問題解決の扉

問題解決の扉

生活の中での創意工夫に努力しています

毎日、何かしら起きる問題。

早期発見、早期解決が課題です。

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15年前、「膠原病である」と診断されました。

 

「内臓にこなければ、命に係わる問題ではない」と言われました。

 

内臓にきたら命に関わると言うことです。

 

ちょっと衝撃を受けましたが、母には言えませんでした。

 

不安にさせたくないのではなく、返ってくる言葉が予測できたことが理由です。

 

そして、昨年末、「脳梗塞がある」と診断されました。

 

何もない人よりは高い確率で命を落としたり、認知症になるのだと思います。

 

この時自分に何かあったらケアハウスにいる母はどうしよう。夫も。と悩みました。

 

最近の母は処方された薬の管理ができなくなってきました。

 

何時間もかけて、これ以上できないほど、失敗をしないように薬を整理しておくのですが、それをぐちゃぐちゃにして

 

「薬が足りない。あの薬局はいつも薬を間違える」と電話がきます。

 

行ったばかりなのに、またケアハウスに出向く羽目になった数か月前、

 

「私が全て悪いんでしょう。頭がおかしいのでしょう」と怒鳴りつけられました。

 

この時、認知症以前の母の性格があると感じました。

 

もし、私が認知症になったら、これまで歩いてきた道を忘れてしまいます。

 

物心がつくかつかにうちから、エネルギーの多くを母の為に使ってきました。

 

生きるために。

 

その結果が今なのですから、忘れる前に書きとめておこうと始めた回顧録でした。

 

 

日曜日の朝、母から電話がありました。

 

「お父さんの様子がおかしいの」

 

「起きてこないの」

 

「早く救急車を呼んで」と言うと、父に向かい

 

「救急車呼ぶ?」と聞いています。

 

「呼ばないでいいって」

 

「そんな事、聞いてないで、さっさと呼んで、いますぐ」と言って電話を切りました。

 

妹に連絡をすると、「まだ救急車を呼んでいないかも」と言い、交互に母に電話をしました。

 

「今、着替えさせている」

 

「今、準備している」

 

そんなの後でいいから、すぐに呼んで、が伝わらないもどかしさ。

 

次に電話をした時には救急隊の方の「ご主人の脈も、呼吸も確認できません」と説明が聞こえてきました。

 

それでも、病院に運んで下さったので、私たちは病院できれに寝かせてもらった父に会うことができました。

 

父がとても可愛がっていた息子は、父の姿を見て涙を流していました。

 

父にとってゲームなんて、意味不明の物だったでしょうが、子供の頃は顔を見るたびにゲームを買ってくれていました。

 

「お父さん、〇〇(息子)がまた一緒にゲーム買いに行きたいって。起きて買ってあげて」と声をかけてみました。

 

突然、いい年になった娘たちにバースディケーキを買いに出かけてきてくれたり、仕事がとても楽しかったと言ったり、皆で父の90歳の誕生日を祝った時にはとても嬉しそうにお礼を言っていました。

 

「こう見えても人生は楽しかった」と告げて、駆け足で空に昇って行った気がします。

 

そして、この日から母は一人になりました。

 

 

 

 

二人の娘が家を出て結婚をして、それぞれの家庭を持ったのですが、母からは相変わらず電話がかかってきます。

 

父は徐々に食事の量が減ってきたのですが、「出した物をちゃんと食べない」「塩鮭など何日もかけてやっと食べ終わる」などと言う内容です。

 

私の提案を聞きたいのではなく、単に愚痴を言いたくて電話をしてくるようです。

 

妹はほとんど実家と関わらないので、実家を訪れたり、家に招いたり、一緒に出掛けたりしました。

 

父は徐々に歩行状態が悪くなって来ましたが、ある時、珍しく父の方から家に来たいと言い出しました。

 

妹と私の誕生月でしたが、「二人にケーキを買ってあげたい」と突然思いついたようでした。

 

その時、父はもう85歳を過ぎていました。

 

この頃から、父は私の学生時代にもっと小遣いをあげる事ができたらよかった、などと言い出したりしました。

 

父は仕事に対してはとても真面目だったので、再就職先を辞めた後に、再度誘われたりしておりましたが、「楽しかった」と振り返るような話を突然、語りだしたりもしました。

 

父は誰かに評価されたかった、褒められたかったのだろうと、子供の頃から感じておりました。

 

大人になった私は、そんな話を始めた父に精一杯、褒めたり感謝を伝えました。