エルビス・コステロ:僕は当然ビートルズ・ファンだったし、
ファン・クラブの会員でもあったけど、
僕はポール・マッカートニーとの仕事を頼まれるような
やつじゃないし、'87年の話だから、僕は33歳か34歳かな、
それまで学んできたことを全部使って臨まないといけなかった。
憧れのスターに会えて感激しているガキとしてではなくてね。
レコードが郵便で送られて来た時のことはよく覚えている。
作曲者としてポールと僕の名前が並んでいるレーベルを
信じられない思いで見つめていた。
ポール:二人ともアコースティック・ギターを抱えて座り、
彼は右利きで僕が左利きだったから、
鏡を見るような感じだった。
ジョンとの仕事を思い出させるようなことがたくさんあったよ。
エルビス・コステロ:ボーカルのレコーディングの際は、
必然的にポールがハーモニーの上のパート、
僕が下のパートを担当することになった。
そのせいで何曲かは、いかにも「レノン・マッカートニーの曲」っぽくしようとしている感じになった。
ポール:ぼくらが二人で書いた曲は、僕のいつもの曲とは
ちょっと違っていて、言葉数がいくぶん多めだった。彼はぼくのいい引き立て役だし、ぼくもかなりいい引き立て役だと思う。
ただ、時には彼(コステロ)がコードを使いすぎることもあった。
エルビス・コステロ:ポールは「ビートルズのときに使っていた音楽的言語」を使うことを絶対に避けようとしていた。
だが、ポールがビートルズ時代の初期に使っていたヘフナーの
バイオリン・ベースを引っ張り出してくるように説得した。
当時ポールが使っていた最新のベースのサウンドが好きでないと、ポールに告げた。
エルビス・コステロ:ポールと仕事をして一つ分かったのは、
彼はいったんメロディーが決まったら絶対に変えようとはしないということだ。歌詞の韻をそろえるために、メロディーの
リズムを変えたいのだといくら言っても聞いてはくれない。
そのメロディー優先の感覚は、すぐ後に仕事をした
バート・バカラックに近いものがあると思う。
( 2022/6/22 OVO オーヴォ
「エルビス・コステロ自伝」(亜紀書房)
「ポール・マッカートニー告白」(DU BOOKS) )