こんにちは、あやめですドキドキ

 


 

 

本日は、「日本 労働者の日 メーデーとは」です。


 

 

 

日本でも1905年あたりから、労働者の労働者としての要求運動が高まり、各地で、いわゆる「メーデー:労働者要求運動」が行われるようになりました。


 

 

最初は、平民社という社会主義結社が主催の「茶話会」という形が、メーデーの走りと言われています。


 

 

 

平民社の幸徳秋水と堺利彦の二人は、社会主義者。


 

 

海外では「労働者の権利」を訴える日だったのですが、日本では、「資本主義ではなく、労働者主体の国を!」という社会主義の思想とメーデーが重なって広まっていったのです。


 

 

 

いろいろ調べてみると、労働者の権利をというよりは、社会主義の集いとして各地で開催されたようです。

当時は英語や情報も今より乏しいでしょうから、重なった部分と勘違いのあった部分があるのではと思います。


 

 

 

のちに、あまりに社会主義の色が強くなってしまったために、日本では廃止されました。


 

 

しかし、第二次世界大戦後、メーデーは復活!

 

「働かせるだけ働かせて、食わせろ!」ということで、こちらは日本で自然発生した、「労働と報酬の権利」を訴えたものでした。


 

 

それに対しても、まだ社会主義色は残っていて、不当な判決や、政治色の強いことは規制されたようです。

 

おそらく、日本のメーデーは、労働者と労使社と、組合と、社会主義者の思いが相まっていったのですね。


 

 

それでも明治から昭和にかけて、ゼネラルストライキの流れは続いており、日本も海外に合わせ、「祝日」そうなる流れらしかったのですが、その労働者運動も、バブル崩壊を受けて下火に。


 

 

 

祝日を増やすのはおざなりになってしまいましたとさ。。ニコニコ


 

 


 

あやめスイーツブログ1859