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母はケアハウス入居を機に、長くお世話になっていた病院からケアハウスから徒歩で行ける病院に変わりました。

 

しかしながら、以前の先生に戻りたい気持ちが強く、結局、以前の病院へまた通い始めました。

 

昨日もアプリを使い、ケアハウス前までタクシーを手配。母はタクシーで病院へ。

 

私は前日から翌日の朝食、昼食の下準備をして、9時過ぎには病院へ。

 

病院に到着すると、すでにヘトヘトです。

 

母は眼科の病院も変わったのですが、昨日はその新しい眼科で手術を受ける事にしたと言い出しました。

 

先月は白内障手術をした眼球にレーザーをあてました。

 

見えにくかったのかと聞くと、特に見えにくくはなかったと言います。

 

では、レーザーをあてたあとは、さらによく見えるようになったかと言えば、何の変化もない。

 

何の為の治療だったのでしょうか。

 

そして、その治療が終わった途端に今度は「眼瞼下垂」の手術を約束していました。

 

手術の説明も手術も通常の診察時間が終わったあとなので夜です。

 

87歳の老人を手術して、眼帯をして夜に一人で帰らせるのでしょうか。

 

常識を疑います。

 

「患者の事など全く考えていない」

 

「今まで通っていた眼科で一度だって、そんな手術を勧められなかったのに、おかしいではないか」。

 

母が大好きな先生の診察を待つ間に、そのような事を言って、眼科を替えるように説得しました。

 

そして、診察が始まりました。

 

10分以上の丁寧な診察は人気の理由です。

 

診察が終わる頃、母が

 

「娘には(と私を指さし)、今さらそんな必要はないと言われたのですが、眼科で瞼をあげる手術を勧められました」と言い出しました。

 

はぁ?!出ました、被害者意識。

 

今さら、必要ない?誰がそんな事を言った?

 

でも、先生は「テレビを観ていると、瞼が下がってきて見えにくくなる?朝、目が覚めた時に瞼が重くて開かない?違うよね。そういう症状の人が受ける手術だから、受ける必要ないよ」。

 

私の方にも顔を向けてそうおっしゃるので、

 

「そうですよね。私が時間をかけていくら言ってもわかってもらえませんでしたが、今の先生のご説明で母もやっと納得できたはずです。ありがとうございます」。

 

逆襲しておきました。

 

帰りはバス、電車、バス。

 

途中で買い物、処方薬局をまわり、私の帰宅はほぼ夕方です。

友人からのメールで力がわき、やっと家にたどり着きました。