1980年12月8日に射殺されたジョン・レノン。
その少し前から、彼は自身の死を強く意識するような発言を
周囲に漏らしていたという。繰り返し見る奇妙な夢、
息子に託そうとしたカセットテープ……。
ジョンは死の直前、何を考え、そして何を見ていたのか?
※本稿は、ノンフィクション作家の青木冨貴子
『ジョン・レノン 運命をたどる ヒーローはなぜ撃たれたのか』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。
ジョン・レノンが死の直前に繰り返し見ていた奇妙な夢
1980年7月末になるとジョン・レノンは作曲活動をすべて終え
、いよいよレコーディングに備えてニューヨークへ戻ることに
した。バミューダで過ごす最後の晩、ジョンは2本のカセット
テープをフレデリック・ラインハルト・シーマン
(編集部注/ジョンのアシスタント)に全部聞かせると、
ニューヨークへ戻ったらコピーを録って、
息子のジュリアンにも送ってくれないか、と頼んできた。
ジョンは息子のことを考えると悲しげにもの思いに沈むのが
常だった。これから先、自分は父親として長男とまともな関係を持てないかも知れないと懸念し、もし自分の身に何か起こったら
、ジュリアンに自分の日記を渡してくれないかと
シーマンに頼んできた。
続けて、その後を予測するような言葉を放った。
《「自分が非業の死をとげる“奇妙な”夢を、
このところ繰りかえし見るんだ」》(『ジョン・レノン最後の日々』フレデリック・ラインハルト・シーマン著/p307)
《「今まで、ぼくは凶暴性を孕んだ人生を送ってきた――
思想的にも、行動的にもね。だから、非業の死をとげるように、きっと運命づけられているんだろうな」と語る。
彼はときどき自分が撃たれるところを想像することがあるという》(前掲書p307-308)
運命の日、12月8日は月曜日だった。
その朝、ジョンはいつものようにキッチンで朝食をとり、
息子のショーンと子供用テレビ番組「セサミ・ストリート」を
一緒に見てから散髪に出た。
その日に予定されていた女流写真家アニー・リーボヴィッツに
よる「ローリング・ストーン」誌表紙撮影に備えるためだった。
このロックンロール雑誌とジョンは長い付き合いだった。
創刊第1号の表紙を飾ったのがリチャード・レスター監督の
映画に出演したジョン・レノンだった。
1968年11月23日号では「トゥー・ヴァージンズ」と
同じ時に撮ったジョンとヨーコの全裸写真が表紙を飾った。
アルバムとは違う後ろ向きに立って振り返る写真だったが、
それでも大きな話題を呼んだ。
その日、ダコタの7階アパートを訪ねてきたリーボヴィッツは、2人の自宅で撮影したいと言ってきた。
自宅撮影を許可することは稀だったが2人が快く受け入れたのは、売れ行きが思ったほど伸びない新アルバムの宣伝に
「ローリング・ストーン」誌の表紙は
良いパブリシティになるからである。
運命の12月8日に撮られた2つの写真
リーボヴィッツは以前の全裸写真を思い描き、
2人を撮るなら裸で絡み合う写真を撮りたいと思ったのだろう。「ダブル・ファンタジー」のアルバムジャケットは
篠山紀信撮影による歳月を感じさせる円熟キスだったが、
これとは全く違うインパクトの強い肉感的で官能的な写真を
意識したにちがいない。
ジョンは承知したが、ヨーコは首を横にふった。
それならヨーコは黒いシャツのまま、
ジョンは素っ裸で撮影しようということになり、
ジョンが裸でヨーコの小さな体にのしかかった。
後頭部に両手をまわしたヨーコは、まるで胎児のように
体を丸めてしがみつくジョンの存在など気にかけない様子で、
宙を見たまま瞑想しているようだった。
リーボヴィッツがポラロイドを見せると、
「凄い!これがぼくたちの真実の関係だ」
ジョンが興奮気味に言った。
撮影が終わると、ジョンとヨーコは1階へ移動し
「オフィス・ワン」で待ち構えていたサンフランシスコの
ラジオ局RKOのディレクター、デイブ・ショリンの
インタビューに答えた。2人は沈黙していた5年間のこと、
新アルバムのことなど熱を込めて語り、
録音スタジオへ行く時間になってもまだ話していた。
午後5時に来るはずの迎えの車が遅れたので、
ショリンが用意していた車で2人を送り届けようと提案した。
ダコタ・ハウスの前にはファンが集まって、WBAIラジオ局が
放送する「ジョンとヨーコのバラード」を大音響で流し、
手拍子をとったり歌ったりしていた。
そこにジョンがダコタの中から出てきた。歩道を埋めるファンの間から眼鏡をかけて太った若者がジョンに近づいてきた。
「ダブル・ファンタジー」のアルバムを差し出す。
ジョンは眼鏡越しにこの青年を一べつして微笑んだ。
目の前に差し出されたアルバムを受け取ると、
「John Lennon」と書き、「1980年12月」と入れた。
ジョンは再び微笑みかけ、サインの入ったアルバムを手渡した
。
「これで」とジョンは言って
「もういいね?(Is that all you want?)」
青年は「ありがとう、どうもありがとう、ジョン」
と素直にお礼を言った。
この瞬間、アマチュアカメラマンのポール・ゴレシュは
ジョンが屈み込んでサインしているスナップ写真を撮っていた。
5発の銃声が鳴り響いた
ゴレシュはずっとジョンとヨーコにまとわりついている
要注意人物だった。
1年程前、ダコタの中に入り込んであちこちをうろつきまわり、
ジョンのベッドルームまで忍び込んだこともあった。
前日もゴレシュはダコタの前で様子を窺っている時、
この太った青年と顔を合わせていた。彼はハワイから来たと言い
、ジョン・レノンのサインをもらおうとしていると語った。
その口調に訛りがあったので、
ハワイから来た人間に南部訛りがあるなんて初耳だと思った。
ニューヨークではどこに泊まっているのか、
と訊くと答えようともせず、やけに突っかかってきた。
その青年に翌日また顔を合わせると、
こんどは前日の非礼を謝ってきた。
そこでジョンが出てきた時、
呆然としている青年を小突いてサインを手に入れられるよう
ジョンに近づけたのはゴレシュだった。
ジョンがダコタ前から消えると、
南部訛りの青年はジョンと一緒の写真が欲しいと頼んできたが、ゴレシュはマンハッタンから川向こうのニュージャージーに
住んでいるので、焼き付けた写真をその日中に渡すことは
不可能だと返事した。
日が沈み午後8時頃になると、
ゴレシュはニュージャージーに帰ると言い出した。
2人がもし夕食に出かけたら2時間くらいで帰るだろうが、
このぶんだとスタジオへ行った様子なので
夜半過ぎまでまず戻ることはないだろうと判断した。
南部訛りの青年は、もう少し居たらどうかと言って
ゴレシュを引き止めようとした。
しかし、アマチュアカメラマンはその言葉も聞かず、
駐車していた車に乗って消えていった。
1人残されたその青年は夜が更けてきても諦めず、
ダコタ・ハウス前の舗道に立って2人の帰りを待っていた。
夜11時近くになると、信号が変わって白いリムジンが西72番
通りに左折してきた。ダコタ正面の舗道のところに止まった。
リムジンの後ろのドアが開いてヨーコが最初に出てきた。
それからジョン・レノンがリムジンから降りてきた。
何本かのカセット・テープを手にして、青年の前を通り過ぎ、
足早に天井の高いアーチ状入り口の中を歩いて行った。
その時、突然、5発の銃声が立て続けに響いた。
( 2026年2月26日 DIAMOND online )元ネタに写真あり