ポール・マッカートニー 語録 MC1 マーク・チャップマン | ポール・マッカートニー 語録

ポール・マッカートニー 語録

Paul McCartney In His Own Words

当ブログは公表された著作物の出所を明示した上で、
規定に従って正当な範囲内で引用しています。

 1980年12月8日にニューヨークのアパートメントの外で
ジョン・レノンを殺害したマーク・チャップマン。

彼は罪状を認めており、1981年に精神科医の治療を命じられ、
懲役20年から終身刑の判決が下されている。

68歳の彼は2000年に初めて仮釈放の申請を行っており、
以降2年ごとに審理が行われているが、

仮釈放は認められていない。

彼は今もニューヨーク州の北にあるグリーン・ヘイヴン

矯正施設に収容されている。2022年12回目の仮釈放申請が

却下されたことが明らかになっている。

彼は審理で語っている。

「世界的に重要な人命を自分勝手に軽視していた。
私は自分のやったことを分かっていました。
それが悪であることも、間違っていることも分かっていました。
あまりにも名声がほしくて、私はすべてを投げ出し、

人名を奪ってしまいました。私がこうなったことについて

他の誰かや他の何かのせいにするつもりはありません。

これは私の心の中の悪でした。

私は何者かになりたくて、それは何も止められませんでした。
ジョン・レノンを殺害することは自分にとって

すべてへの大きな答えでした。
もう何者でもない人間でいるつもりはありませんでした」

2023.11.29 NME JAPAN

 

 

 アップルTV+の新しいドキュメンタリー3部構成の
『ジョン・レノン:審理なき殺人事件』で

目撃者の1人は語った。

「実は犯人が私たちに謝ってきたんです。
『夜を台無しにしてしまって申し訳ない』と言ってきました。

その言葉に対して私たちは『冗談じゃない、自分の人生全部を

台無しにしてしまったじゃないか』と答えました」

2020年の仮釈放審問では、オノ・ヨーコに対して
「極めて身勝手な行為だった。苦しめて申し訳なく思っている。
いつもそのことを考えている」と公式に謝罪しているが、
昨年12回目の仮釈放を拒否されたため
最低でも来年2月までの収監が決まっている。

2023.11.30 よろず~

 

 

 ジョン・レノンの最後の言葉が新ドキュメンタリーで

明らかに。Apple TV+で配信される、1980年のジョン・レノン射殺事件をテーマにした新しい3部構成のドキュメンタリー

シリーズ『John Lennon: Murder Without A Trial』の中で、

ジョンが射殺されたビルのフロントで働いていたコンシェルジュによって明かされています。

ジェイ・ヘイスティングスは、あの運命の日、

ジョンが妻のオノ・ヨーコと幼い息子のショーン・レノンと

住んでいたニューヨークのダコタ・ビルのフロントデスクで

働いていました。彼はドキュメンタリーでこう証言しています。

「彼は私の横を走り抜けた。彼は“撃たれた”と言った。

彼は口から血を流していた。彼は床に倒れこんだ。

私は彼の体を横にし、彼の眼鏡を外して机の上に置いた。

ヨーコは“救急車を呼んで、救急車を呼んで、救急車を呼んで”

と叫んでいました」

またドキュメンタリーでは、タクシー運転手のリチャード・

ピーターソンがダコタ・ビルの外で駐車していた車の中で

銃撃を目撃したと語っています。

「レノンが歩いてきて、その子が“ジョン・レノン”と言った。

彼はぽっちゃりした男だった。私はタクシーの前の窓から彼を

見て、彼がレノンを撃つのを目撃した。

こいつがジョン・レノンを撃ったんだ。

映画を撮っているのかと思ったが、ライトもカメラも何も

見えなかったから、“これは映画じゃないな”と気づいたんだ」

ドキュメンタリーは新しい本編クリップ映像を公開しました。

そこでは犯人のマーク・デイヴィッド・チャップマンを

偶然乗せたタクシー運転手であるマーク・スナイダーが

チャップマンについて語っています。

「彼が最初に私に言ったのは“僕はローリング・ストーンズの

プロデューサーなんだ。ビートルズのレコーディング・

セッションから戻ったばかりなんだ。

彼らは全員、再び集まったんだよ”だった。

それに対して僕はどう答えるかって?“そうかい、へえ”だよ」

スナイダーはまた、チャップマンがダッフルバッグを持ち、

後部座席で猛烈な勢いでページをめくっていたことを

思い出しています。

「バックミラーを見ると、

ノートは空っぽのページしかなかった」

スナイダーによると、乗車が終わり、

チャップマンが料金を払ったとき、彼はこう言ったという。

「彼は“僕の名前はマーク・デイヴィッド・チャップマンだ。

僕の名前を覚えておいてくれ”と言ったんだ」

 

このドキュメンタリーはApple TV+の声明では、

こう説明されています。

「ニューヨーク市警、仮釈放委員会、地方検事局への広範な

情報公開請求が認められたことを受けて制作されました。

ジョンの最も親しい友人たちとともに、初めて語る目撃者の

独占インタビューが含まれており、ジョンの悲劇的な

殺人事件の衝撃的な詳細が明らかにされます。

『John Lennon: Murder Without A Trial』は、

チャップマンの弁護人、精神科医、刑事、検察官への

インタビューも収録しています」

この3部構成のシリーズでは、未公開の現場写真とともに、

運命の日にその場に居合わせた人々の証言を集めた新たな

インタビューが含まれています。登場するのは、

銃撃を目撃したタクシー運転手のリチャード・ピーターソン、

レノンのアパートのドアマンで彼の最後の言葉を聞いたジェイ・ヘイスティングス、犯人チャップマンの弁護人デヴィッド・

サグス、レノンとオノ・ヨーコの親友エリオット・ミンツ、

チャップマンを最初に鑑定した精神科医ナオミ・

ゴールドスタイン博士など。

このシリーズは、BAFTAとエミー賞を受賞した72 Filmsの

チームが制作したもので、監督はニック・ホルトと

ロブ・コールドストリーム。配信は海外では12月6日から。

ナレーションは人気ドラマ『24-TWENTY FOUR-』の

ジャック・バウアー役で知られる俳優で、ミュージシャンと

しても活躍するキーファー・サザーランドが務めます。
 

2023/12/05 amass

 

 

 『John Lennon: Murder Without A Trial』の中で、

1980年12月8日ルーズヴェルト病院に緊急搬送された時に

ジョンを担当した病院スタッフが初めて語っています。

救急治療室の看護師ディアトラ・ソトは、

「(医師が死亡時刻を)告げた後、私たちが部屋から出た時、(病院のスピーカーから)“Imagine”が流れていました」

と語り、看護師のバーバラ・カンメラーは、

「あれは誰もが“まじか…なんてこった”と思った瞬間だった」

と付け加えています。

救急救命室の医師デイヴィッド・ハレランは、心臓マッサージをしていた患者がジョンだと気づいた瞬間を回想しています。

「突然、誰かが“ジョン・レノンに似てる”と言いだした。

僕は“違う、そんなはずはない”と言った。

その後、彼の服を調べ始めると財布があった。

ショーンとヨーコと一緒に写っている写真があって、

背景には白いロールスロイスがあった。

“うわぁ、ジョン・レノンだ”と気づいたんだ」

ハレランによると、彼のチームはジョンの死を宣告するまでの

約45分間、「何らかの命の灯火」を見つけたいと願いながら

ジョンの治療にあたったという。

カンメラーは、ジョンの死の直後の瞬間について、

「ピンが1本落ちても聞こえるほど、静まり返っていた」

と振り返っています。

 

2023/12/09 amass

 

 

ジョン・レノン、殺害された銃から発せられた銃弾が
オークションに出品されることに

2024.2.26 NME JAPAN