第1回:マッカートニー・シリーズとは(総論)
『マッカートニー』 (1970年)
『マッカートニーⅡ』(1980年)
『マッカートニーⅢ』(2020年)
第2回:マッカートニー(詳細その1)
①アルバム『レット・イット・ビー』
②アラン・クラインとフィル・スペクター
③ビートルズ解散
ジョン「お前はアホだ。言うつもりはなかったけど、俺はグルー
プを抜けるよ。そのほうがさっぱりする。離婚みたいなもんだ」
ポール「ビートルズの活動休止の原因は、
個人的、ビジネス上、および音楽的な意見の相違によるもの」
「“レノン=マッカートニー”の共作活動が復活することはない」
「リンダが支えになってくれてよかった」
第3回:マッカートニー(詳細その2)
ポール「機材を準備したのはクリスマスの頃だった」
第4回:マッカートニーⅡ(詳細その1)
1.アルバム『バック・トゥ・ジ・エッグ』の不評
2.ウイングスを続ける意欲の低下
3.日本での現行犯逮捕と公演中止
2011年に発売された『マッカートニーⅡ』のアーカイヴ・
コレクションのインタビューで、ポールは語っている。
「僕にとってはすごく変な時期だった。
このバンドで日本に行くのが嫌だったからね。それに
リハーサル不足だと思っていた。そういうのは好きじゃない。
僕は大抵いいライヴができると自信が持てるようになるまで
リハーサルするんだ。その場合は喜んでツアーに出るよ。
でも公演が決まっていて、東京でリハーサルするという話だった
から“うーん、ちょっとギリギリだよね……”って感じだった。
それで動揺していたんだ。で突然逮捕されてしまった。
分かんないけど、すごく奇妙だな、と思うんだ。
まるで演奏しなくて済むようにわざと逮捕されたかのような。
今でも謎だよ。“僕が逮捕されるように、
誰かがそこに置いたのか?”とも思ったりする。
分かんない。サイコ・ドラマみたいだよ」
第5回:マッカートニーⅡ(詳細その2)
「カミング・アップ」
「テンポラリー・セクレタリー」
「ウォーターフォールズ」
第6回:マッカートニーⅢの発売背景
『エジプト・ステーション』から2年
新型コロナウイルス感染症の世界的流行
ポール「今年の初めに休暇でイギリスに戻ってきて、
田舎にある自分の農場に行ったら、
たまたま娘のメアリーと彼女の家族、つまり
僕の4人の孫たちと一緒に隔離生活を送ることになったんだ」
「(サセックスにある)自宅スタジオで少し作業をしなければ
ならなくなり、それがきっかけで作業を始めたんだ。
隔離期間中に少しずつ新曲のレコーディングを行なっていき、
夕方に家に帰るとメアリーと家族がいるという、とても
素敵な時間を過ごせたよ。孫たちとのたくさんの時間をね」
「映画作品のために、イントロの音楽やインストゥルメンタルが必要だった。それで僕は、スタジオでその音楽を作らなければ
ならなかったんだ。その作業をしているうちに、“悪くないね。いい感じだ、これをやってみようか”と思うようになった。
それから9週間、いろいろやってみて、“ああ、この作品は
完成させた方がいいだろう。おお、完成できそうだ。そう、これでいいんだ”と思って、全曲を通しで聴いてみた。そこで、これは紛れもなく一枚のアルバムになるという確信が得られたのさ」
「過去の2作と同じように、すべて自分一人で作り上げたん
だから、『マッカートニーⅢ』と呼ぶのにふさわしいだろ」
「ほとんどが新曲だよ。中には、未完成のまま残してあった曲(92年録音の「When Winter Comes」)もあった。スタジオに入ってから“待てよ、あの曲はどうだろう?
試しにやってみよう”と思って、実際にやってみたら、
“おや、まあ”ってなるんだ。何がよくなかったのか、
なぜ気に入らなかったのかを考えてみると、
場合によってはヴォーカルや歌詞が合っていなかったり、
ただ何かが噛み合っていなかったりすることもあった。
そういう部分を全部削ぎ落とし、
“よし、じゃあ、まったく違う曲にしてみよう”と」
「自分一人で考えを巡らしている時は自由度が高いし、
常に僕自身が楽しんでいることでもある」
BBC Radio 6 Music用のインタビューで、「パンデミックの
影響を受けた曲があるか?」と聞かれたポールは、こう答えた。
「比較的新しい曲のいくつかはね。〈Seize the Day〉は、
辛い時期があっても今を生きるんだと歌う曲だけど、
パンデミックを乗り切るためには、良いことに目を向けて、
それを掴む努力をした方がいいということを僕自身や
この曲を聴いている人にも思い出させてくれるはずだ。
間違いなく僕の助けにもなった」