― 1984年に 『プレイボーイ』 誌のインタヴューの中で、
ポールは 「Back In The U.S.S.R.」 についてこんな風に語っている。
「あれは同時に、分断している相手に手を差し伸べるという
意味もあったんだよ。僕は今もそういう意識を持ち続けている。
だってクレムリンにいる指導者たちは僕らのことをよく思って
なくても、あの国には僕らを好きな人たちが大勢いてくれるわけだからね。キッズはみんな僕らを好きでいてくれる。それは僕にとっても、未来の人類にとっても、とても大切なことなんだ。」
― 「Back In The U.S.S.R.」 は当然のことながら、鉄のカーテンの向こう(旧東側諸国)でオープンリールのテープのコピーにこっそりと耳を傾けていたファンの間ではとりわけお気に入りのナンバーとなった。
2003年、ポールがようやくロシアの首都モスクワの都心部にある赤の広場でこの曲をライヴで披露した時の、会場を埋めたファンたちの顔に浮かんだ歓喜の表情は、かつて両国の関係に霜が降りるほど冷え切っていた時代が、どれほど遠くなったかを示すものだった。
この夜、とりわけ大きな喝采が湧き起こったのは、
「Moscow girls make me sing and shout / モスクワの女の子たちは僕を歌わせシャウトさせる」の一節だった。
( 1984年『プレイボーイ』誌のインタヴュー /
Published on 12月 23, 2021 udiscovermusic.jp )