発病後、3ヶ月が過ぎましたので、遅ればせながら、1/28から3/9までの入院生活を振り返って見たいと思います。


1/28


↑これが私が倒れる事になった時のランニングルートで、最終地点が倒れた場所で、救急車に乗せられた場所です。




↑その時のガーミンのボディバッテリーのグラフ


救急車の搬送先でガーミンのスマートウォッチを外されて、測定が終わってます。




翌1/29にガーミンを返されて、装置した時から計測が再開されてます。


当初の診断は、『良性発作性頭位めまい症の疑い』でしたが、その後転院した総合病院での精密検査で『椎骨動脈解離による小脳梗塞及び延髄梗塞』となりました。


最初の病院(総合病院の分院)では地獄の様な入院生活でした。(転院後もさほど変わりませんでしたが…)


私はベッドに横になったまま尿瓶で小便はできないんです。それは今まで何度も交通事故で入院した時も同じで、いつも尿管を入れてもらい小便を処理していました。


その事を看護師に話したら、電動ベットを70度位まで起こされ、尿瓶を突っ込まれ、出るまでベッドの上で体育座りをさせられました。


その姿でいれば膀胱がいっぱいになれば自然と出るからそれまで待って!と言われ朝まで体育座りでした。


今考えると、椎骨動脈解離の数時間後からの体育座りの強要は、殺人行為ですよね!?


いくら最初の診断がめまい症でも、めまい発生から何時間も経過してもめまいが収まらなかったら他の病気を疑うのも看護師の仕事だと思います。ただのめまい症ではないと何度も訴えてみたのですが、『めまいくらいで弱音を吐かない!明日にも退院なのだからご飯も食べなさい!』と無理やり食べさせられたりと散々な日でした。


ストレスしかありません。


看護師たちに対し殺意が芽生え、ナースが嫌いになりました!




1/30


朝方、何とか尿管を入れてもらい、1日半ぶりに小便をしました。


そこで、やっと眠る事ができて、↑青いグラフの休息グラフが表示されました。


めまいと吐き気、頭痛が全く改善されず、声もカスレ声が小さく出るだけだったので、自分でスマホのネットでその症状を調べたら、延髄梗塞が疑わしく、その事を看護師に話しても取り合ってもらえないので、担当医に直訴して渋々ようやくもう一度CT検査をしてもらえました。(救急搬送された時もCT検査をしましたが異常は発見されなかった。と言うより見逃したのか?)


再度のCT検査の結果、小脳梗塞が発見され、焦った顔でドクターが走って来て、本院の総合病院に転院して、MRI検査を実施します!と言って来ました。


直訴してのCT検査を行わなければ、この病院(分院)で私は死んでいたと思います。


マジで危なかったです(大汗)


↑18:00から19:00までガーミンのグラフが無いのは、その間はスマートウォッチを外されMRI検査を受けてました。


そして、1/30の夜はHCU(高度治療室)に泊まりました。



1/31


翌1/31からは希望した個室に入る事ができて、本格的な入院生活が始まりました。



当初は、嚥下が悪く食べる事もできず、点滴で栄養を取ってました。(最初の病院(分院)では看護師に無理やり食べさせられましたが:怒)




翌1/31のボディバッテリーのグラフは↑こんな感じで、ストレスフルな入院生活です。




↑翌2/1も全ての時間が高ストレスな一日。


今見てもゾッとします。


1番のストレスの原因がナースコールでした。


私のナースコールの主な使用理由は、頭痛止めの薬をもらう事でした。


頭痛薬は、痛みが酷くなった時に飲む事になっていたので、ナースコールで薬をもらうのでした。


看護師が忙しいのは百も承知なので、無闇にナースコールは押さず、本当に痛みが我慢できなくて困った時のみナースコールを押したのですが、押してからナースが来るまで平気で30分はかかるし、来た看護師はいつも迷惑そうな顔してやって来るくせに、帰る時には「何でもいいのでナースコールで呼んでくださいね。」と言いやがる(怒)   


看護師へは殺意しかないですね!大嫌いです。



2/1


2/1からは食事も出る様になりましたが、嚥下が悪いので、食べやすいメイバランス(高カロリードリンク)がメインとなりました。



2/2


唯一の楽しみが食事となりましたが、ストレスフルな1日は変わりませんでした。

 



翌2/3も変わらず、あまりのストレスから尿管結石になり、その痛みにのたうち回っていました。


ストレスで尿管欠席になる人が多いと↓後出の優しい看護師さんが教えてくれました。


私の父親もこの総合病院で尿管結石になりましたし、私が入院する1/28より前に父親に面会に行くと、看護師に対する苦情をよく言ってました。


父親は、今はリハビリ専門病棟がある病院に転院しましたが、転院先のリハビリ病院の看護師は天使で、この総合病院の看護師は悪魔だと言ってます(笑)



2/6になっても変わらずですが、この日からトイレに行ける様にしてもらい、尿管もはずれ、入院後9日目にして初めて大便もしました。


この時、トイレのお世話をしてくれたベテランの看護師さんは初めての担当となった人ですが、とっても優しく天使の様な看護師さんでした。今もこのナースさんは忘れません。


それでも、ストレスフルな日々に変わりはありませんでした(涙)




2/11


翌2/7からリハビリが開始され、病室からも出られる様になりました。


そして、2/11からは↓自主練で歩行訓練を開始。



2/11


歩行器が愛車となりました(笑)


毎日のリハビリ意外に、自主練で音楽を聴きながらの歩行訓練が楽しみになってました。



2/13 


その自主練の自分へのご褒美を妻に買って来てもらってました。


この時のマイブームが↑生チョコと



2/13


↑まるで食感シリーズの飲むゼリー



2/18


リハビリの自主練後にひと休みする談話室に見慣れない子どもたちがいたので話しかけると、パパが入院してママは病室に行ってる小学5年生と小学2年生の兄弟でした。


キチンと応対ができる良い子たちでした。


不安そうな顔が今でも忘れられません。


私のいた病棟は、脳神経系の病棟なので、かなりの大病の人ばかりだったので心配です。


この子たちのパパの無事を祈らずにはいられません。



2/19


この日から、高カロリードリンク加え、塩結びの主食が加わりました。


私からのリクエストです。


普通食も可能でしたが、味も悪く完食できそうもなかったので、カロリーの取得を最優先して、完食できるメニューを栄養士さんにリクエストしました。


↑の食事で、ザックリで650kcalくらいかな。



2/22


自主練後に久々に缶コーヒーを飲みました。


入院してから飲んでなかったので美味かったー。


生きてる!って感じがしました(笑)



2/24


毎食の塩結びにも飽きたので、妻にのりたまふりかけを買って来てもらい、トッピング!


メチャメチャ美味くて、涙が出て来ました(笑)


生きてて良かったーと、のりたまで思いました(爆)



2/26


他階の売店までの外出許可も出たので、売店で初めて買ったのが、↑エメマンと



2/26


↑ブラックサンダー


この日以来、自主練後の自分へのご褒美として、エメマンとブラックサンダーが日常化して来ました(笑)


なお、何を食べても良い許可は、担当ドクターからもらってました。




3/1


退院が3/9と具体的に決まったのが前日の2/28で、その事もあってか、入院後初めて、↑長い休息時間(青い帯)が表示されました。


病は気からが実感できる事実です(笑)


また、この頃かな?


コロナの院内感染があったのは。


院内感染が流行ってる時、咳をしながら病室を回る看護師にも殺意を抱きました!


私の両隣の個室の患者はコロナに感染発病し、一晩中苦しそうに大きな咳をしていた一方の男性患者は、翌朝から隣の病室からはいなくなりましたが、無事だったかどうかは不明です。(となりの病室は夜中にかなり騒々しく、人の出入りが激しかったことを申し添えます。)


私も熱が出て体調不良になりましたが、既に入院前に2度ほどコロナに感染して発病していたので、免疫ができていた(ワクチンも規定回数接種済み)のか発病はしなかった様です。



3/1


食生活も自主的リハビリに入りました。


退院後に食べる物に慣れないとね(笑)


売店で買って来て食べて飲みます(笑)



3/5


この日は、売店に松屋の牛丼弁当があったので買っちゃいました。


下界の味は最高に美味かったです(笑)



3/7


退院も近くなった3/7、ストレスレベルも減り休息時間も長くなり、ボディバッテリーも75まで上がりました!


病は気からを実感します!!!



3/9


退院当日です。


妻が9時前に来てくれて、退院準備をしてくれます。



そして、↑これが私が大嫌いだったナースコール!


本当に押すのが嫌でした。大嫌いでした。


これのお陰で尿管結石になりました!



今でも↑これを思い出すとイライラして来ます(怒)


正直、退院日を3/9(土)に決めたのは、翌週の3/15(金)が僕ちゃんの卒業式だったので、絶対に出席したかったし、父親の農業の確定申告の期限が同じく15日だったので、下界での心身的な慣れと農業用確定申告の書類作成に1週間は必要とみての退院日の自分的な希望による決定でした。


3/9に退院する為、めまい、頭痛、シビレ等々があっても、無いと嘘をついて退院しました。


それらの症状があると退院させてもらえず、そのまま入院か他の急性期でない病院への転院となってしまっていたでしょう。


それにしても、今思い出しても看護師たちの態度は許せません。


態度の悪い看護師は若い看護師たちでした。(40歳以上くらいのベテラン看護師は以下の事は全くなく優しかったです。)


①話し方が上から目線。

②話し方がタメ口で敬語は使わない。

③何をするにもドクターを許可を得ないとと言いつつ、ドクターには伝えてない。

④自己判断をしない。と言うよりできない。

⑤ナースコールにわざと早期対応しない。

⑥病室の床に落とした薬(袋から出した生の錠剤)を私が気付いていないと思い拾い飲ませた。(私のいた病棟はほとんどの患者が意識がなかったり、もうろうとしているので落としても気付かない)


等々、以上の様な(書き出したら止まらないので6項目くらいにしとく)ことが四六時中あるので、イライラしてストレスマックスになってる訳です!


ベテランが若手を教育的指導をすると、パワハラだと言い辞めてしまうので、看護師不足から、態度の悪い看護師を教育できない。とも聞いています。


しかし、患者からは高いお金をもらっているわけで、サービスでボランティアしている訳ではないのです。


お金を取ってるとこを自覚して欲しいです。


ホントはもっとゆっくり養生したかったのですが、毎日毎日ストレスマックスな入院生活にウンザリしての退院でした。


そして、看護師が大嫌いになりました。


20年近い前に何度か交通事故で、この総合病院(本院)に入院しましたが、その頃の看護師さんは優しく天使の様で大好きでした。


それが今ではどうでしょう?


患者ファーストを学んで欲しいです!


今回の入院で、病院まかせにしては治る病気も治らない事を学びました。


この総合病院には2度と入院したくないので、近々、違う総合病院(人間ドックを受けてる病院)に外来を転院しようと思ってます。


ただ、私が死なずに済んだのも、この総合病院のおかげなのも事実なので感謝もしています。


病気になった自分も悪いのですが…


一応言っときます。「ありがとう。」

そして、もう2度と言わないでしょう(怒)