやっと結論がでたからブログに書いてみた。
結論は愛と情の違いは利害が反した時に明確になる。
愛は利害が反しても続いていく。情だと大抵は終わる。
愛の分かり易い例が母親の子供に対する愛。
例えばシングルマザーで収入が少なくてたべるのにも事欠いている時。子供にたべさせて自分は我慢する。
これは自分が食べたいと言う気持ちをおさえて子どもの食べたいを優先させてるから利害がはんしていて、利害を越えて子供の為に行動しているから愛だね。
子供に「勉強しなさい」と言うのは親の利害が一致するから愛とは限らない。単に世間体が悪いからと言うような我欲から出た言葉の可能性がある。
あなたの為に言ってるのよ。と言う親もあるけど。このあなたの為に出てきたら。要注意。相手の為より自分の為の可能性が高い。
わざわざあなたの為というのは自分の為を隠す意図が、あったりする。
学校の先生が針路で進大学生進学で学を進めるのも似てる。
せいとが夢の為に大学ではなく専門学校を選ぶのを邪魔するのは、自分の評判や責任逃れからの可能性がある。大学進学なら教師としての責務を果たした。となるしね。
逆に夢を追いかけるのに賛成するのは愛の可能性がある。先生の利と反する行動だからね。自分の評判が落ちても夢を持つのを応援してるからね。もっとも先生が夢を諦めて教師になっていると。自分ができなかった事を代わりに実現して欲しいと言う我欲があったりするかもだけど。
りがいが反している時は愛がある可能性が高い。
だから上手くいっている時によってくるのは愛ではなくて利害だね。うまくいかなくなった時残っているのが愛がある人。厳しい時は愛を見分けるチャンスでもある。
情と言うのは利害が反していないなら掛ける事ができる。愛と勘違いしやすい。
自分に余裕がある時は情を掛けることができる。
余裕がないと情をかけているお自分があやうくなるから情がかけられなくなる。情には限界があるんだ。
情は人の為ならずと言うことわざがあるけど。
本来の意味は情をかけると回り回って自分に戻ってくると言ういみだけど。
僕が思うに情は人の為ではなく多くは自分の為だったりする。
隠れた我欲だったり、自己満足だつたりする。
別にそれが悪いと言うんじゃないけど愛があるわけじゃないと思ったほうが良いだけ。
情でも、利害がはんするとこまでしてくれるなら愛がある可能性がある。
同情するなら金をくれ、なんて安達由美が子役の時のせりふがあるけど。
同情のこたばだけなら、利害は反していないけどお金をあげるのは被害が反するから愛を確かめるセリフになっている。
どくまでできるかをかんがえると情レベルか愛があるレベルか判断ができる。利害が反しても行動できる相手は愛がある相手だね。
情をかけるなら、愛があるかどうかを判断してどこまでできるかの限界を知っていれば人間関係が、おかしくならないコツの一つだと思うんだ