patikoのブログ

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首都圏在住、表向きは おすまし、内心 おちゃらけなアラフィフです。好きなもの、好きなこと。家族や 飼っている文鳥のこと。感じたこと…。気ままに綴っていきます。

ご無沙汰しております

自称ウツから回復しつつある私は

汚部屋の回復作業に追われてます。

 

皆さま ぱちこのブログにお立ち寄りくださりありがとうございます😊

 

 

前回のブログでC子の悪口を書きまくった私ですが

自分の気持ちをそらしたり、

なるべく気にしない策をこうじてました。

 

2月上旬の土曜日、C子は、発熱で仕事を休みました。

月曜日出勤してきて

近所の医者で診て貰ったらインフルエンザだった、と。

特効薬のんだからアタシは平気です、と。

え、なんで来るの、ここ医療機関だよ

そしてC子は、無駄に私の側に来て、そして咳をする。

なんなら私の方を向いて咳をする。

お前うつしに来てるだろ!

内心思いながら、

インフルは人にうつるのよ

優しく諭すと、

ええっっ ひょっとして、ぱちこさん具合悪いんですかあ❤️

そういうことじゃあないのよ

そしてさらに私に擦り寄ってくる

さらに咳を吹きかけてくる。

この子馬鹿なの?と思うけど、

他の部署の子には、

アタシの側にくるとインフルうつるよと言ってたというから、

C子の心根の悪さが伺える。

 

3月になると、C子はまた風邪をひき、

2週間以上痰がらみの咳をし続けていた。

そう、わざわざ私の方向いて咳をしてから

その場を離れていく

普通は、離れてから咳をするものでしょ。

風邪をひくのも、咳が出るのも仕方ない

お前の常識のなさも仕方ない。

百歩譲って、

私はキョーレオピンにばんらん茶にプロポリス

もう、わけのわからないチョイスで防御しまくっていた。

 

でも、防御むなしく私も3月下旬 激しい喉の痛みと頭痛がして、

もはや風邪の予感

風邪をひいても休めない私は

葛根湯とばんらん茶を倍量で飲み

漢方薬局で勧められ常備しておいた

ここ一番の瑞芝を追加して抵抗。

ギリギリ悪化を免れていた。

 

 

そんな折、介護施設にいる母がコロナに罹り、

基礎疾患もあるので、

念のため入院させましたと連絡を受けた。

次の週末入院手続きに伺いますねと、のんびり構えていた。

 

その翌日

夜 私の仕事場に病院から連絡が入り、

母の容体が急激に悪化していて、

コロナで面会は出来ませんが、

万が一の時は延命措置はしなくて良いですか?と

(施設入所時の調査でそう回答していたので)

え、どう言うことですか? 

主治医の先生から説明を受けながら、

私 しまいには電話口で嗚咽を漏らしてしまった

わかりました、よろしくお願いいたします。

電話を切って、すぐまた先生から連絡を頂き、

 病院の計らいで特別に面会できます、

ただ私の体調に問題が無いと言う 条件付きで。 

 

ありがとうございます

22時前には到着できます 。

 

取るものもとりあえず、

仕事場から駅まで 自転車を飛ばす。 

 

母危篤の報を受け、知らない町の知らない病院まで。 

 

いつもの駅前のスーパーも薬屋も、

何やら知らない街の風景のように 遠いものに思えた。 

 

『大丈夫だよ、以前にも一命をとりとめたことあったでしょ。 絶対大丈夫だよ』

 勤務先の院長に励まされ、 

『大丈夫、きっと大丈夫 』

 自分に言い聞かせているうち、

 なんだか、

根拠もなく母は助かるような気がしてきた。 

 

ラッシュの混んだ電車に乗って母の元へ 

 

一時は生命の危機にあった母は、

 お医者様と看護師さんの適切な処置により、 

だいぶ落ち着いてきたため、

ありがたいことに、

私は電車のあるうちに自宅に帰ることが出来た。 

 

不安や心細さは、

混んだ電車の知らない人々の存在に

なんだか救われたように思う。

 

 翌日仕事に戻り、C子と働く中で、 

もしも私の体調が著しく悪かったら、

私は、母の元へ駆けつけることは叶わなかったかも、 

そう思った。

そしてもう二度と母に会うことが出来なかったということだってあるのだ。 

 

もちろん今回の私の風邪がC子にうつされたかは分からないけれど、 

自分が風邪をひいてツラいからと、

人にもうつしてやれみたいな子供じみた気持ちには ならないで欲しい 

そんな思いが込み上げてきた。

 

 人は、皆それぞれその背景に様々な事情があるのだ。

 

 

 それから母が危篤状態に陥る日の朝、 

何も知らせていなかった娘は、

私の母が亡くなった夢を見ていた。 

 

もしかしたら本当にその日の晩、

母は亡くなってしまっていたのかも。

 ややスピリチュアルになってしまうけれど、 

『絶対大丈夫だから』 

そう言って私を送り出してくれた院長の高い波動が

 母を生かしてくれたのかも。

 

 

 土曜日の午後 

入院の手続き方々次男と母を見舞った。

 酸素マスクも取れた母は随分と穏やかな顔で眠っていた。 

 

 

折しも桜は満開🌸  

足を伸ばして、母の入所する施設にも挨拶に伺った。

 

 柔らかな春の光と、

そして町のそこここに桜 

 

なんて優しく穏やかな午後だろう 

 

あっ! 

施設の写真撮ってくればよかった!

 駅に着いた時私が呟くと、

 また来ることもあるさと次男 

 

母の一命を取り留めた今この時 

折しも花咲き光溢れる 

この今を 

私は写真に収めたかったのよ、

と心の中で呟く  

 

 

この先もずっと 

今日の春を忘れない 

 

 

うん 

今日の日を心に 

心に花を咲かせ続けよう 

 

 

もちろん高齢の母も、そして父も

 いつまでも生きていてくれるわけではないけれど、

 今あることに感謝しよう 

 

そして多くの人達によって

私達は生かされている

ふんわり優しい思いで

そう思えてくる

 

 

そしてそして 

なるべくC子をジャッジするのもやめにしよう

 

汚い気持ちは 

せっかく咲いた花を枯らしてしまうでしょうから 

 

 

ここまで お読みくださりありがとうございます(^^)