ブレインジムのインストラクターをしていて、
さらに
言語聴覚士で、発達障害のことについては、専門職。
そんな人間なので、原始反射の問題については、
ずっと以前から、勉強はしてました。
それで、
実際に自分にもたくさんの原始反射の統合不全があることがわかりました。
特に、
私は、バビンスキー反射など、
足と手については、
しっかりと統合不全があったんですよね。
そうそう、
ATNRだけでなく、
STNRだって、ばんばん出るタイプ(笑)
さあ、
そしたら本を読むと、
バビンスキーがあると、
集中力にかけるとか
運動能力が苦手
長時間歩けない
外反母趾などなど
いろいろと問題が出てきます。
さらに
手の反射になったら、
文字が上手にかけない
筆圧が強い
すぐに疲れる
云々云々
また、STNRだったら、
黒板の字とノートの上というような
視線の移動が苦手などなど。
まあ、いろいろとあって、
私自身は、自分と照らしあわせて考えてみるわけですよね。
こんだけ、
原始反射の統合不全があったら、
さぞかし
大変な学習障害だったでしょう!!!!!!
ってなるわけなんんですが。
自分の場合を振りかえると、
運動神経→学校で一番、早いくらいで男子に負けませんでした。
クラブは、陸上部。
ただし、長距離走は、大嫌いでした。
球技は?
得意ではなかった。とくにドッジボールが嫌い。
あんな野蛮な球技をなぜ、小学校でするのか理解できなかった!
勉強 これも、クラスで一番。学区内で一番の進学校にすすみました!
不注意、ケアレスミス、忘れ物。
これは、多かったのですが、不注意については自分で、テストなどに関しては、
ケアレスミスがないように、コントロールしてました。
書字
筆圧は強かったです。
しかし、文字については、とても自信があって、硬筆やペン習字は、
展覧会に出せば、いつも金賞をとってました☆
ということで、
学習に問題がある!ってことで
学習ができない原因を、いくらでも、原始反射の統合不全にもっていくことはできます。
まあ、悪者探しとしてね。
でも、実際、本当に、それだけが問題か?ってなると、
私は、それよりも
親のかかわり方、大人の接し方の問題があると思うのですね。
私は、いわゆるADHD的な面や、ADD的な面が
小学校4年生まで目立ってました。
特に、
小学校3年生と4年生は、
ポールデニッソンと同じくらい
「暗黒の時代」でした。
その理由は何か?
それは、担任の男性教師が、体罰・暴力教師だったということになります。
私は、学力は高かったので、
教師からの注目度が高かった。
だから、
給食を食べているときでも、
「おまえは、いつもぼーっとしている!」と
突如と叱られたり。。
さらに、
教室全体の雰囲気でも、
教師の圧力の関係で、
教師がいないときには、いじめや暴力が多発してました。
そんな担任教師の時代には、
本当に、叱られたら叱られただけ、
忘れ物をしてしまう・・・・という悪循環をしていたのです。
そんな忘れ物やテストのケアレスミス。
それが多発して、母親も懇談会に行くのが苦痛だった
小学校中学年の時代。
その後
高学年になるのですが、
まったく正反対の
素晴らしいベテラン教師の担任となります。
そのときに、
私は、ピタっとテストのケアレスミスがなくなりました。
見事に、実施されるテストでは、
ほぼ満点を連続する。
さらには、
反射を利用していたのかのしれませんが、
抜群の暗記力があったので、
国語の教科書は、ほぼ丸暗記する。
世界の地名と首都も暗記してしまう。
そんなことをして、
一気に明るい小学校高学年時代を過ごします。
その勢いは、中学校でも続いて、
テストのケアレスミスは、無くなっていきました。
ただ、
私自身は、
短期的な集中力はあっても、
努力をする人ではなかったので、
進学校に合格したのも奇跡的かもしれません。
なぜなら、
中学校受験で、
一冊しか問題集は終わすことはできませんでした。
そう、
受験勉強というものは
とてつもなく範囲が広いため、
そのための勉強を
自分で計画して、実行する。
ブレインジムで言ったら、
「センタリング」の次元のことは、
超苦手だったので、
できなかったんですよね。
まあ、それでも、
合格できるんだから、
昔の私をほめてあげたいですね。
わがやは、塾には一切、通わせない方針の家だったので、
まあ、自学しかないわけで。
さりとて、
親も、そんな受験勉強をしたことがある人間でもなく、
ほぼ放任の家庭だったので、
何もかも自分で解決していくことが大切
そのくせ、
成績が悪いと叱られるという状態。
受験だからと、
家事手伝いが減るわけでもなく、
まあ、いろいろ大変な状況で育ちました。
それでも、
まあ、その後も、
共通一次テストが、点数がとれず、
県立の短大に行くことになり、
その後、
働きだしてから、
やはり国立大学に通いなおそうと、
再度、共通一次テストを受けて、受験。
合格。
あのたった10年しか実施されなかった
最悪の共通一次テストを
良く考えたら、2回も受験してたんですよね。
そんなこんなで
その後、言語聴覚士になって、
今の私がいます。
原始反射の残存がなかったら、
もっと優秀な学生だったのかしら?
学校で叱られることも、
家で叱られることも
ぐっと少なくって、
自己肯定感の強い人間になれてたのかしら?
医学部くらいに合格できてたかしら?
じゃあ、私は、今とは、
もっと幸せな人生を送れていたのかしら?
って思いたいですよね~
今の自分の生活の不満を
どっかの犯人に押し付けられたら、
まあ、とりあえずは、満足しますかね?
本当にそうなのかしら?ってことですよ。
そんなことを言い出したら、
きりがないですよね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今、自分が50年生きてきて
自分の不器用な人生を振り返って思うことは
忘れ物をすることや
不注意や
よく、物を落としたことなど。
それらすべての
原因が、ちょっとわかった
「ああ、これは自分の責任だけではなかったな」
そう思えるようになったことは、
ブレインジムと出会ったおかげで良かったと思います。
でも、
じゃあ、
その原始反射が残存していたのに、
周囲の大人が、適切な対応をしてくれなかったことに
不満があるかとか
後悔があるのか?っていうと
そんなこともありません。
そして、
その最悪だった小学校の3年生、4年生のころの担任が
もし、
原始反射のことを知っていたらどうなっただろう?って
想像してみるんです。
そうしたら、
その担任の先生の性格だとか
子どもをコントロールしたいという面だとか
俺様性格
過干渉。
それがそのままで、
私が目の前にいたら、
きっと毎日、
「お前は、この原始反射があるから、ダメなんだ!」って
休み時間になったら、
ブレインジムをしろ!だとか
リズミックムーブメントをしろ!だとか
いわれたんじゃないんのかな?って思うのです。
それって、
もっともっとつらいことだな・・・って思うの。
「もし、できるようになったらうれしいじゃない?」
っていうのは、
勝手な大人の思い込みだと思います。
その当事者である子どもにとって必要なのは
そんな統合不全があったも、
これだけ頑張っている
原始反射がいろいろとあるけれど、
人の2倍も3倍も
実は見えないけれど
努力をしている!ってことを
大人側が気付いてくれること。
そして、
気付いて、
「見守ってくれること」
それが
大事だと思うのです。
原始反射が残存しているから、
楽に宿題ができるように
手の反射を統合させてあげよう!っていうのは
大人の勝手な理想のおしつけ。
手の反射が残っているからこそ、
感じる世界があって、
体験できる世界がある。
私は、
原始反射の統合不全があるとか無しなんて
本当は問題ではないと思ってます。
あっても、なくても、
目も前のお子さんは
何もかわらない。
そのこ自身でしかない。
でも、大人が
お子さんの長所に注目するのか
短所に注目するのか。
それこそが、
本当は一番、大切な視点。
私が、一番、
「原始反射!原始反射!」って
飛びついてる方たちが、
実は
目の前のお子さんの
「あら捜し」をしているんだということに
気付いてほしい。
「あら捜し」をする目で観られている
子どもの視点にたってみてほしい。
悪いところばっかりに注目されて、
大人の望む
「平均的な子ども」の枠に
あてはめさせる。
そのことが
子どもにとって
とっても素晴らしいサポートだと思っているのなら
それは、大きな大きな
勘違いです。
子どもは、
そのままで、
何も、辛くはない
つらいのは、
そのままの自分を
ありのまま見つめてくれているのかどうかってこと。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大人になって、
自分が学習障害であって、
つらかった子ども時代を語るかたもいらっしゃいます。
でも、
それは、その人が自分の人生に満足していないから、
すべての責任を
「学習障害」という犯人に押し付けようとしているだけのことだと思うのです。
本当は
学習障害があったからこそ、今の自分があったんだ!って
心の底から
自分を愛せて評価できているのであったら、
過去に責任を押し付けることはしないでしょう。
すべてそうだと思うのです。
親だって、
わが子が順調に育たない。
思い通りにいかない理由を
だれかの責任にしたい。
そんなもののひとつが
原始反射だったりするだけのこと。
原始反射の統合をしなくたって、
もっともっと、
周りの大人の対応の仕方で、
変化はある、
大事なのは、
何か原因があって【自分以外のところに】
自分の人生は、うまくいってないと思うことではなく、
もっと自分の才能に注目すること。
でこぼこがあってこそ、
人間なんだもの。
でこぼこがある自分を愛して
でこぼこを平らにしようとばかり、
自分のことばかりに注目するんじゃなくて、
このでこぼこのままで、
どうやったら社会の役にたつのか?
どうやったら、
楽しい人生が送れるのか?
それを考えることだと思うのです。
昨日、やましたひでこさんの本を読んでました。
そのなかで、
「片付けられない方はみんな、親子関係に問題をかかえている」
これって本当です。
さらにいえば、
「不注意、集中力の障碍は、すべて親子関係に問題をかかえている」
これも本当だと思います。
結局は、
親子関係なんです。
だから、
ブレインジムや原始反射を学ぶのは、
子どもをどうにかするため!じゃなく、
「大人である、まず、自分がまっすぐに立つため」
「自立した人間となるため!」
これにつきます!
しんどいけどね。
一緒に、ブレインジムをしながら、
楽しく人生を送りませんか?
週末に、ブレインジム体験講座開催します。
また、4月始まり101l講座。参加者募集中です♪
詳細は、こちら。
そうそう。
できなかったことができるようになったときの
子どもの笑顔は素晴らしいのよ。
子どもは、できるようになったら
うれしいし、伸びるのよ!
←良い笑顔をしますよね。
でも、
笑顔でないときの、顔も良いじゃないですか?
できない、できないって落ち込んでいる顏もよいじゃないですか?
自己嫌悪に陥っている顏もよいじゃないですか?
無表情だってよいじゃないですか?
大人が望む理想の子ども像を押しつけるのはやめませんか?