ポール・マッカートニー 語録

ポール・マッカートニー 語録

Paul McCartney In His Own Words

当ブログは公表された著作物の出所を明示した上で、
規定に従って正当な範囲内で引用しています。

 1980年12月8日に射殺されたジョン・レノン。

その少し前から、彼は自身の死を強く意識するような発言を

周囲に漏らしていたという。繰り返し見る奇妙な夢、

息子に託そうとしたカセットテープ……。

ジョンは死の直前、何を考え、そして何を見ていたのか?

※本稿は、ノンフィクション作家の青木冨貴子

『ジョン・レノン 運命をたどる ヒーローはなぜ撃たれたのか』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。

 

 

ジョン・レノンが死の直前に繰り返し見ていた奇妙な夢

 

 1980年7月末になるとジョン・レノンは作曲活動をすべて終え

、いよいよレコーディングに備えてニューヨークへ戻ることに

した。バミューダで過ごす最後の晩、ジョンは2本のカセット

テープをフレデリック・ラインハルト・シーマン

(編集部注/ジョンのアシスタント)に全部聞かせると、

ニューヨークへ戻ったらコピーを録って、

息子のジュリアンにも送ってくれないか、と頼んできた。

 

 ジョンは息子のことを考えると悲しげにもの思いに沈むのが

常だった。これから先、自分は父親として長男とまともな関係を持てないかも知れないと懸念し、もし自分の身に何か起こったら

、ジュリアンに自分の日記を渡してくれないかと

シーマンに頼んできた。

 

 続けて、その後を予測するような言葉を放った。

 

《「自分が非業の死をとげる“奇妙な”夢を、

このところ繰りかえし見るんだ」》(『ジョン・レノン最後の日々』フレデリック・ラインハルト・シーマン著/p307)

 

《「今まで、ぼくは凶暴性を孕んだ人生を送ってきた――

思想的にも、行動的にもね。だから、非業の死をとげるように、きっと運命づけられているんだろうな」と語る。

彼はときどき自分が撃たれるところを想像することがあるという》(前掲書p307-308)

 

 運命の日、12月8日は月曜日だった。

その朝、ジョンはいつものようにキッチンで朝食をとり、

息子のショーンと子供用テレビ番組「セサミ・ストリート」を

一緒に見てから散髪に出た。

その日に予定されていた女流写真家アニー・リーボヴィッツに

よる「ローリング・ストーン」誌表紙撮影に備えるためだった。

 

 このロックンロール雑誌とジョンは長い付き合いだった。

創刊第1号の表紙を飾ったのがリチャード・レスター監督の

映画に出演したジョン・レノンだった。

 

 1968年11月23日号では「トゥー・ヴァージンズ」と

同じ時に撮ったジョンとヨーコの全裸写真が表紙を飾った。

アルバムとは違う後ろ向きに立って振り返る写真だったが、

それでも大きな話題を呼んだ。

 

 その日、ダコタの7階アパートを訪ねてきたリーボヴィッツは、2人の自宅で撮影したいと言ってきた。

自宅撮影を許可することは稀だったが2人が快く受け入れたのは、売れ行きが思ったほど伸びない新アルバムの宣伝に

「ローリング・ストーン」誌の表紙は

良いパブリシティになるからである。

 

 

運命の12月8日に撮られた2つの写真

 

 リーボヴィッツは以前の全裸写真を思い描き、

2人を撮るなら裸で絡み合う写真を撮りたいと思ったのだろう。「ダブル・ファンタジー」のアルバムジャケットは

篠山紀信撮影による歳月を感じさせる円熟キスだったが、

これとは全く違うインパクトの強い肉感的で官能的な写真を

意識したにちがいない。

 

 ジョンは承知したが、ヨーコは首を横にふった。

それならヨーコは黒いシャツのまま、

ジョンは素っ裸で撮影しようということになり、

ジョンが裸でヨーコの小さな体にのしかかった。

後頭部に両手をまわしたヨーコは、まるで胎児のように

体を丸めてしがみつくジョンの存在など気にかけない様子で、

宙を見たまま瞑想しているようだった。

 

 リーボヴィッツがポラロイドを見せると、

 

「凄い!これがぼくたちの真実の関係だ」

 

 ジョンが興奮気味に言った。

 

 撮影が終わると、ジョンとヨーコは1階へ移動し

「オフィス・ワン」で待ち構えていたサンフランシスコの

ラジオ局RKOのディレクター、デイブ・ショリンの

インタビューに答えた。2人は沈黙していた5年間のこと、

新アルバムのことなど熱を込めて語り、

録音スタジオへ行く時間になってもまだ話していた。

 

 午後5時に来るはずの迎えの車が遅れたので、

ショリンが用意していた車で2人を送り届けようと提案した。

ダコタ・ハウスの前にはファンが集まって、WBAIラジオ局が

放送する「ジョンとヨーコのバラード」を大音響で流し、

手拍子をとったり歌ったりしていた。

 

 そこにジョンがダコタの中から出てきた。歩道を埋めるファンの間から眼鏡をかけて太った若者がジョンに近づいてきた。

「ダブル・ファンタジー」のアルバムを差し出す。

 

 ジョンは眼鏡越しにこの青年を一べつして微笑んだ。

目の前に差し出されたアルバムを受け取ると、

「John Lennon」と書き、「1980年12月」と入れた。

 

 ジョンは再び微笑みかけ、サインの入ったアルバムを手渡した

「これで」とジョンは言って

「もういいね?(Is that all you want?)」

 

 青年は「ありがとう、どうもありがとう、ジョン」

と素直にお礼を言った。

この瞬間、アマチュアカメラマンのポール・ゴレシュは

ジョンが屈み込んでサインしているスナップ写真を撮っていた。

 

 

5発の銃声が鳴り響いた

 

 ゴレシュはずっとジョンとヨーコにまとわりついている

要注意人物だった。

1年程前、ダコタの中に入り込んであちこちをうろつきまわり、

ジョンのベッドルームまで忍び込んだこともあった。

 

 前日もゴレシュはダコタの前で様子を窺っている時、

この太った青年と顔を合わせていた。彼はハワイから来たと言い

、ジョン・レノンのサインをもらおうとしていると語った。

その口調に訛りがあったので、

ハワイから来た人間に南部訛りがあるなんて初耳だと思った。

ニューヨークではどこに泊まっているのか、

と訊くと答えようともせず、やけに突っかかってきた。

 

 その青年に翌日また顔を合わせると、

こんどは前日の非礼を謝ってきた。

そこでジョンが出てきた時、

呆然としている青年を小突いてサインを手に入れられるよう

ジョンに近づけたのはゴレシュだった。

 

 ジョンがダコタ前から消えると、

南部訛りの青年はジョンと一緒の写真が欲しいと頼んできたが、ゴレシュはマンハッタンから川向こうのニュージャージーに

住んでいるので、焼き付けた写真をその日中に渡すことは

不可能だと返事した。

 

 日が沈み午後8時頃になると、

ゴレシュはニュージャージーに帰ると言い出した。

2人がもし夕食に出かけたら2時間くらいで帰るだろうが、

このぶんだとスタジオへ行った様子なので

夜半過ぎまでまず戻ることはないだろうと判断した。

 

 南部訛りの青年は、もう少し居たらどうかと言って

ゴレシュを引き止めようとした。

しかし、アマチュアカメラマンはその言葉も聞かず、

駐車していた車に乗って消えていった。

1人残されたその青年は夜が更けてきても諦めず、

ダコタ・ハウス前の舗道に立って2人の帰りを待っていた。

 

 夜11時近くになると、信号が変わって白いリムジンが西72番

通りに左折してきた。ダコタ正面の舗道のところに止まった。

 

 リムジンの後ろのドアが開いてヨーコが最初に出てきた。

それからジョン・レノンがリムジンから降りてきた。

何本かのカセット・テープを手にして、青年の前を通り過ぎ、

足早に天井の高いアーチ状入り口の中を歩いて行った。

その時、突然、5発の銃声が立て続けに響いた。

 

2026年2月26日 DIAMOND online )元ネタに写真あり

AI にポール・マッカートニーが
『The Long And Winding Road』
について語っているか訊いてみました、するとーーー

AIアシスタント

ポールは「The Long And Winding Road」について語っています

。特に、この曲がアルバム『レット・イット・ビー』に収録

される際のアレンジに関して、強い意見を表明していました。

 

🎙️ ポールの発言

ポールは、フィル・スペクターが自身の知らないうちに

オーケストラと女性コーラスをオーバーダブしたことに

激しく嫌悪しました。このアレンジは、彼が想定していた

シンプルなピアノバラードとは全く異なっていたためです。

 

🎼 アレンジに関する意見

不本意なオーケストレーション:
・フィル・スペクターによるオーケストラ付加に

怒りを感じていた。
・自身の意図とは異なる豪華な装飾を嫌っていた。
・シンプルなピアノバラードを望んでいた。
ビートルズ解散の要因の一つ:
・このオーバーダブが、

ビートルズ解散に伴う訴訟理由の一つであった。


🎶 歌詞と曲の解釈
哀愁のある曲
・「哀愁のある曲」「自分にはどうしても

手の届かないものについて歌った曲」と語る。
・「決して辿り着けない扉、そして延々と続く道」を表現した曲。
ジョン・レノンへの呼びかけ説
・ビートルズ解散時のジョンの心を歌ったもの、

という解釈も存在する。

 

🎸 その後の演奏

ポールはその後もライブでこの曲を演奏し続けており、その際

にはオリジナルの意図に近い形で演奏されることが多いです。


👉️ 「The Long And Winding Road」の制作過程における

他のメンバーの関わりについて説明しましょうか?

 

「The Long And Winding Road」は

ポール・マッカートニーによって書かれた楽曲であり、

制作過程における他のメンバーの関わりは以下の通りです。

 

🎹 初期レコーディング(1969年1月)

時期 1969年1月26日にアップル・スタジオで

レコーディングが開始されました。

コンセプト シンプルなアレンジで、オーバーダビングを

一切行わない「ゲット・バック」セッションの一環でした。

ジョン・レノン ポールがピアノを弾く代わりに、

レノンがベースを担当しました。

しかし、レコーディング中に演奏ミスを何度かしています。

ジョージ・ハリスン プロデューサーのジョージ・マーティンの

アドバイスにより、エレキギターではなく

アコースティックギターを演奏することを勧められました。

 

🎻 後期のオーバーダビング(1970年4月)

時期 1970年4月1日がビートルズ名義で行われた

最後のレコーディングセッションでした。

リンゴ・スター このセッションに参加し、

ドラムを演奏しました。

プロデューサー フィル・スペクターがプロデュースを担当し、

オーケストラと合唱をオーバーダビングしました。

このアレンジはポールの意図に反しており、

ビートルズ解散の理由の一つとなりました。

参加者 リンゴのドラムに加え、

女性コーラス14名とオーケストラ36名が参加しました。

 

💽 その他の情報

リリース 1970年5月8日にアルバム『レット・イット・ビー』に

収録され、3日後にアメリカでシングルカットされました。

ポールの意向 ポールはフィル・スペクターによる

オーケストラアレンジに激怒し、

ソロ活動後にはバンド演奏をベースにした

シンプルなアレンジでこの曲をセルフカバーしています。

元々の提供計画 ポールは、この曲をトム・ジョーンズに

提供することを検討していた時期もありました。


👉️ 「The Long And Winding Road」がビートルズの解散に

どのように影響したかについて説明しましょうか?

 

 

AIアシスタント:

「The Long and Winding Road」は、

ビートルズ解散の直接的な原因の一つとされています。

 

🎼 オーケストラアレンジへの不満

ポール・マッカートニーは、プロデューサーの

フィル・スペクターが「The Long and Winding Road」に加えたオーケストラやコーラスアレンジに強い不満を抱きました。

 

当初のコンセプト: アルバム『ゲット・バック』の

レコーディングは、オーバーダビングを一切行わない

シンプルなバンドサウンドがコンセプトでした。

スペクターの再プロデュース: ジョン・レノンとマネージャーの

アラン・クレインからの依頼で、スペクターがアルバムを再プロデュースし、オーケストラと合唱をオーバーダビングしました。マッカートニーの怒り: このアレンジにマッカートニーは憤慨し、アルバム発売の中止を検討するほどでした。

 

💔 解散への影響

この曲のアレンジを巡る問題は、メンバー間の溝を深め、

解散を決定づける要因の一つとなりました。

 

訴訟検討: マッカートニーは、アップル・コアでの

共同経営解消を求める訴訟において、

このオーバーダビングを理由の一つに挙げました。

最終的な承認: スペクターが完成版をメンバーに送った際、

マッカートニーは不本意ながらも

総意を受け入れざるを得ませんでした。

解散発表: この出来事から約1週間後に、マッカートニーが

ビートルズ脱退の意向を発表し、バンドは事実上解散しました。

 

元々この曲自体は解散を歌ったものではなく、

ホワイトアルバムのセッション中に制作された希望に満ちた曲

であり、当時のポールが感じていた孤独や別れを

暗示するような内容だったと言われています。

 

 

 

 

 

 

AI にポール・マッカートニーが

『Nineteen Hundred And Eighty Five』
について語っているか訊いてみました、するとーーー

AIアシスタント

はい、ポール・マッカートニーは自身の楽曲

「Nineteen Hundred And Eighty Five」について語っています。

 

💬 ポール・マッカートニーのコメント

ポールは「Nineteen Hundred And Eighty Five」について、未来の恋人たちを歌った普遍的なラブソングであると語っています。

 

・彼はこの曲について

「The Lyrics: 1956 To The Present」という書籍でコメント。

・多くの曲と同様に最初のフレーズが全てだったと述べている。

・「No one ever left alive in nineteen hundred and eighty-five.」という最初のフレーズは、数ヶ月間それだけであった。

・ジョージ・オーウェルの小説「1984年」を

読んでいた子供の頃の未来への思いと関係がある。

・1985年は曲が書かれた1973年から僅か12年後の未来だった。

・当時、1985年には誰も生き残っていないのではないかという

考えもあったことを示唆。

 

🎶 曲の概要

「Nineteen Hundred And Eighty Five」は、1973年にポール・マッカートニー&ウイングスが発表した楽曲です。

項目 詳細
リリース年 1973年
収録アルバム 『Band On The Run』
特徴 軽快なピアノで始まり、組曲のように展開
  後半にはオーケストラも加わる
  アルバムのタイトル曲がリプライズで登場

 

 

AI にポール・マッカートニーは
『Nineteen Hundred And Eighty Five』を
毎回ライブで演奏していますが理由は何でしょう。
と訊いてみました、するとーーー

AIアシスタント

「Nineteen Hundred And Eighty Five」がポール・マッカートニーのライブで毎回演奏されるという確かな情報はありません。

しかし、この楽曲が

彼のキャリアにおいて重要な意味を持つ曲である事は確かです。

 

🎵 「Nineteen Hundred And Eighty Five」の重要性

「Nineteen Hundred And Eighty Five」は、

ポール・マッカートニー&ウイングスが1973年に発表した楽曲で、アルバム『バンド・オン・ザ・ラン』に収録されています。

 

アルバムの評価: 『バンド・オン・ザ・ラン』は、

ジョン・レノンが「素晴らしい」と評し、

グラミー賞も受賞したウイングスの最高傑作とされています。

楽曲の構成: 軽快なピアノで始まり、組曲のように曲が展開し、

後半にはオーケストラも加わります。最後に「バンド・オン・ザ・ラン」の一節が現れる多彩なサウンドが特徴です。

制作背景: この曲を含むアルバムの制作は、メンバーの脱退や

現地のトラブルなど、多くの困難を乗り越えて行われました。

ポールはベース、ドラム、ギターを一人で担当し、

リンダとデニー・レインが彼を支えました。

歌詞のテーマ: ポールは、この曲を「広い意味で恋人たちの

未来を歌ったラヴ・ソング」とコメントしています。

 

🎤 ポール・マッカートニーのライブ活動について

ポールは、自身のキャリアを通じてライブを重視しており、

ビートルズの曲を演奏する際には、

自分がメインボーカルを担当した曲を選ぶ傾向があります。

しかし、近年では

ジョンがメインボーカルだった曲も演奏するようになりました。

 

🇯🇵 日本とポール・マッカートニー

ポール・マッカートニーは親日家として知られ、

頻繁に来日公演を行っています。1966年のビートルズとしての

初来日から良い印象を持ち続けているようです。

 

 

 

 10ccのグレアム・グールドマンは

MusicRadarの新しいインタビューの中で、ビートルズからの

大きな影響、10ccの曲作り、ビーチ・ボーイズから拝借したもの

、「I'm Not In Love」のオリジナル・ヴァージョンがもうない事、本当に良い曲、ソングライティングはギフトだということ、

AIについて語っています。

Q:ストロベリー・スタジオは「Strawberry Fields Forever」にちなんで名付けられたんですよね。

ビートルズは大きな影響を与えたのでしょうか?

「もちろんだよ。彼らがいなければ、

今こうしてあなたと話していないと思う。

どれだけ重要だったか、どれだけインスピレーションを

与えてくれたか、どれだけ “自分もああなりたい。やるんだ”

って思わせてくれたか、強調しきれないよ。

幸運にも才能と、そしておそらく情熱も持っていた僕達にとって、ビートルズは本当に大きなインスピレーションだった。

今でもそうだよ。彼らは基準を打ち立てた。

特に僕にとってはソングライティングだね。

どのアルバムを聴いても“なんだこれは!?”って思ってしまう。

あの時代をリアルタイムで体験できたのは

本当に幸運だったと思うよ。

ポールは弟のマイク・マクギアと一緒に

(ストロベリー・スタジオで)アルバムをレコーディングした。僕らは昼間に10ccの『Sheet Music』をレコーディングしていて、彼はその日の遅い時間や夕方早めにやって来ていた。

毎日ポールがスタジオに来るなんて、本当に最高だったし、

かなり一緒に過ごせたしね。

スタジオは僕らの機材と彼の機材でぎっしり詰まっていた。

最高の時間だったよ。

(後に)リンゴ(スター)とは何度かツアーをして、

本当に楽しかった。かなり現実離れした体験だったよ」

Q:10ccの楽曲は本当に多様で、アルバム全体だけでなく、

一つの曲の中ですら、キーや雰囲気、ムードが何度も変化します

。皆さんにとって本当にクリエイティブな時期だったのでは

ないでしょうか?

「僕らは、他のみんながやっていることをやりたくなかった。

少なくともある時期までは、僕らの間には本当に素晴らしい

ケミストリーがあって、それがうまく機能していた。

“心配しない”という、僕らなりの哲学があった。

スタジオでの自由度が高くて、

時間にも縛られていなかったことが大きかったと思う。

ただ自分たちのやりたいことをやれたんだ。

メンバーそれぞれがさまざまな影響を持ち寄ったし、

ビートルズとかスティーリー・ダンとか、共通の影響もあった。ビーチ・ボーイズにも、とても影響を受けた。

ハーモニーやメロディの構造、とりわけ僕は

ブライアン・ウィルソンがコードに対して、

あえて“あり得ない”ベース音を使うやり方が大好きでね。正直に言うと、ええと……一度や二度は“拝借”させてもらったよ。

僕らは自分たちが素晴らしいと思えないものはリリース

しなかった。気に入らないものは全部消去したんだ。

だから実は“I'm Not In Love”のオリジナル・ヴァージョンも

存在していたんだけど、僕らはそれを嫌ってね。

今にして思えば、惜しいことをしたよ。

コレクターズアイテムとしては最高だったろうからね!」

Q:曲の書き方は、年月を経て変わりましたか?

「歌詞の面では変わった。

今では書けない、あるいは書きたくないテーマもある。

僕はそれなりの年齢になった、幸せな既婚者で家族もいる。

だから“部屋の向こうで僕に色目を使ってるあの子”

みたいなことを書くのは、さすがにちょっと変だよね。

より個人的なことを書くようにもなったと思う。

妻との関係で言えば、彼女が初めての“ミューズ”なんだ。

(妻の)アリエラにインスパイアされて書いた曲が

かなりあって、それはとても素敵なことだよ。

題材は確かに変わったけど、音楽的な頭脳のほうは、

今だに完璧な一曲を探し求めている19歳のままだね

Q:本当に良い曲とは、どんな曲だと思いますか?

完成させたいと思わせる“何か”がないといけない。

自分が好きだと感じられて、心に響くこと。

まずは自分自身と繋がらないといけない。

書いていて“これは本当に良い”と思えた時、

聴く人にも同じように感じてほしい。

それがいつも目指していることだね。

聴いた人の心に届いて“まさに自分がうまく言葉にできなかった事を、代わりに表現してくれた”と言ってくれるような曲だね」

Q:早く書き上げた曲の方が良い曲になることが多いですか? 

それとも、じっくり取り組んで仕上げる事もありますか?

「僕の場合、10ccであれ、ソロであれ、

あるいはアンドリュー・ゴールド(Wax)との仕事であれ、

関わってきたベストな曲はだいたい早かった。まるで、

潜在意識のどこかにすでに存在しているものにアクセスして、

それがスッと出てくる感じ。自分が曲を作っているというより、曲を追いかけている、導かれているような感覚だね。

僕はよく共作をするんだけど、相手が何か弾いた瞬間に、

次に来るフレーズがすぐ頭の中で鳴っていることが多い。

それはちょっとした謎で、正直どうやって起きているのかは

知りたくもない! だからいつも言うんだよ。

ソングライティングは賢さで出来るものじゃない。

あれはギフトなんだと。持っているか、いないか。

それは教えられるものじゃないんだ」

Q:いま音楽の世界ではAIについて多く語られています。

その事について何か考えはありますか?

「僕は使った事はない。自分の頭に頼りたい。

もし使うとしたら、曲作りで行き詰まったときに

“この曲に合うブリッジのアイデアを出してくれ”と頼む位かな。カントリー&ウェスタンで1位になったAIの曲は聴いたよ。

変だと思ったのはヴォーカル。まったく息継ぎをしないんだ! 音楽に関して言えば、Spotifyが毎日のように

AIトラックで溢れている現状は本当に心配だね。ソングライターや、本物の才能を持った人達の仕事を奪ってしまうのでは? 

それに、その音楽だって、僕や何百万人ものソングライターや

アーティストがいなければ存在しなかったはずでしょう。

ひとつだけ変わらないものがあるという意味では、僕らは幸運だ

。それはライヴ音楽。ABBA Voyageショーはかなり近づいているとはいえね。それでも人は、何かが起こり得る“場”にいたいんだ

。たとえミスや失敗が起きても、

それをジョークに変えられるようなね。

演奏しながら観客の顔を見て、特定の曲でどんな表情をしているかを感じ取れるのは、本当に特権だよ。

失った恋を思い出しているのかもしれないし、その曲がきっかけで始まった関係を思い、喜びで涙しているのかもしれない。

ライヴ体験に勝るものはないよ。

人々をつなぎ、喜びを生み出すんだ」

 

2026/02/24 amass )元ネタに写真あり

AI にポール・マッカートニーが『The Fool On The Hill』
について語っているか訊いてみました、するとーーー

AIアシスタント

はい、ポールは『The Fool On The Hill』について語っています。

 

🎤 ポールのコメント概要

一般的には、周囲に理解されない賢い人物について歌った

とされています。

世間から「愚か者」と見なされながらも、

独自の視点や知恵を持つ人物への共感

込められていることがうかがえます。

 

 

ゲストさんのアイコン ポールが『The Fool On The Hill』で伝えたかった

深いメッセージについて、さらに詳しく見ていきましょうか?

AIアシスタント:

ポールが『The Fool On The Hill』を

通して伝えたかったメッセージは、

表面的なものに惑わされず、本質を見抜く視点の重要性です。

周囲に理解されない「孤高の賢者」、

世間から「愚か者」と見なされる人が、

実は深い洞察力を持つ賢者である、というものです。この曲は、社会的に孤立しながらも真実を見つめる人物を描いており、

その孤独な視点から人間関係や社会を鋭く考察しています。

ガリレオ・ガリレイの地動説にまつわる逸話との関連を

指摘する解釈もある。

 

🧠 歌詞に込められた深い意味

歌詞の特徴幻想的で温かいメロディに、

社会的な疎外をテーマにした歌詞が融合しています。

・「丘の上の愚か者は、夕日が沈むのを見ている」

という一節は、物理的に孤立していても、

他者とは異なる視点を持つことを示します。

・「彼の目は、世界が回っているのを見ている」という表現は、

周囲が気づかない変化や動きを彼が理解していることを

示唆しています。

 

楽曲構成

シンプルで穏やかなテンポで進行し、

ポールの透き通ったボーカルとストリングスのアレンジが

幻想的な雰囲気を醸し出しています。

 

🎵 楽曲の背景

『The Fool On The Hill』は、1967年にリリースされたビートルズのアルバム『Magical Mystery Tour』に収録されています。

この時期はサイケデリック文化の影響が強く、

ビートルズも実験的な音楽制作を行っていました。

 

 

ゲストさんのアイコン 『The Fool On The Hill』の歌詞は ポール・マッカートニーの作詞能力を 世間に知らしめたのではないでしょうか。

AIアシスタント:

はい、『The Fool On The Hill』はポール・マッカートニーの

作詞能力を世間に知らしめた曲と言えるでしょう。

ジョン・レノンもこの曲を「良い歌詞だ。彼が完璧な曲を作る

能力を持っているという証さ」と称賛しています。

 

 

 

 

AI にポール・マッカートニーが『Silly Love Songs』
について語っているか訊いてみました、するとーーー

AIアシスタント

はい、ポールは「Silly Love Songs」について語っています。

この曲は、彼が自身の音楽が「くだらないラブソングばかりだ」という批判に反論するために書かれたものです。

 

🎤 制作背景と意図

 

批判への反論 ポールは、ジョン・レノンや批評家から「軽い」「甘すぎる」と評されたことに対し、「Silly Love Songs」を

「アンサーソング」として制作しました。

彼は、ラブソングを書くことの重要性を訴え、

愛は非常に重要なテーマであると説明しています。

 

愛についての視点 ポールは、「多くの人々がくだらないラブソングで世界を満たしたいと考えている。それのどこが悪いのか?」と問いかけています。彼は、愛は人間だけでなく、動物や生き物

にも通じる普遍的なものであり、その重要性を強調しています。

 

ポッドキャストでの言及 ポッドキャストシリーズ

「McCartney: A Life in Lyrics」の最新エピソードで、

「Silly Love Songs」の制作背景が語られています。

 

批判への応答:世の中がラブソングに飽きているという意見に

対し、「そんなことはない、バカげたラブソングで世界を満たし

たい人もいる、それのどこが悪いんだ?」と問いかけています。

 

愛の重要性:愛は非常に重要なテーマであり、

それについて肯定的な曲を書くことは

「くだらない」という批判を凌駕すると述べています。

 

信念の表れ:彼は、世界は愛に満たされるべきだと考えており、この曲は彼の曲作りのポリシーと誇りを示すものです。

『Silly Love Songs』は、

1976年にビルボード・ホット100で1位を獲得し、

年間ランキングでも1位に輝く大ヒットとなりました。

 

音楽的な工夫 曲はシンプルながらもキャッチーなメロディが

特徴で、特に間奏でポール、リンダ、デニーが

別々のメロディを歌う対位法コーラスは高く評価されています。

 

 

ゲストさんのアイコン 対位法コーラスの魅力は?

AIアシスタント:

対位法コーラスには、複数の独立したメロディが同時に響き合い

、豊かなハーモニーを生み出す魅力があります。

 

🎻 対位法コーラスの主な魅力

 

声部の独立性: 各パートが異なるメロディを歌いながらも、

全体として調和した音楽が生まれるため、

聴く人に深みと複雑な美しさを与えます。

音楽の厚み: 楽器の数を増やさずに、複数のメロディラインを

重ねることで、楽曲に厚みと広がりがもたらされます。

表現の多様性: パートごとの独立した動きにより、不安感や

浮遊感、安堵感など、さまざまな感情表現が可能になります。

知的探求: 各メロディがどのように絡み合い、全体として響き

合うかを分析することは、知的で興味深い音楽体験となります。

協調性の美: 複数の歌い手がそれぞれの役割を果たすことで、

一体感のある美しい響きが生まれるため、

合唱においては協調性が非常に重要です。

 

対位法は、特にクラシック音楽において重要な技法ですが、

ポール・マッカートニーの「Silly Love Songs」のように、

ポピュラー音楽でも効果的に用いられ、

楽曲に奥行きと魅力を加えています。

 

 

ゲストさんのアイコン 『Silly Love Songs』の対位法コーラスは

 誰のどういったアイデアで生まれたものですか?

AIアシスタント:

『Silly Love Songs』の対位法コーラスは、

ポール・マッカートニーのアイデアから生まれました

この曲の対位法コーラスは、異なるメロディを同時に歌うことで豊かな音世界を構築し、ポールの「天才メロディ・メイカー」

としての面目躍如といえるでしょう。

 

🎹 対位法コーラスの詳細

ポールのパート:「ア~イラ~ヴュ~…」と上昇するメロディ。

リンダのパート:「ア~イキャネクスプレイ~ンナフィリン…」

と上昇下降するメロディ。

デニーのパート:「ハ~ゥキャナテ~ル…」

とシンプルながら普遍的なメロディ。

 

 

ゲストさんのアイコン 『Silly Love Songs』は1976年以降 

ライブでは取り上げられていませんが、 

対位法コーラスを歌いながら別のベースフレーズを

プレイするのは とても高度な技術なのでしょうね。

AIアシスタント:

確かに1976年のライブ映像が確認されていますが、

それ以降のライブでの演奏については明確な記録が少ない状況

です。この曲のベースラインと対位法コーラスの複雑さは、

高い演奏技術を要すると考えられます。

 

 

AI にポール・マッカートニーが『Penny Lane』
について語っているか訊いてみました、するとーーー

AIアシスタント

はい、ポールは「Penny Lane」について語っています

彼はこの曲が、自身の幼少期の記憶と

リヴァプールの街並みにインスパイアされたものであること、

また歌詞にジョークを込めたことなどを明かしています。

 

🎤 語られた内容

 

「フィンガー・パイ」というジョーク
・1967年のインタビューで「フィンガー・パイ」という歌詞は、リヴァプールの若者向けのちょっとしたジョークだと

語っています。これは、女性が自分達以外には言わないような、

少し下品な冗談でした。


幼少期の思い出への郷愁
・「ペニー・レインは僕の耳の中に、そして目の中にある」

という歌詞は、幼少期を過ごした場所への郷愁を表しています。
・彼の言葉として、「僕たちの形成期の多くは、

あの辺りを歩き回って過ごしたんだ」と語られています。


実在する場所の描写
・歌詞に登場する床屋や銀行家、消防士などは、

ペニー・レイン通りの風景やそこに生きる人々を描写しています


曲の制作背景
・ポール・マッカートニーは

「Penny Lane」の作詞・作曲を主導しました。
・ジョンの「Strawberry Fields Forever」に

対抗して作られたとも言われています。


音楽的なこだわり
・ブラス・セクションやピアノを効果的に使ったアレンジには、彼の強いビジョンが反映されています。
・特徴的なトランペットのソロは、ポールがバッハの

ブランデンブルク協奏曲から影響を受けて加えたものです。

 

 

AI に『Penny Lane』はイントロ無しで
いきなり曲が始まりますが
ポール・マッカートニーのどんなこだわりがありますか?
と訊いてみました、するとーーー

AIアシスタント

本日(2026年2月17日)時点の情報では、『Penny Lane』の

イントロが意図的に省略されていることについて、ポール自身が具体的なこだわりを公言したという情報は見当たりません

しかし、彼の音楽的特徴や制作への姿勢から推測できる点は

あります。

 

多様な才能と実験精神:ポール・マッカートニーは、

ベースだけでなくピアノ、ギター、ドラムなども演奏できる

マルチプレイヤーです。彼は同じことを繰り返さないことを

重視し、常に新しい音楽的表現を追求する傾向があります。

このため、型にはまらない曲の始まり方も

彼の実験精神の表れである可能性があります。

 

周囲の才能を引き出す力:ポール・マッカートニーは、

他のメンバーの良さを引き出しつつ、

自身のビジョンも実現するバランス感覚に長けていました。

曲の構成においても、既成概念にとらわれずに、

その曲にとって最も効果的な表現を追求したと考えられます。

 

直感的な作曲:ポール・マッカートニーとジョン・レノンは、

音楽的な知識を学ぶよりも、好きで曲作りを続けていました。

そのため、曲の始まり方も、

理屈よりも直感や閃きが重視されたのかもしれません。

 

 

AI に『Penny Lane』を初めてライブで聴いた時に
曲の躍動感にとても驚かされました。
この曲をライブで再現する時
ポール・マッカートニーのどんなこだわりがありますか?
と訊いてみました、するとーーー

AIアシスタント

ポールは「Penny Lane」をライブで披露する際、

原曲の魅力を再現するために様々なこだわりを持っています。

特に、この曲を象徴するポップでクリアなサウンドノスタル

ジックな雰囲気をライブパフォーマンスでも大切にしています。

 

🎤 ライブでの再現への工夫

ポールは、ライブで「Penny Lane」を演奏する際に、

聴衆が曲の持つ躍動感や独創性を体験できるよう、

以下のような点にこだわっていると思われます。

 

独特な構造の維持

変拍子の自然な表現: 「Penny Lane」は、4分の4拍子と

4分の3拍子が1小節ごとに変わる変拍子の曲ですが、

それを自然に聴かせることで、

曲の軽快さや独特なリズム感を失わないようにしています。

 

楽曲の背景を重視

リバプールの思い出: ジョン・レノンとポール自身の少年時代を

歌った曲であるため、そのリバプールの情景や思い出

聴衆に伝わるように演奏しています。

遊び心を表現: 歌詞に散りばめられたポールの遊び心を、

ライブパフォーマンスにおいても表現することで、

曲の世界観を忠実に再現しようとしています。

 

サウンドへのこだわり

クリアなサウンド: ノスタルジックでメロディアス、そして

クリアなサウンドをライブでも再現することに注力しています。

 

🎸 ライブ活動

ポール・マッカートニーは、1993年にはライブアルバム

『Paul Is Live』をリリースしており、このアルバムには

「Penny Lane」のライブバージョンも収録されています。

また、2017年には来日公演を東京ドームで開催するなど、

現在も精力的にライブ活動を行っています。

2026年にも伝説的なライブが楽しめる機会が予定されています。

 

 

 ビートルズ解散後のポール・マッカートニーの

軌跡を描く最新公式ドキュメンタリー映画

『ポール・マッカートニー:マン・オン・ザ・ラン』

2/19(木)全世界同日劇場特別上映が行われた。当日は本編に加え

、劇場限定の特典としてポール・マッカートニーと

モーガン・ネヴィル監督の特別対談映像が併映され、

上映後、ポール・マッカートニーの大ファンとしても知られる

和田唱さんと、ビートルズ研究家として多数の書籍を執筆、

同作の字幕監修も担当された藤本国彦さんによる

対談トークイベントが開催された。

 

 

初めて見た映像や気づきなど

 

藤本:ご覧になっていかがでしたか?
和田:今まで観てきたポールの映像作品の中でいちばん面白い、さすが公式ですね。
初めて観た映像は「カンボジア救済コンサート」に

ロボットが登場していた所ですかね。

1979年頃のウイングスのツアーは極端に映像が少なくて、この

くらいしかなかったですけれど、ロボットは初めて知りました。
藤本:その「カンボジア救済~」の最終日が最悪で、ウイングスとしてのライヴが失敗に終わったというのは初めて知りましたね

。その後日本に来て捕まらなければツアーが

あったんですけれどね。
和田:なんで取ってつけたように日本のコンサートだけが

決まっていたんでしょうね。これまで、ビートルズが解散して、リンダと一緒に音楽を始めて、ウイングスが全米制覇をするまでというのは割と語られてきていたんですけど、下降していく

ところってほとんどスポットが当たってなかったので、

79年、80年近辺の話は興味深かったです。

この映画はポールのダメダメなところも見せていますよね、

「メアリーの小羊」のPVとか赤い鼻を付けたりしてダサいし(笑)

、そういうカッコ悪いところも曝け出してるドキュメンタリー

だったのでよかったです。
藤本:普通ポールってカッコいいところを見せる人ですよね。
和田:そう、それが見えたのがミック・ジャガーのコメントを

たった2箇所でも突っ込んだところ。もっとミュージシャンとしてのポールについて語ってくれてるのかなって期待したんですけど、どうでもいいような当たり障りのないコメントで。それでも

コメント陣の中にミックを入れたかったんでしょう(笑)。

やっぱりポールは、ストーンズよりビートルズの方が格上だって気持ちが常にありますよね(笑)。
藤本:それと、ポールはやっぱりジョン・レノンに対する意識が常にある──というのが改めてわかりましたね。
和田:そうですよね。ジョンも──ですよね。

そこがいいんでよす。(客席よりうなずき)
藤本:やっぱりジョンは40歳で死んじゃって、俺は長生きして、その後色んな思いをしているけど──

というのもやっぱりポール側にはあって。
和田:このインタビューの中でグッときたのは断トツで

ショーンくんですね。ジョンの息子であるショーンがそこまで

ポールを大事に思っている──というのが泣けてくるんです。
藤本:実はジョンは『マッカートニー』を

擦り切れるくらい聴いていたというエピソードがありましたね。
和田:いい話ですよね。
藤本:それと、リンダ・マッカートニー。オノ・ヨーコとは

違うけど、同じような堂々としたところがあって。
和田:見た目とかの問題というか、インパクトでヨーコとリンダって別物に見られてますけど、基本的に同じだと思ってます。
藤本:リンダの方が強いかも。
和田:ヨーコさんはカメラの前であまりおちゃらけないんですよね、真顔か、ちょっと笑うくらい。でもリンダはポールと

同じくらいアピールが強くてカメラの前でも絶対ふざける。

ポールの隣には必ずいて、やることなすことポールと同じ

テンション。そこがヨーコさんと違う。でも本質は全く同じで、ポールもめちゃめちゃ強い奥さんを隣に置いたわけですよ。

今思うと、あそこまで堂々とした人じゃないと、ビートルズが

解散して弱っているポールは支えられなかったと思います。

ま、それはジョンも一緒。ジョンとポールって結局似ていて、

奥さんはぶっ飛んだタイプですね(笑)。

 

 

浮き彫りになったポールとジョンの関係

藤本:あと、映画の中で今のポールが、ジョンと愛し合っていたって振り返ってますけれど、それは性別を超えた愛情というか。
和田:特にジョンは、ビートルズ時代の写真を見返すと、ジョンのポールを見る目が、ホントに好きなんだなって目をしている。なんか普通の好きというものを越えた特別な感情を感じます。

ポールにしてみれば憧れのお兄ちゃん、

尊敬しているジョンが自分のことを好きでいてくれる──

というのはすごい自信になったと思います。
藤本めったに褒めないジョンに

「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」を褒められたって、

今でもその話をするじゃないですか。
和田:ジョンの世間からの見られ方と言うのは、

ポールは羨ましかった、自分にないものをジョンは持ってる──それはずっと意識していたと思います。
藤本なのにジョンはヨーコに行っちゃったんだという思いが。
和田:あると思います。

あんなに僕のことを好きでいてくれたのにって。
藤本:だから、映画でジョンも言ってますけど、

実際、離婚に近い。
和田:本当にそういう感情があったと思います。
藤本:ポールとしては捨てられた側になっちゃうから、

どうしよう、成長しなきゃいけないって苦悩がありますよね。
和田:冷静に考えて、一本のマイクにあんなに顔を近づけて歌うっていうのは、やっぱり特別な感情がないと。

僕はバンドのメンバーとはできないですもん(笑)。

でも、マイクを挟んで左利きと右利きでベースとギターが

左右に広がるっていうあのヴィジュアルの完璧さ──

あの二人は千年に一回あるかないかの奇跡的な出会いだって

ショーンも言ってましたね。

 

 

どの時期のウイングスが好きか

藤本:和田さんはウイングスのどの時期が一番好きですか?
和田:やっぱり1975-76年のオーヴァー・アメリカ・ツアーの

時代ですね。ポールの全キャリアで一番素敵だな、カッコいいなって思う映像はベースを弾きながら「心のラヴ・ソング」を

歌ってる姿。特に輝いていると思うんですよ。

だからあの時代が一番好きかな。次に『ロンドン・タウン』を

飛ばして『バック・トゥ・ジ・エッグ』の頃、

ポールの髪もちょっと短めになって一回りして男らしくて。
藤本:僕が好きなのは『ワイルド・ライフ』と

『バック・トゥ・ジ・エッグ』なんですよ。
和田:最初と最後じゃないですか。

なんか分かります、その気持ち。
藤本:これからバンドが下積みから大きくなって登っていくと

いうのが面白くて、頂点に行くとあとは下がるだけ。

でも『バック・トゥ・ジ・エッグ』は──。
和田:なんか下がってるなりにいいアルバム。

僕もかなり好きです。
藤本:ですよね。でもそのウイングスは

デニーにとっては “別のバンド” だったんですよね。
和田:ポールのウイングスに対する評価って昔から低いんです。あんなに成功して「夢の旅人」はそれまでのビートルズの

「シー・ラヴズ・ユー」の売り上げ記録を破ったくらいなのに、“ウイングスはあれで本当に良かったのかな、

ビートルズほど上手くいかなかったんだ” って常に言ってる。

だから当時のロック・ファンや評論家の評価ってすごい罪が

あると思います。

ポールは明るいけど傷ついてメッチャ根に持っている気がする。あとやっぱり天然で、だから映画の中でポールの甥っ子が

一番好きなのは『ラム』だって言うんですけど、

ポールの中では『ラム』もウイングスだと思ってるんですよ。

ドラムはデニー・セイウェルだしリンダもいるし、

『ワイルド・ライフ』と地続きだから、僕も『ラム』は

ウイングスにしちゃってもいいのかな──と思っちゃいました。
藤本:ポールの中ではなんとかバンドは平等にって

意識があったようですが。
和田:それは絶対無理ですね、写真写りからして違うし。
藤本:それとメンバーが固定給だったというのも。
和田:びっくりしましたね。でもあの頃のウイングスって

僕らが思ってたよりも全てが手作りで、ポールの体力も凄い。

子育てして抱っこして車を運転してツアーに行くなんて──

基礎体力があるから今でもステージに立ってる。

それにしても何匹動物を飼ってたんでしょうね、犬やら羊やら、スタジオにロバがいたり、僕らが思うよりはるかに

動物がいたんだなというのも発見でした(笑)。

やっぱりポールもリンダも優しい人なんでしょうね。
藤本:ポールを見てると明るいし、前に進んで行くじゃ

ないですか。明るくて天然だから元気をもらうんですよ。
和田:特にリンダと一緒になってから

ポールはおちゃらけキャラになった感じがします(笑)。
藤本:ま、根本は変わらないですね(笑)。

 

 

日本での逮捕と、変わらぬ明るさ

藤本:あと日本で捕まった話が予想以上に出てきましたね。
和田:独房に9日間入るってどんな精神状態になるんだろう?

って思いました。
藤本:3日目に頭痛がしたって言ってましたね。弁護団は

日本に入国していないんだから日本の法律では裁かれない、

ということで押し切ろうとしたみたいです。
和田:でも、日本は大麻には厳しいから絶対に持っていくなって散々言われたのに、なんでトランクに入れてたんでしょうね?
藤本:開けられないと思ったんじゃないですか、

ビートルズの時はスルーされたから。
和田:やっぱ天然ですね(笑)。あと、9日間も入ったら憔悴しきった状態で出てくると思うのに、すごい元気がよかった。(笑)。肌つやも良くて。だからそういうところも

根本が強いんだと思います。タフなんですよ。
藤本:しかも戻ってから10日目にはレコーディングして。
和田精神力も強いですね。
藤本“演奏中毒” っていうのもいまだに変わりませんからね。
和田:好きなんでしょうね。
藤本:あと、何か印象に残ったところとかありますか?
和田:クリッシー・ハインドが言っていた

 “ポールの曲は時を超える”。

タイムレス、まさにそれだなって思います。

当時は流行りと逆行することをやったりして酷評されたけど、

何十年かして結局勝っているのはポールなんですよね。

(客席より大きな拍手)
藤本:本当にそうですね。

やっぱりずっと続けて信念を持ってやってきているし、

NOって言われるとヤル気になったりして。

ポールは負けん気が強い所も本当にいいですよね。
和田:それとやっぱり明るさ。

明るいって大事なんだなと思いましたね。
藤本へこたれないポール。
和田才能+明るさ、ですね。

天才って、大体 “内” に入ってしまう人が多いんですけれど、

ポールは珍しいタイプなんですよね。

そこが生命力にも繋がっているのかもしれないですね。
藤本:まさにですね。というところで—。
和田:皆さん、楽しんでいただけたでしょうか?

(場内大拍手)

 

2026.02.20 MUSIC LIFE CLUB )元ネタに写真あり

 ポール・マッカートニーの新作ドキュメンタリー映画
『ポール・マッカートニー:マン・オン・ザ・ラン』の
上映イベントが現地時間2月18日(水)にロンドンで開催された。

 

ネヴィル監督とともに登壇したマッカートニーは、

「彼はすばらしい映画を撮ってくれた。本当にありがとう」

と監督に感謝を伝えた。

 

上映後のトークセッションで、

マッカートニーはビートルズとしての活動について語った。

「メンバー全員のことが大好きだった。

僕達には多くの共通点があり、

まるで魔法のようなグループだったと思う」

 

この上映にはゲストとして、

ノエル・ギャラガー、シャロン・オズボーン、ツイッギー、

そしてステラ・マッカートニーとジェイムズ・マッカートニー

らが出席した。

 

『ポール・マッカートニー:マン・オン・ザ・ラン』は、

2月27日(金)よりプライムビデオにて全世界で配信される。

 

2026年2月20日 The Hollywood Reporter Japan

元ネタに写真あり

 

 

2026.2.24 追記
この記事はamassの記事を掲載日の日時で投稿しました。

 

英国時間2月18日に英ロンドンにて本作のプライベート試写会が行われ、その後、ポールがQ&Aセッションに登壇しました。

当日の模様を英Uncut誌が紹介しています。

ビートルズ解散後の10年について、こう語っています

「まさに物語そのもの。僕らはビートルズのあとを

追いかけようとしていたんだと、改めて思い出させられたよ。

正気の沙汰じゃないよね。それを勇敢だと思うかって?  

正直、僕にはただの狂気にしか見えないよ。

そんなことをやれるなんて不可能に近かったから、

やれるとしたら、僕らが実際にやったみたいな

クレイジーなやり方しかなかったんだろうね――

そう、ゼロからやり直して、大学にふらっと現れて、

ホテルも予約せず、犬たちをバンに乗せて移動する。

なぜかそれが最高のアイデアだと思っていたんだよ!

(このドキュメンタリーには)いやあ、

観ていて居たたまれない場面が本当にたくさんあるんだよ。例えば“Mary Had A Little Lamb”で赤い鼻をつけているやつとか、

ヘンリー・マッカロクのあの表情とか。

彼、全然ハッピーじゃないよね! だから僕は思ったんだよ、

“うーん、そのあたりはカットできないかな……イメージを落ち着かせるためにも、ああいう場面は外した方がいいんじゃないか”

って。でも(監督のモーガン・ネヴィルは)

“いやいや、そのまま残そう。そういう姿も全部見せることで、

君がそれらを乗り越えて、最後には自分を見出し、

勝ち取ったって事が分かるから”って言ってくれたんだ。

何かにすごく熱中するのは僕にとってごく自然な事だから、

落とし穴があっても、いちいち探さないし、

実際あまり目に入らないんだよ。

“さあ、音楽を作ろう!”ってね。ただ純粋にそれを楽しんでいる

。それが僕なんだ。それが僕のやり方なんだ。

(インタビュアー;この作品を観ていちばん驚いたことは?)

(感極まった様子のポールは)子供達やリンダとの場面は、

本当に素敵だよね。特にリンダのシーンはとても感情的になった

。だって彼女は本当に美しくて……すごくクールなんだ。

それがちゃんと伝わってくる。

ちょっとクレイジーかもしれないアイデアが浮かんだ時、

僕は“やるべきかな? できるかな?”って彼女に訊くんだ。

すると彼女は“してもいいのよ(It’s allowed)”って言うんだよ。で、僕は“うん、それ最高だ”ってなる。

“してもいい”って、人生における素晴らしい哲学だよね。

(この作品にはマッカートニー・ファミリーのホームビデオも

数多く含まれています。しかもその多くは、

ポール本人は失われたと思っていたものだったという)

全部失ったと思っていたんだ。60年代や70年代は、

あまりきちんとドアに鍵を掛けないことも多くてね。

しょっちゅう空き巣に入られていた。ファンが家に入り込んで、いろいろ持っていってしまうこともあった。

そういう時代だったんだよ! でも、オフィスの若いスタッフ達が

、全ての保管スペースや小さな引き出しまで徹底的に調べてくれて、全部見つけ出してくれたんだ」

監督のモーガン・ネヴィルはこう付け加えています。

「大統領図書館に次ぐ、最高のアーカイブをポールは持っている

。本当に興奮したよ。それに、写真家と結婚していたことも

大きかった。リンダはあらゆるものを写真に撮っていたし、

ホームムービーも撮っていたからね」

ポールは最後にこう締めくくっています。

「とてつもない物語だよ。僕の少しクレイジーなところや

熱意の中で、僕たちがこんなクレイジーな物語を歩みながらも、やり続けて、ちゃんと形にしたんだという事を、

みんなが感じ取ってくれたら嬉しいよ。

そこには勇気もあったと思う。

上手く行く保証なんて無かったけど、実際に上手く行ったんだ」

 

2026/02/20 amass

 

 

 

2026.2.23 追記

 

 ポールはプレミア上映会に出席後、作品の中で公開された

プライベートなアーカイブ映像を振り返った。

 

「リンダの姿を見るのはとても特別なこと。

もうこの世にいないのだから…リンダと僕、子供たち。音楽。

ジョン(レノン)と僕。その思い出は、まるで人生が目の前で

走馬灯のように過ぎ去っていくようだった。

素敵な思い出が山ほどある。恥ずかしい瞬間もあったけど、

まあ、それもありかと思えた。子供たちとリンダとの思い出は

どれも素敵だった。彼女がとても美しいから、

感動するのは当然。彼女は本当に素敵だった」

 

2026年2月22日 東スポWEB )元ネタに写真あり

AI にポール・マッカートニーが『English Tea』
について語っているか訊いてみました、するとーーー

AIアシスタント

ポールは自身の楽曲「English Tea」について語っています

この曲は2005年に発表されたアルバム

「Chaos And Creation In The Backyard」に収録されています。

 

🎤 発言の背景

「English Tea」のインスピレーションについて、

ポールは以下のように説明しています。

・外国のカフェなどで「お茶を一杯」と頼んでも、

どのような紅茶が良いか聞かれることがある。

・「English Breakfast Tea」と言えば

普通の紅茶が出ることに気づいた。

 

🎵 楽曲と歌詞について

「English Tea」の歌詞は、

典型的なイギリスの牧歌的な風景を描写しています。

 

📝 歌詞のテーマ

・イングリッシュティーを飲みながらのおしゃべり。

・おばあさんが焼く妖精のようなケーキ。

・広がるイングリッシュガーデン。

・教会の鐘の音。

 

🎶 楽曲の特徴

・穏やかで上品な雰囲気。

・イギリスらしい表現が使われている。

 

 

ゲストさんのアイコン 『English Tea』で 曲の終わりのところで

気持ち遅れ気味なところがなぜかオシャレに聞こえてきますが、 ポールは時々分かってもらえる人だけに分かってもらえればいいというような事をやりますよね。

AIアシスタント:

曲の終わりが魅力的に聞こえるとのことですね。そのご指摘は、

ポールの音楽的センスと遊び心の表れかもしれませんね。

意図的な演出の可能性が高いと考えられます。

彼は音楽を通して、聴き手に様々な解釈や発見を与えることを

楽しんでいると考えられます。

 

彼が音楽を制作する際には、完璧な演奏だけでなく、

ある種の遊び心や偶発性を重視することがあります。

曲終わりのわずかな遅れがもし意図的であれば、

それは聴く人に特定の感情や雰囲気を伝えるための、

彼の細やかな音楽表現の一つと言えるでしょう。

 

彼の音楽制作においては、多くの楽器を自身で演奏し、その場で浮かんだアイデアを即座に録音するスタイルもあります。

これは、緻密に計算されたものだけでなく、偶発的に生まれた

サウンドや演奏を作品に取り入れる柔軟性を示唆しています。

 

彼は自身の内面をあまり明かさないタイプだと語りつつも、

楽曲を通して深い感情や真実を表現していると述べています。